『消えた国 追われた人々』 東プロシアの旅 池内 紀著
Tが読んでいて面白そうだったから回してもらった一冊。読み応えのある話だった。かって「東プロシア」という国があったということも、その国の消滅に際して多くの人々が難民となったことも、また難民を乗せた巨大艦船が魚雷で沈没をして九千という人が一度に海に消えたということもこの本で初めて知った。
東プロシアというのはドイツの飛び地でドイツ騎士団のつくった国、(もちろんこういう歴史も初めて知ったことだが。)今のポーランド北部・ロシア飛び地・リトアニアの一部を占め、首都はケーニヒスベルク(旧名)。カントが生まれコペルニクスやホフマンを輩出した国でもあるという。二百万もの人々が数百年に渡って暮らし続けた国がナチスの敗北で一挙に消えた。今はポーランド語やロシア語、リトアニア語に変わった町々の今を池内さんが訪ね歩く。バルト海の交易の富で築いたドイツ人たちの美しい街並みを、残している土地もあれば無残にも破壊された土地もある。ひどいのは「バルトの真珠」といわれたケーニヒスベルク(今はロシア領飛び地カリーニングラード)で、たどり着くのもきわめて不便ながらかつての街並みも無機質なロシア色らしい。さすがにカントさんの墓地は残っているということだが、さぞかし夢見も悪いにちがいない。
なんでも検索してみるもので、池内さんならずともこんな辺境を旅している人はいるもので、昔を忍ばせる栄光の片鱗も無残な現実もたちどころに机上に出現する。東プロシアにあったというナチスの「総統大本営 狼の巣」も同様だ。ここも戦後半世紀以上がたって観光地化されているらしい。
戦後半世紀以上といえば、近年になってドイツでも失地回復運動のようなものもあるという。ナチスの悪行で加害者としての責任ばかりが声高に叫ばれドイツ人の被害は禁句になってきたらしいが、戦争の犠牲者であることには変わりがない。日本だって空襲で無辜の命がおびただしく失われたのに、あの無差別空爆を糾弾する声は少ない。加害側、被害側を越えて戦争の愚かさや失ったものの重さはもっともっと明らかにすべきだと思う。
バルト書いの保養町コルペルクにはドイツ人による立派な石碑が建てられているらしい。
ウィルヘルム・グストロフ号
バルト海沖沈没
五十周年記念
1995・1・28−30
夏至の蝶右へ左へせわしなく
- 作者: 池内紀
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2013/05/10
- メディア: 単行本
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