鯛焼

「幕末日本探訪記」 ロバート・フォーチュン著

 著者は英国人のプラントハンターである。植物採集のために幕末の日本を訪問。だいたいプラントハンターなる仕事が珍しい。こういう役割の人を国家事業として未知の国に派遣するというのもいかにも大英帝国らしい。が、そういう感想はさておきこの英国人の見たかってのこの国の姿はどうであったか。

 とにかく気候は世界でも最も爽快の部類に入るし、土地は肥沃で、上等な木材生産の可能性があるし、穀物は豊富で、天然資源に恵まれている。

 谷間や樹木の茂る丘、亭々とした木々で縁取られた静かな道や常緑樹の生垣などの美しさは、世界のどの都市も及ばないであろう。

 手放しの礼賛ぶりである。つまらない人工物はなにもなく、湿潤な大気に包まれて野も山も緑が溢れていたかっての国土を思う。それでは自然は豊かだったが人の暮らしはどうだったのか。

 日本人の国民性のいちじるしい特色は下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。気晴らしにしじゅう好きな植物を少し育てて、無上の楽しみにしている。

 通りすがりのある村で家族風呂らしい情景を目撃した。その時は老いも若きも、親、子、孫、曾孫など、数世代にわたる丸裸の男女が、一緒に混浴していた。

 花を好み、風呂を好み、酒好きで、物見高くて陽気な人々の姿が紹介されている。その一部は国民性として今に繋がるところもあるかもしれないが、すでに失われてしまった良質な部分かもしれない。

著者は同書の中で「桜田門の変」や「英国公使館襲撃事件」・「生麦事件」などにも触れ、この平和な国にも刻々と革命が近づきつつあり

この幸福で平和な日本の国が、世界列強の仲間入りをするための代償として、遠からず、心配されている戦争や、それに付随するあらゆる惨害は避けられないだろう。

 としているが、今に思えばまさにそのとおりであった。今に生きるものが得たものは大きいだろうが失ったものも大きく、今がいいと単純には言えそうもない。だからといって歴史は流れるべくして流れてきたのであり戻ることは出来ない。かってこんな国があったと懐かしいような悲しいような愛おしいような気持ちで読み終わった。

 

 

 

 

     鯛焼を待ちて始まる句会かな

 

 

 

 

 約二十数年前、誘われて初めて入った句会。大先輩ばかりでいつも小さくなっていた。たった一人の男性参加者だったカワイさん。時々熱々の鯛焼をさし入れしてくださり女性陣は大喜び。あの句会では草餅もよく頂いた。主宰を始めメンバーの多くはすでに鬼籍に入られた。 合掌。

 

 

 

 

幕末日本探訪記 (講談社学術文庫)

幕末日本探訪記 (講談社学術文庫)

 二週連続の週末の台風、この辺りは大雨だけですんだ。十月末になっても台風などといって入る間に秋も過ぎていく。終日雨に降り込められたのでワールドシリーズを見ながら縫い物。大分前、縫い合わせておいたパッチワークらしきもののまとめ。作り始めた時はソファーカバーのような大物にするつもりだったが、根気のない身はすっかり面倒になり放り出しておいたもの。繋いでみたが結局中途半端な大きさでどんな利用方法があるのかしらん。ともかく溜まっていたものの整理はできたとちょっとだけ満足。試合結果はドジャースの勝ちでまずまず。ファンというわけではないが日本人選手がいるので応援している。夜は横浜を応援したのだが、残念。

 

 

 

 

     うかうかと出て猪鍋(ししなべ)にせられけり

 

 

 

 

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夜長

 二日続きの晴れで、気持ちのいいのは人間さまばかりではないらしい。朝早くから小鳥たちが賑やか。ケタケタケタと叩くように騒がしいのはモズ。さかんに縄張り宣言である。キーッと鋭いのはヒヨドリ。他に聞いたことのない声に見上げてみたら初めて見る鳥。十ほど群れてちょこまかとした動き。雀より一回り小さくよく見えない。尾が長いことと白い腹、シジュウカラのように背に黒が見える。その特徴だけを頼りに野鳥図鑑を繰る。そこで特定したのは「エナガ」。「北海道から九州の林に住む留鳥。秋冬は数羽から十数羽ほどの小群で行動」とある。さらに鳴き声を検索してみて納得。また新しいお客さんを見つけた。

