青嵐

本の始末

 書棚の本の整理をし始めたことは、前にも書いた。七段ある棚の上段まで、脚立に乗っかって何十年ぶりかに手を付けた。俳句と歴史と宗教と郷土史関係は残し、残りは始末しようとダンボール箱に詰めた結果が、ダンボール箱に五つ、大きな紙袋に五つだ。文学全集などは、今やどこも引き取り手がないというので七十数巻という「現代文学体系」などは手付かず、思い切った割には片付け感に乏しい。それでもやっとここまで片付けて、さて、これらの本をどうするか。

 昔と違って古本屋さんが少なくなってしまった今、唯一、名を知る古本屋さんに買い取りのお願いの電話をしてみる。出したい本の内容を聞かれた。文芸書の文庫本と単行本、新書本が主だと答える。作家の名前を聞かれる。

向田邦子井上ひさし司馬遼太郎丸谷才一高橋和巳・・」なにしろ私が愛読した本である。今の作家は皆無で、物故者ばかりだ。

「60年代の作家ですか。その辺は今はだぶついているのです。」

 断られてしまった。

 Tは、もうただ同然でもブックオフに持っていくしかしかたがないという。ブックオフでももう一度棚に並べば、まだましかもしれない。思い入れがあっても結局そんなものなのだ。Tは死ぬまでほっとけばいい、誰かがブルドーザーで片付けるさと言うけれど、私はできるだけ自分の始末はしたいのだ。

 何年か前の喪服のドレスを作り変えた。袖とロールカラーの襟を外し、丈をチュニック丈にした。ベストとして着れないかとの魂胆。衣類も随分始末をしたがまだまだだ。

 

      書き込みにつたない若さ青嵐