風呂吹き

 年の瀬なみの寒気になるというのでH殿と寒さに弱い鉢物を取り込む。株分けなどでだんだん増えて、物置や母家にも取り込みきれないのが困る。軒下に簡単なフレームを作りここにも入れたのだがこれで冬越しができるかどうか怪しい。まだ数鉢は本格的寒さまで待つつもり。

 

 予約本を受け取りに図書館に行き、結局「応仁の乱」は返却。今日は若松英輔さん、諏訪哲史さん、アーサー・ビナードさん、藤沢周平さん。そうそう、帰り際に書棚に「ヨーコさんの言葉」という大人の絵本(?)を見つけた。なんでもNHKの番組(こんな番組があったんだ)の書籍化ということで佐野洋子さんの文に北村裕花さんの絵をつけたものだ。立ち読みをしていて気に入り、借りてきた。洋子さんの文(読んだ気のするのもある)もいいが北村さんの絵もいい。つくづく洋子さんは腹の据わった詩人だなあと思う。

 そして四十だろうが五十だろうが、人は決して惑わないなどという事はないという事に気がつくと、私は仰天するのだった。

 なんだ九歳と同じじゃないか。人間は少しも利口になどならないのだ。

 私の中の四歳は死んでない。

 雪が降ると嬉しい時、私は自分が四歳だか九歳だか六十三だかに関知していない。

 

 

 

 

 

     風呂吹きや心の底に熱きもの

 

 

 

 

ヨーコさんの“言葉” それが何ぼのことだ

ヨーコさんの“言葉” それが何ぼのことだ

ヨーコさんの“言葉”

ヨーコさんの“言葉”

 

黄葉期

応仁の乱」  呉座勇一著

 ベストセラー本であり、司馬さんや内藤湖南先生が「応仁の乱」は歴史の転換点だと言われるし、これは読むしかないと借りてきたのだが、いやはや複雑で三分の一を残してお手上げ状態である。跡目相続の争いやら権力闘争、利害が複雑に交差して、くっついたり離れたり、弱体化した将軍家は朝令暮改は日常茶飯事、蝙蝠のごとく右往左往。負けたと思ったら復権し、勝ったと思ったら劣勢となる。こうして延々と続いたわけで面白いといえば面白いがうんざりする。第一勢力図が複雑で頭に入らない。雑紙に図を描いて読んでいたらTに同情(?)された。まあ「応仁の乱」がいかに消耗な戦いだったかはよくわかったし、その後の戦国時代の先駆けとなったのもよくわかったのですが・・・。

残り三分の一読みきるか断念するか、ベストセラー本として購入した人たちは読了されたのでしょうか。

 

 一挙に寒くなり「冬支度」が急かせれます。今週末は師走の寒さとの予報で小春日和はどうなったのでしょう。

 

 

 

 

     またひとつ旧知の訃報黄葉期

 

 

 

 

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

 

 

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隙間風

「歴史の中の邂逅 1 空海豊臣秀吉」 司馬 遼太郎著

 400ページもある随分と厚い本である。司馬さんの亡くなった後に、おそらく未収録の歴史の関するエッセイを集成したもので、一巻目は古代史から豊織時代までの内容である。司馬さんの語り口が懐かしくて読み始めたのだが、まとまった話ではないので時間がかかってしまった。どうやら司馬さんが好きなのは空海であり義経であり秀吉であったようで、この三人のことになると語り口が熱を帯びてくる。

 歴史上の人物の人物観というものはテレビドラマのなどの影響も大きいと思う、が司馬さんの本ほどではないかもしれぬ。息継ぎ、悩み、行動する人間としての姿を身近に感じたのは司馬さんのペンを通してで、従って彼の人物評価が常に背景にある。「空海の風景」などは随分昔に読んだきりだからもう一度読み直したいとも思う。

 司馬さんは、重農主義より重商主義を評価する。この点で室町から戦国にかけてを史上「唯一の日本人のアクティブであった時代」で「明るくて、風通しがよくて、個々の人生に可能性があった」時代というのだが、そう言われてみると日本人の革新的・挑戦的側面が立ち上がってくるような気がしてなんだか楽しくなるのは不思議だ。

 

 

 

 

     南朝の御座所とありぬ隙間風

 

 

 

 

司馬遼太郎 歴史のなかの邂逅〈1〉空海‐豊臣秀吉

司馬遼太郎 歴史のなかの邂逅〈1〉空海‐豊臣秀吉

 

お茶の花

姉を訪問と長沢芦雪

 どちらも名古屋市の中心部なので一緒に。姉とは日曜日に電話で話したばかりなのでおおよそはわかっていたが、実際に顔を見て元気だったのでほっとした。認知症も思ったほどは進んでいない。こちらの顔を忘れたなどということはなく、我が家の家族のことも聞いては懐かしがった。ただ父がすでに彼岸の人ということは信じられないようで、いつも元気かと訊ねる。足が覚束なくなっているのだが、「まだ泳いだら泳げるかもしれない」と言うのは願望でもあるのだろう。姉は水泳でマスターズの記録をいろいろ持っていたほどだったから。現状に不満なのはわかるけれど、「よほど幸せな人生だったじゃない」と言ったら「そうだったわねぇ」と嬉しそうな顔をした。だんだん消えていく記憶の中で、夫に父に愛されたという記憶は過去を照らす灯りのようなものなのだろう。連れ出して喫茶店で話をしたのだが、こちらが勘定をしたら「ごちそうさまでした」ときちんと挨拶したのには感心した。日頃の生き方がこういうふうにこういうときでも出てくるものだと、心して置かねばと思ったことだ。

 