 咲き出した石蕗の花には蜂がいろいろ。初めて見るような蜂もおりこれも検索してみるがよくわからない。明日からはまた雨で忙しいのはみんな同じだ。

 

 

 

 

     食卓にもの書く夜の長きかな

 

 

 

 

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          ウキペディアからのエナガの愛らしい写真です。

赤蜻蛉

「残花亭日暦」 田辺 聖子著

 書評で高橋源一郎さんが今、オバアチャンたちが面白いというようなことを言っておられたのを読んで、いつも元気なお聖さんから元気を頂こうと読み始める。ところがこれはご主人のカモカのおっちゃんが亡くなられる前後の日記で笑って読めるようなものではなかった。厳しく重い日々の記録だが、さすがに聖子さん、悲しみの合間にもご主人への情愛深く、時にはユーモアさえ混じえてさすが大阪のオバちゃん、面目躍如である。年齢計算から(何だか最近は執筆当時の筆者の年齢が気になる)当時は多分74歳だと察するのだが、それにしてもお元気なこと。重病人と高齢のお母さんを抱え、執筆に講演にと八面六臂の活躍。われわれ凡人には想像だに難しい才能とパワーだ。最近のご活躍はあまり聞かないがおそらく卒寿近くなられたはず。お元気であろうか。

 高齢といえば瀬戸内晴美さんは95歳。まだまだ政治的発言も多く新聞でも近況報告を書かれている。しかし少し前に出た「死に支度」は表題から思うほど面白くはなく、残念だった。面白かったといえば佐藤愛子さんの「晩鐘」で、これは全く歳を感じさせない力作であった。佐藤さんは今年93歳らしい。源一郎さんは染織家の志村ふくみさん(93歳)、故人として幸田文さん(86歳歿)白洲正子さん(88歳歿)を挙げておられたが,このあたりの大先達の未読作品は読んでみたいと思うところだ。

 

 二日続きで台風片付け。強風に揉まれて野菜が傷んだうえに落葉がすごくなかなか大変だった。むろん酷い被害に合われた人とは比べるべくもないが。

 

 

 

 

     介護する人も高齢赤蜻蛉

 

 

 

 

残花亭日暦 (角川文庫)

残花亭日暦 (角川文庫)

台風

「家族の昭和」 関川 夏央著

 関川さんは「昭和」にこだわり続ける人である。「文芸表現を『歴史』として読みときたいという希望が、かねてからある。そこで今回は、昭和時代を『家族』という切断面で見ることを試みた。」のだそうだ。対象となったのは向田邦子の諸作品・吉野源三郎「きみたちはどう生きるか」・幸田文の「おとうと」や「流れる」・テレビドラマ「金曜日の妻たちへ」などである。

 向田作品を読んで、「戦前の中流家庭こそ戦後の原形があるのだ」と言う。それは高度経済成長の波に洗われるまで日本社会に残っていた懐かしい家庭像である。言いかえれば、外で苦労する父親を家族で支える家庭像で、父親だけ一品多い夕食のおかずなどにそれは象徴される家庭像かもしれない。

 一方、幸田文作品についてはどうか。「おとうと」などに描かれた家庭は露伴の厳しい教育としつけによって築かれた「東京山の手の家庭文化」である。それは、文の祖母から露伴・文・玉まで「幕府の瓦解によっても、社会の大衆化の巨波によっても、大震災の破壊によっても、また戦争と空襲によっても損なわれ、失われれることなく、昭和末年まで命脈を保った」ものである。そしてそれは、後年文が「流れる」で書いたように置屋での女中稼業中「失礼だけど、あんた何をした人?」と訝られるだけの人物をつくった家庭文化でもある。

