トマト

 三ヶ月にいっぺんの知人たちとの食事会に出る。以前一緒に公務に携わった仲間でみんな喜寿前後の歳だ。昼間だからアルコールが入るわけではなく食事をしてお茶をして近況を話し合うだけである。体調を崩していたから二年ほど欠席して前回から久しぶりに顔を出した。前回お休みで今回久しぶりに会った人もいたのだが「顔がつやつやして元気そうじゃない」と声をかけてくれた。元気そうと言われるのはやはり嬉しい。

 今回盛り上がったのはお墓の話。市の施設として合同墓ができたのでその見学会に出かけたという一人の話からである。なんでも見学会もすごい人で受付までが長蛇の列だったらしい。みんなそれだけお墓には悩んでいるようだ。肝心の施設の話では一人20年預かりで8万円とのこと。20年経てば骨壷から出して一括扱いにするらしい。「ステンレスの棚にずらーっと並べるだけよ」と見てきた彼女の話。わびしいのかスッキリしていいのかわからないが、我が家は父の代からの墓はある。先々のことはわからぬがとりあえずは考えなくてよい。

 みんなサークル活動やら旅行やらと忙しそう。2000万円問題などいろいろ騒いでいたが病気や認知症にならないかぎり今の高齢者は案外恵まれているのかもしれないなと思う。こんなことを言うと、問題は高齢者が齧っている若い人のことなのだと叱られそうだ。

 

 

 

 

       熟れ熟れてトマトづくしの厨ごと

 

 

 

 

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梅雨晴れ間

『父を焼く』 上野英信筑豊    上野 朱著

 戦後、筑豊の地で地域に根付いた文化活動に力を尽くした上野英信氏のご子息による回想譚である。谷川雁森崎和江の名前は知っていたが正直に言って上野氏のことはよく知らなかった。今回これを読んで並々ならぬ信念の人であることがよくわかったので遅ればせながら著作も読んでみたいと思う。

 回想譚の中で最も印象に残ったのは表題にもある「父を焼く」である。遺体と一緒に大量の本人の出版物を棺に入れて焼いたのだが、なかなか灰にならずに追い炊きをしたのだという。

信心深い、あるいはしきたりや作法を重んじる人からは、なんという不謹慎で罰あたりなと批難されるかもしれないが、本を詰め込み追い炊きをして骨は木っ端微塵というのも父らしくアナーキーでいいかと、ほんのり温かくなった骨壷を抱いて私は夕暮れ空の下に立った。

この後、筆者は棺にペンと原稿用紙も入れるべきであったと悔やむのである。

そう言えばユネスコ記憶遺産に登録された山本作兵衛翁の炭鉱画の価値を見出し、彼と親しく交わったのもこの英信氏であったことを初めて知った。

それにしても「すべての差別に異議を唱えて立ち向かっていたはずなのに」家庭人としては夫としてはどうであったか。遺族の話を通してではあるが、彼もまた思想とは裏腹に古い日本の男性像の残滓を宿していたという気がする。

 

 

 

 

         雀らの賑やかなこと梅雨晴れ間

 

 

 

 

父を焼く――上野英信と筑豊

父を焼く――上野英信と筑豊

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 久しぶりに雨が上がって農作物を見回ったら巨大なゴーヤを発見。いつの間にかこんなのがごろごろしていて、ちょっと閉口。

 暇に任せて残り布であれこれ縫っている。ノースリーブチュニック(?)を仕上げ、今は二枚目。布が足りなくなって別布を切り替えてなど苦心の代物で果たして着れるかしらんと思う。上手くいけば楽しいがそうでなければ時間の無駄かな。

 

梅雨空

浄瑠璃を読もう』 橋本 治著

 橋本さんのやさしく教えてくださる古典シリーズの一冊である。春の旅で淡路島で人形浄瑠璃を見てから気になっていた「文楽」という日本の古典芸能、この際勉強しようと読み始めたのだがなかなか進まない。やっと三大名作と言われる「仮名手本忠臣蔵」と「義経千本桜」「菅原伝授手習鑑」の項を読んだ。どれも史実に題材を得てはいるが史実とはまったく違う。

 「仮名手本忠臣蔵」はそれは歌舞伎の方ではあったが、昔部分的に母に聞いたこともあり(どんな時に聞いたのか見たのか全く思い出せないが当地は農村歌舞伎が盛んな地であった)話の流れは承知していた。「高師直」が悪人だという認識だけはずっと染み付いていたから足利時代の話で彼の名前が出てきた時もその思いが抜けなかった。

