『死を生きた人びと』 小堀 鴎一郎
筆者は鴎外の孫である。母杏奴さんの著書では快活なユーモアのある青年として出てくる。テレビを見た感想からいえば80歳とはいえユーモアがあり、フットワークも軽く若い日の面影を彷彿とさせる。
さてこの本は定年後に在宅診療医として活動されている著者の活動報告とも言える一冊である。そして、看取られた多くの患者の死に方の一部(42例)を紹介しながら、読者にさてあなたはどういう形で自分の死を迎えますかと、問いかける一冊でもある。
かって、戦後間もない頃は自宅で死ぬことが死の全体の八割を占めていたらしいが、逆に2010年では病院で死ぬことが八割となったらしい。病院で死ぬか自宅で死ぬか。
例えば私の親の場合二人は病院での死であった。母親は事故の治療中のことでもあり病院死は仕方がないところもあったが父はどうだったか。家に帰りたがった父を仕事を優先した私は無理に病院に入れた面がある。今のように包括的な支援体制があれば最期の最後ぐらいはひょっとしたら在宅で面倒をみられたかもしれない。そんなことも考えさせられる。
死にゆく人のかなり多くは住み慣れた家で死にたいと思うらしいが、果たして在宅死は理想的な死なのか。筆者はその点も問題にする。どの家族にもそれなりの事情があり望ましい形はひとつではない、よく話し合って納得し合って選択することが大事だとするのだ。実際自分の場合は在宅死は無理のように思うし強いてそうありたいとも今は思はない。
欧米に比べて日本では患者個人での意思決定がなおざりにされてきたらしいが、病院に担ぎ込まれても無意味な延命治療を断り自然に死にたいという気持ちを明示しておけば病院死もまた是ではないかと私は思う。
あと小堀さんは標準的医療をうけられない貧しさの存在や介護報酬の低さ、また「生かす医療」に偏り「死なせる医療」が忘れがちなこの国の現実にも触れておられるが全く首肯することばかりである。最期まで患者に寄り添って患者の最高の終着点をかなえたいと言う小堀医師はまさに「医は仁術なり」という成語そのものだと思う。
何処かのお寺の掲示板に「お前も死ぬぞ」とあったが、言われるまでもなく避けることの出来ない事実である。おいおい考えていかねばならないこととして興味深く読んだ一冊であった。
雨の日は音たてて春すすみけり 倉田 紘文
- 作者: 小堀鷗一郎
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2018/05/02
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