「古代への旅」と名打って信州諏訪に出かける。諏訪へは昔初めての家族旅行(娘もまだ一緒だった)で出かけたことがあるが、今回は風光より古代史が中心で節約旅である。
一日目
辰野美術館
中央道を走って3時間(途中で休む)。最初の目的地は辰野美術館である。公営の美術館であり割引もあって三人で700円の入館料。もうしわけがないようなお値段で内容は実に素晴らしい。文化程度が高い地域なのか郷土出身者の彫刻や絵画が展示されていたが、圧巻は縄文の出土品である。ややこぶりだが大地を踏みしめおへそを突き出し存在感のある「仮面土偶」を始め縄文土器の数々。人面土器も蛇紋土器もあり、全面にムカデ模様を彫りつけた背筋が寒くなるような土器もあり。「素晴らしかったです」と館の方に感想とお礼を言ったら「茅野もありますが、ここもなかなかのものでしょう」と誇らしげであった。
さすが信州。道端で「双体道祖神」を発見。可愛らしい。
尖石縄文考古館
昼食後、茅野市の尖石縄文考古館へ。ここは有名な国宝土偶「縄文のビーナス」と「仮面の女神」がある。前々から見たいと願っていたのでやっとご対面できたというところか。ここも土偶はもちろん素晴らしいが土器にも国宝があり、数も膨大だ。縄文遺跡がいかに多いか解説を見て感心する。おそらく豊かな広葉樹の森に囲まれて平和な時代が続いたにちがいない。そうでなくてはこんな遊び心のある生活具を創り出すゆとりは考えられない。縄文人とは一体どういう人だったのか、改めてもっと知りたいと思ったことだ。
諏訪大社本宮・前宮
「縄文」のほか今回の旅のもう一つの目的は「ミシャグジ神(シャグジ神)」について知ることである。この神に関係が深い諏訪大社はご存知のように出雲から追放された建御名方神(大国主命の子)を御祭神としている。今回の旅について調べるまでこの諏訪大社が四宮もあることは知らなかった。上社と下社があり、さらに本宮と前宮、春宮と秋宮と分かれる。全国に万という諏訪神社を持ち(うちの村社もそのひとつ)御柱という不思議な祀りでも有名である。巨木に囲まれ歴史を感じさせるお社である。我が家族は本殿の向きがどちら向きかこだわった。本宮は西向きということになり出雲の方を向いておられるのかと勝手に解釈したりしたのだがどうであろうか。
本殿に通ずる長い廊下。右手に第一の御柱。
神長官守矢史料館
出雲から諏訪に来た建御名方神を奉ずる一団は、ミシャグジ神を奉ずる土着の一団と覇権争いをした。もちろん有史以前の話である。勝ったのは建御名方神を奉ずる一団で、以来ミシャグチ神を奉ずる一団の長(守矢氏)は諏訪大社の筆頭神官として諏訪大社に仕え、その神事を取り仕切った。神事は一子相伝で累々と明治時代の初めまで続いたが世襲制が崩れてそれは途絶えた。この史料館はその途絶えた守矢氏の神事の一部を伝えるものである。
入るといきなり剥製の鹿や猪の頭が壁一面に掲げられているのに出会う。兎の串刺しや魚もある。「御頭祭」という諏訪大社の神事の再現ということだ。もちろん現在のことではなく江戸時代の話で、これは菅江真澄の見学記録を参考にされているらしい。狩猟民の資質を色濃く残す守矢一族の取り仕切った祭祀らしい姿だ。
では守矢氏の奉じた神はどうなったか。この史料館の裏手に神体山(守矢山)を後ろに小さな祠がある。巨木に囲まれた祠がミシャグチ社である。諏訪信仰と一体化したような形でかっては神使(おこう)の少女らが諏訪地方の村々のミシャグチ神を巡回したという。
ここの特異な形の神長官守矢史料館は藤森照彦さんの設計である。これに纏わる話は藤森さんの本や赤瀬川原平さんの本でも読んでいたので実物を拝見するのがとても楽しみだった。御柱よろしく柱が屋根を突き抜けている。なおさらに裏山には藤森さんの「空飛ぶ泥舟」や「高過庵」「低過庵」もある。史料館の方がとても熱心に解説をしてくださったので充実した見学ができた。
ミシャグチ神をお参りしようとしたら「カッコウ カッコウ」と鳴いて鳥が社叢に飛来したのにはびっくり。初めて本物の郭公にであった。
二日目
霧島高原
古代史の見学もおおかたすませたので少しは風景もと霧島高原まで行く。途中レンゲツツジの群落もある。山の上はシーズンオフのせいか天候のせいか閑散としたもの。名前とおり霧が湧いてきて景色どころではなくそうそうに下山する。
諏訪大社秋宮・春宮と万治の石仏
昔(25年前)来たのは秋宮だったか春宮だったか、決めかねて行ったり来たり。記憶というのは曖昧なものだ。
「万治の石仏」は初めて。願い事の祈り方が説明してあったので病気が治るようにおねがいする。これで今回の旅の目的は終わり、案外早くの帰宅になった。
郭公や神体山は真向かいに