お茶の花

姉を訪問と長沢芦雪

 どちらも名古屋市の中心部なので一緒に。姉とは日曜日に電話で話したばかりなのでおおよそはわかっていたが、実際に顔を見て元気だったのでほっとした。認知症も思ったほどは進んでいない。こちらの顔を忘れたなどということはなく、我が家の家族のことも聞いては懐かしがった。ただ父がすでに彼岸の人ということは信じられないようで、いつも元気かと訊ねる。足が覚束なくなっているのだが、「まだ泳いだら泳げるかもしれない」と言うのは願望でもあるのだろう。姉は水泳でマスターズの記録をいろいろ持っていたほどだったから。現状に不満なのはわかるけれど、「よほど幸せな人生だったじゃない」と言ったら「そうだったわねぇ」と嬉しそうな顔をした。だんだん消えていく記憶の中で、夫に父に愛されたという記憶は過去を照らす灯りのようなものなのだろう。連れ出して喫茶店で話をしたのだが、こちらが勘定をしたら「ごちそうさまでした」ときちんと挨拶したのには感心した。日頃の生き方がこういうふうにこういうときでも出てくるものだと、心して置かねばと思ったことだ。

 

 姉を訪問の帰り道、愛知県美術館長沢芦雪展」による。「奇想の系譜」につらなる江戸中期の画家である。紀州串本の無量寺の「虎図襖」(下図 チケット)が有名で、今回それが見られるというのでよってみた。それは当然ながら面白かったが、それ以外もかなりの量の作品で見るのに少し疲れた。円山応挙の弟子で、師の作品を真似たものがかなりあったが、やはり応挙に比べると品下るような気がする。しかし、虎図もそうだが生き物を描いたものはユーモアが感じられて楽しい。帰宅して辻惟雄さんの批評を読んだら「宗達以来の<生きもの描き>の名手」としてあった。なるほどと納得。だが応挙や若冲ほどではないと思う。

 

 

 

 

     ほんとうは引っ込み思案お茶の花

 

 

 

 

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