 さて筋立てだが、大筋の刃傷から切腹、仇討ちと展開する流れにいくつかの枝葉の話がくっついたといった構成でわかりにくくはない。たまたまYouTubeで大序のところを見たら偶然にも昨日Eテレの「古典鑑賞」でその次のところを放映した。刃傷から切腹、城明け渡しまでの段で緊迫した見ごたえのある舞台であった。見れば確かに人形が演技をするのであり、その技術には驚くばかりだ。とくに女の頭は顔の動き自体は乏しいのに身体全体で感情表現をさせるところなどさすがである。今年は国立文楽劇場の開演から三十五周年とかでこの「仮名手本忠臣蔵」を通しで公演すると聞くから残りの段も見る機会があるかもしれない。

 ところで「義経千本桜」であるがこちらはかなり荒唐無稽な筋立てである。義経は死なないのである。判官贔屓というか、義経は思慮深くかつ美しいスーパーヒーローなのである。後白河にチヤホヤされて鎌倉の怒りを忘れるような浅はかな人物ではないのである。頼朝も悪くないし後白河も悪くない。悪いのは公家の藤原朝方となっている。さらに不思議は安徳帝は女、夏から冬の話なのに桜が満開の舞台装置、知盛は海運業者になっているし義経の家来佐藤忠信は狐の化身となんだか化かされたようなお話である。義経が死んでいないというのは庶民の願いでもあるし彼が思慮深い美しい武将であったというのも庶民の夢、実際は冴えない小男だったと読んだ時正直いってがっかりしたひとりだからこの思いはよくわかる。

 さてさてこの本はまだまだ厚いのでお後の話は別の機会に。

 連日の梅雨空で気持ちは重い。

 

 

 

 

        梅雨空や止めば重機の唸り初め

 

 

 

 

浄瑠璃を読もう

浄瑠璃を読もう

蝸牛

『誘拐』 本田 靖春著

 Tが古本屋から仕入れてきた一冊で一時代前のドキュメンタリーの名作らしい。(文藝春秋読者賞講談社出版文化賞)若い人成らずとも今の人は知らないだろうが「吉展ちゃん」という名前を当方などはしっかり覚えている。昭和37年、先のオリンピックの前年というからまだ高校生だった頃の話だ。悲惨な幼児誘拐事件であった。犯人小原保は身代金を奪った挙句に幼児を殺害した。大まかな記憶はあるが詳しいことは知らなかったが、この本は、当時新聞記者だった筆者がその事件の詳細な顛末を記録したものである。

 読みながら永山(則夫)事件との類似性を思わずにはいられなかった。もちろん違うところは大きいのだが、高度成長期以前の日本の貧しさ(永山事件は昭和43年)、ことに二人に共通する生育期の極貧ともいえる家庭環境の厳しさと世間的差別、そして収監後文学を通して内省性を深めていったという点などである。永山の場合は小説であったが小原の場合は短歌であった。死刑までの間に詠まれたという378首の一部が紹介されているが、彼のなした行為とは別に、深く心に沁みるものがある。

晩成と言われし手相刑の死の

      近きに思ふ愚かさもあり

おびただしき煙は吐けどわが過去は

      焼きては呉れぬゴミ焼却炉

明日の死を前にひたすら打ちつづく

      鼓動を胸に聴きつつ眠る(辞世の一首)

 これは永山も同じであるが、「成育期の保に、もし、人並みの条件が与えられていたら、もっと違った人生がひらけていたのではなかったか。」とは、筆者の言葉である。

 

  犯罪者を容認するわけではないが、なるべくしてならざるをえないような哀しい話が今もあると、今朝の新聞を見てもつくづく思う。

 

 

 

 

        騒がしき世間は知らずかたつむり

 

 

 

 

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誘拐 (ちくま文庫)

誘拐 (ちくま文庫)

 

草むしり

ピンクのプルオーバーを縫う

 歳を重ねたら赤い色を着たほうがいいと言うが全くそのとおりだ。白髪頭で黒っぽいものを着た日には気が滅入ってしかたがない。ピンクなんかと思っていたのにこのところ家着はピンクばかり。今着ているのは化学繊維だから夏向きに綿と麻の混紡のシャンプレーで同じものを縫った。それから黒っぽいものは出来るだけ捨てて恥知らずのバアサンでいこうと思う。

 

また落語会の案内がきた。前回のアンケートにH殿が「面白かった」と書いたので早速のお誘いである。みんなが行きたいというのでチケットを頼んでもいいのだが、それはそれとして開催日が10月22日(火祝)とある。何の祝日だったかと誰も思い出せず調べて判明。「即位礼正殿の儀の日」らしい。知らなかった・・・。

 久しぶりの雨、いよいよ梅雨空。

 

 

 

 

        口ぐせの愚痴聞いてをり草むしり

 

 

 

 