そして、昭和六十年代、バブル期である。対象となったドラマは随分の視聴率だったらしいが、当方は見ていない。登場人物は当方らとほぼ同世代。「衣食足りて退屈を知る」言ってみれば「浮気と浮気心」の話である。ここには子供の登場はないし団欒もない。昭和六十年の合計特殊出生率は1・76だがこの後は徐々に低下する。「日本社会そのものが転換点にさしかかった時代であった。」というのだ。

 この本を読んでいてふと思ったのだが我が古家は昭和二年の建設。まさに昭和の家庭を包んできた家屋だ。前世代では父親を中心に回ってきた家庭だが、われわれの時代では夫の優位は霞んだかもしれない。しかし、田舎ゆえか残滓のようなものはあり、家庭秩序は守られて来たような気がする。「家族というのは全盛期がある」と言う。「全盛期があれば落日期があるのはことわりだ」この昭和の古家と一緒に、我が家もいまは落日期に足を踏み入れた。急激に落ち込んだ出生率高齢化でこれからの家族像がどう変わっていくのか。物は溢れたが精神が希薄になったこういう社会を望んだのか。いずれにしてもこの社会の変化に無縁ではいられないだろうなと思うばかりだ。

 

 異例の台風接近中。選挙は期日前投票ですましてきた。

 

 

 

 

     刻々と増す水嵩や台風裡(たいふうり)

 

 

 

 

家族の昭和

家族の昭和

 

 

団栗

「どんぐり」 寺田 寅彦著

 団栗の写真を撮ったので団栗の句を詠みたいと、いろいろ考えた。いくつか拾って独楽にして大事にしまいこんで虫を沸かしたという体験は、自分にも子供たちにもある。夫は団栗を蒔くと言って敷地の一角にクヌギを生やしてしまった。今や大人の背丈ほどはあり毛虫はつくし当方としてはいただけない。何年か前、北海道大学の構内で拾った普通の二倍ほどもある団栗。虫も出ずに今も机の上にあるのだがこれは一体何の団栗だろう。

 ところで、寺田寅彦の「どんぐり」は悲しい話だ。今日も思いついて読みなおしてみたのだが、やっぱり目頭が熱くなった。

「大きいどんぐり、ちいちゃいどんぐり、みいんな利口などんぐりちゃん」と出たらめの唱歌のようなものを歌って飛び飛びしながらまた拾い始める。余はその罪のない横顔をじっと見入って、亡妻のあらゆる短所と長所、どんぐりのすきな事も折り鶴のじょうずな事も、なにも遺伝してさしつかえないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。

 無邪気な妻の忘れ形見を見ながらの寅彦の述懐である。

 

 秋は孫たちの生まれ月。すっかり大きくなってしまったが、幼かった頃を思い出して。

 

 

 

 

    団栗や兄といってもまだ三つ

 

 

 

 

どんぐり

どんぐり

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運動会

「女の民俗誌」 宮本 常一著

 この本を称して、解説で谷川健一氏が「かえりみられることなく消えていった無名の女たちの生活誌」だと書いている。まさにそのとおりで、貧しくもたくましく生き抜いてきたわれらの先達の話である。彼女らの苦しい生き方に比べたら今のわれわれはどれだけふやけた生き方をしていることかと、有り難いことだが恥ずかしいこともある。貧しいなかでも夫を思いやり子を慈しんだその心ばえに照らしてのことである。

 第二章は「生活の記録」として1から12の小節が並ぶがこれらの文章の初出がNHKテキストの「婦人百科」であったのは驚いた。昭和44年から45年までのことで、新婚当時の当方は熱心な読者だったはずだが覚えがない。あのころは俳句講座もあってその指導者は龍太先生だったんだがそれにも無関心であった。若いからフッションのグラビアばかり見ていたらしい。

 

 なんでもこのところの日照時間の少なさは十月にしては46年ぶりらしい。この上台風接近とは何おかいわんや。

 

 

 

 

     図書館に届く園児の運動会

 

 

 

 

女の民俗誌 (岩波現代文庫―社会)

女の民俗誌 (岩波現代文庫―社会)