 姉を訪問の帰り道、愛知県美術館長沢芦雪展」による。「奇想の系譜」につらなる江戸中期の画家である。紀州串本の無量寺の「虎図襖」(下図 チケット)が有名で、今回それが見られるというのでよってみた。それは当然ながら面白かったが、それ以外もかなりの量の作品で見るのに少し疲れた。円山応挙の弟子で、師の作品を真似たものがかなりあったが、やはり応挙に比べると品下るような気がする。しかし、虎図もそうだが生き物を描いたものはユーモアが感じられて楽しい。帰宅して辻惟雄さんの批評を読んだら「宗達以来の<生きもの描き>の名手」としてあった。なるほどと納得。だが応挙や若冲ほどではないと思う。

 

 

 

 

     ほんとうは引っ込み思案お茶の花

 

 

 

 

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冬来る

 二十四節気の一つ、「立冬」。暦の上では冬である。庭に出たらすでに雪虫が飛んでいた。今年は長雨のせいで秋のいい時期が短かった。

 夜は急に冷え込む日も出てきたので鍋料理をと「土鍋」を出す。我が家には大・中・小と三つの土鍋があるが出番の多いのは中の土鍋。ところがこれが一番安い代物。しげしげと見たら、ひびが入っているのに気付いた。これではお払い箱かと思ったが、土鍋には「めどめ」という方法もあると思い、試してみた。水溶きの片栗粉を入れて煮るだけである。水漏れなどはないようだからまだ使えるかな。

 山茶花が咲きだした。紅はまだだが白は盛り。今年はチャドクガが酷くて葉が傷んでいる。

 

 

 

 

     土鍋出す頃となりたり冬来る

 

 

 

 

 

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草紅葉

 体調が戻ってきたせいもあって姉のことが気になっていた。陽気のいいうちに一度顔を見に行かねばと甥と連絡をとる。休日でちょうど施設訪問中の甥が電話をしてくれ、ひさしぶりにに姉と話す。普通の会話ができ元気で、いい意味でびっくり。小規模の介護施設に移ってよかったようだ。そのせいか認知症のほうもさほど進行していないようだ。「ご飯が美味しくて若返っちゃた、もう一回恋をしようかしらん。」と言う一方で、「話す人がいないから寂しいのよ。」とか「なんにもすることがないのでぼーっとしてるだけなの。」とかいろいろ訴えていたが、端で聞いていた甥の話ではリビングで皆さんとワイワイ楽しくやっているらしい。田辺聖子さんがこの前読んだ本で老母のことを書いておられたが、老人特有の同情と関心を得るための言動らしい。いずれにしてもちょっとホッとした。近いうちに顔を見にゆくことを約束して電話を切った。

 歳を重ねるというのは本当に難しい。姉の入っている介護施設のホームページを見ると介護保険を使っても相当の自己負担がいりそうだ。我が家の経済では夫と二人で入るようなことはとても出来そうにない。先のことを考えれば気が重くなるだけだ。

 

 

 

 

     下宿屋の跡かたもなし草紅葉 

 

 

 

 

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紅葉

 好天に誘われて、紅葉でも見に行こうかということになる。目的地は奥美濃の長滝白山神社。我が家からは高速なら小1時間の距離である。長良川に添って北上するほどに紅葉は真っ盛り。全山が真っ赤に見える山があり、一瞬赤土がむき出しなのかと思い違いをしたほどだ。車を止めて、最大限の望遠で撮ってみたのだがやはり安いカメラでは無理。しかたなく長良川の川面を撮り満足する。

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 さて、長滝白山神社だが、ここは白山信仰の美濃側の中心的存在である。かっては神仏習合で白山中宮長滝寺と言われ6谷6院360房を有していたらしいが今は見る影もない。境内の半分は長滝白山神社で半分には仏を祀る講堂がある。火災でいまの建物は明治期のものらしいが冬の豪雪のせいかかなり古びてそれゆえに神さびても見える。1月の「花奪い祭」は有名であるが今日などは参拝の人も少なく二組ほどの七五三参りと二三の参拝者のみの静けさだ。巫女の真っ白な衣服が暗い拝殿の中をゆらゆらとうごくのが幻想的にすら見える。境内には「瀧宝殿」といって国重文の仏像が拝観出来る建物もあり、釈迦牟尼仏や四天王像が安置されている。

 また、近くには「白山文化博物館」があり、ここでは白山信仰の歴史のおおよそと神社の所有する文化財を見ることが出来る。今年は泰澄大師が白山を開いて1300年ということもあり「ふるさとの歴史を学ぼう」と入場が無料であった。確か白洲正子さんが著書でほめていた能面も展示されていたが、こういう鄙でも能楽が演じられていたというのが不思議だ。

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 博物館の前に「阿弥陀ヶ滝まで5キロ」の表示を見つけ、お腹が空いていたがもう少し足を伸ばそうということになる。泰澄によって発見されたという阿弥陀ヶ滝は白山信仰修験道の地である。くねくねと山道を登って駐車。滝まではさらに徒歩で10分とある。ようやく体調が戻ったばかりの当方を気遣って「もう止そう」というのをゆっくりと人の倍をかけて一歩一歩登る。その先に開けた滝は、落差60メートル、驚く迫力であった。カメラではなかなかその凄さは写せないが端に立つ人をみればその大きさはわかっていただけると思う。

 

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  帰りは「道の駅」で遅い昼をとって帰ったのだが、「道の駅」は行楽の人で大混雑。最近は併設の食べ物屋さんも美味しいし、なかなか面白い商品もあり、つい財布の紐もゆるみがちになった。

 

 

 

 

    水の飛騨紅葉身心のごと落ちる   金子 兜太