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浮いてこい

『新訳 説教節』 伊藤 比呂美著

 説経節に惚れた惚れたという伊藤さんの熱意に煽られて、説経節とはいかなるものやと手にしたこの本。「小栗判官」も「しんとく丸」も、みめ麗しき貴公子や深窓の姫君が思わぬ不幸に陥いるが、神仏の助けでめでたしめでたしとなる筋だてだ。なるほどなるほどこれは庶民の愉しむ娯楽、もとは寺の門前などでささらをすりすり語っていたというからに話の基本は神仏の縁起譚で「小栗判官」は熊野大権現、「しんとく丸」は清水の観音菩薩口承文芸であるお話のリズムを活かした新訳で、すらすらすらと読み進められる。詩人の伊藤さんの面目躍如、特にいいのは道行きのくだり。例えば盲目のしんとく丸が熊野を目指す道すがら

通り過ぎたのはどこですか

阿倍野五十町>をはやばやと通り過ぎ、

どこへいくのと聞きますか。

<住吉四社明神>伏し拝み、

どこへいくのと聞きますか。

<堺の浜>はここですか。

・・・・・・・

実はYouTubeでここのくだりを聞きたいと思ったのだが、残念。説経節そのものがなかったわけではないが省略されているのか語り手により違うのか。今は語りも三味線の伴奏で伊藤さんのお話ほどすらすらすらとはいきかねる。

 ところで「小栗判官」は美濃に深い縁があるとは知らなかった。売り飛ばされたヒロインの照手姫が下女をしていたのが美濃青墓の宿であり、照手は餓鬼阿弥を小栗と知らず青墓から大津まで土車を引くのである。めでたしめでたしと相成って天寿を全うした小栗殿が神として祀られたのが安八・墨俣の「正八幡宮」で、照手姫の祀られたのもその近くの「結神社」だという言い伝え。

 伊藤さんは説教節のヒロインたちの強さに惹かれるという。深窓の姫君たちであったはずなのに逆境に負けずいつも男性よりも逞しい。つまり弱い餓鬼阿弥や逞しい照手は実は仮りの姿などではなくて男や女の性の本質の一部ではないか、とのご意見だ。三人のお子さんを抱え離婚もし海外に出ても国のご両親を看取りと八面六臂の活躍をされてきた伊藤さんだけに納得させられる。

 あとこの本には「山椒太夫」も収録。鴎外の話と比べるのも面白い。

 

 

 

 

       あれそれと出て来ぬ名前浮いてこい

 

 

 

 

新訳 説経節

新訳 説経節

 

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夏至

『消えた国 追われた人々』 東プロシアの旅   池内 紀著

 Tが読んでいて面白そうだったから回してもらった一冊。読み応えのある話だった。かって「東プロシア」という国があったということも、その国の消滅に際して多くの人々が難民となったことも、また難民を乗せた巨大艦船が魚雷で沈没をして九千という人が一度に海に消えたということもこの本で初めて知った。

 東プロシアというのはドイツの飛び地でドイツ騎士団のつくった国、(もちろんこういう歴史も初めて知ったことだが。)今のポーランド北部・ロシア飛び地・リトアニアの一部を占め、首都はケーニヒスベルク(旧名)。カントが生まれコペルニクスやホフマンを輩出した国でもあるという。二百万もの人々が数百年に渡って暮らし続けた国がナチスの敗北で一挙に消えた。今はポーランド語やロシア語、リトアニア語に変わった町々の今を池内さんが訪ね歩く。バルト海の交易の富で築いたドイツ人たちの美しい街並みを、残している土地もあれば無残にも破壊された土地もある。ひどいのは「バルトの真珠」といわれたケーニヒスベルク(今はロシア領飛び地カリーニングラード)で、たどり着くのもきわめて不便ながらかつての街並みも無機質なロシア色らしい。さすがにカントさんの墓地は残っているということだが、さぞかし夢見も悪いにちがいない。

 なんでも検索してみるもので、池内さんならずともこんな辺境を旅している人はいるもので、昔を忍ばせる栄光の片鱗も無残な現実もたちどころに机上に出現する。東プロシアにあったというナチスの「総統大本営 狼の巣」も同様だ。ここも戦後半世紀以上がたって観光地化されているらしい。

 戦後半世紀以上といえば、近年になってドイツでも失地回復運動のようなものもあるという。ナチスの悪行で加害者としての責任ばかりが声高に叫ばれドイツ人の被害は禁句になってきたらしいが、戦争の犠牲者であることには変わりがない。日本だって空襲で無辜の命がおびただしく失われたのに、あの無差別空爆を糾弾する声は少ない。加害側、被害側を越えて戦争の愚かさや失ったものの重さはもっともっと明らかにすべきだと思う。

 バルト書いの保養町コルペルクにはドイツ人による立派な石碑が建てられているらしい。

  ウィルヘルム・グストロフ号

  バルト海沖沈没

  五十周年記念

  1995・1・28−30

 

 

 

 

 

         夏至の蝶右へ左へせわしなく

 

 

 

 

 

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