吊し柿

『砂の街路図』   佐々木 譲著

 先々週ぐらいの新聞の読書欄に紹介されていたので読んだ。こういう作品はどの分野に入るのかわからないがミステリー要素のあるエンタテイメントといったらいいだろうか。帯には「家族ミステリー」とある。

 突然行方を絶った父親が北国の街で溺死体でみつかったという幼い頃の体験、父はなぜ母と自分を捨てて失踪したのか、そしてなぜ死んだのか。母も亡くなった今、四十年前の疑問を明らかにしようと語り手が北国の街を訪れるところから物語は始まる。

 疑問が一つずつ氷解していくところにこの話の面白さがあるのでこれ以上は中身に触れられないが、舞台となるクラッシクな街の様子や謎解きの過程などまあまあ面白く読めた。しかし、殺人などがでてこないからミステリーとしては物足りない人がいるかもしれない。

 

 いつもいろいろ気にかけてくれる友達のIさんから「吊し柿」が送られてきた。我が家の柿が不作だったと書いたので、豊作だったIさんのところの渋柿(干し柿)をどうぞとのことである。ぼってりと飴色に干し上がった見事な干し柿である。早速いただいているが実に甘い。和菓子の基準は干し柿の甘さだそうだが、砂糖の乏しかった頃はこれが一番甘かったにちがいない。

 

 

 

 

     吊し柿日に日を継ぎし陽の恵み

 

 

 

 

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砂の街路図

砂の街路図

山眠る

 『狂うひと』  「死の棘」の妻・島尾ミホ   梯 久美子著   その2

 やっと読了。大変な力作である。執筆に際しての当人へのインタビューは初期の段階で拒否されたということで膨大な資料を読み込んでの人物造形である。長大な内容にもかかわらず最後まで惹きつけられたのは対象となった人物もさりながら、これだけの複雑な人物をくっきりと描き出してみせた筆者の力量であろう。

 それにしても島尾敏雄氏にしてもミホ氏にしてもなんと執着の強い人物であろうか。島尾氏は書く日のためにどんな修羅の最中でも日記に書き残すことを止めなかった。ミホ氏に見られる危険性のあった愛人の写真すらいつの日かの資料として残している。長男の伸三氏に「すべての人を不幸にしても書きたい人だった」と言わしめているほどだ。

 ミホ氏の夫への執着もまた並外れたものである。病の癒えた後ですら夫と一心同体でありたいという思いは、夫の船旅の間一晩中廊下に座って身体を揺らし続けていたという異常な行為にも伺われる。

 「あの二人は、知力も体力もある二人が総力戦をやっていたような夫婦だった」と伸三氏の言葉があるが、執着の強い自我と自我がこすれあうような夫婦だったようだ。その夫婦間を省みると最初は夫が妻を薬籠中のものとして自分の執筆の対象に利用しようとしたのに、逆に一生を絡め取られてしまったというようなところがあると思う。晩年島尾氏は「死の棘」の執筆を悔やんでいたのに対し、書かれたミホ氏が「神の試練に耐えた理想的な夫婦」であり、『「死の棘」日記』は愛妻日記だったと述懐するのは正反対であり印象的である。

 実は「死の棘」はまだ読んでいない。話の裏側を知ってしまってから読むのはどんなものかと思うが、家にあるようなので近いうちに読んでみたいと思う。しかし、まあ当分は軽いもので結構という気もする。

 

  さて、今日の掲載句は古い句帳から出してきたものだが、この句を詠むきっかけとなった岐阜県本巣市の「舟来山古墳群」が今度国の指定史跡になることになった。100基とは大げさなようだが決して誇張ではなく実際は1000基以上の古墳が隠れているとも言われ、今回指定を受ける範囲だけでも111基が確認されているようだ。3世紀から7世紀までの400年以上にわたり古墳が造られてきたいわゆる「死者の山」で近畿以外では最大の規模らしい。中にはベンガラを一面に撒いた「赤彩古墳」も3基あり1基は公開されている。出土品も多彩にわたり鏡・短甲・太刀・剣・馬具・玉類などでふもとの資料館で展示されている。何年か前に家族で見学してきたが年に二回ほど「赤彩古墳」の公開もある。現在は民間所有の山らしいが歴史公園にという話もあるようなので歴史好きとしてはぜひ期待したい。

 

 

 

 

 

     百基超す古墳懐きて山眠る

 

 

 

 

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

七五三

 九月以来編み続けていた藤編みのベストがやっと編みあがった。模様編みを何度も間違えたので片身頃ぐらいは余計に編んだ計算になる。早速着てみたのだがこういう厚手のものは丸くなった背中が一層丸く見えてバアサンくさい。バアサンなので仕方がないのだがちょっと残念。H殿は「背筋を伸ばせ」とうるさいが、猫背は子供の頃から言われ続けいまや加齢もあってどうしようもない。

 

 図書館に出かけ予約本を受け取って帰ったらまた「貸出可」のメールがきていた。前回といい今回といい間の悪いことだ。二冊借りてきたがともかくまず「狂うひと」を読んでしまわなければ・・・。

 図書館の上で「幕末の各務原」と題して郷土の歴史展が開かれていたので覗く。幕末の動乱がこんな地方にも大きな影響があったというのが面白かった。当地は複数の旗本や尾張藩・幕府の入り組んだ知行地だが、新政府側か幕府側かで知行者のその後人生がかわったというのもわかった。ちなみに我が家あたりの支配者は幕府側についた旗本で、当主は維新後はこの地で農業に従事したが貧窮のうちにはやばやと病没されたという。先祖が逃散や強訴をした領主であるから人の世とはわからないものだ。結構立派な冊子が用意されていたが覗いていたのは年配の男性ばかりであった、。

 

 

 

 

     膝小僧かしこまりをり七五三

 

 

 

 

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『狂うひと』「死の棘」の妻・島尾ミホ  梯 久美子著     その1

 600ページ強の大作でなかなか読み終えられない。運命の日が来て夫婦の対決が激化し、とうとうミホさんが精神病棟に入院するくだりまでは読んだ。

 ここまでで考えさせられるのは「文学と人間性」の関係である。「死の棘」は戦後文学の最高傑作らしいが、傑作だったら非人間的でも許されるのであろうか。島尾氏は夫人の意に沿うように「死の棘」を書いたようだが一方で愛人とされた女性はどうであろうか。詳しいことは梯さんの調査でもはっきりはしなかったようだが思い悩んだ末の自死ではなかったかと推察されている。反論も弁明もさせられず一方的な見方だけが世間に流布されてどんなに悔しくつらかったことかと思う。この点には「死の棘」を高く評価する吉本隆明氏さんも言及されていて「これはいったい何なのか、とぼくなんかは思ってしまいます」とある。大体島尾氏ははっきり言えば死を前提とした特攻隊員でありながら女性を籠絡したこと、あるいは傑作を書くために妻を狂気に陥れたことなど人間性という点では全く許しがたい。人を殺してその心理を書いたところでそれがいかに臨場感に満ちていても傑作とは言われまいのに、文学とはわからないものだ。

残りはまだ三分の一ほどあり。

 

 今日は各務原航空自衛隊航空祭で空が賑やかであった。ブルーインパルスの航空ショウーの写真を撮ろう思ったのに見るのを逸して白い航跡のみになってしまった。

 来春のチューリップを入れようと花屋さんに行ったら今年は売り切れて紫と白が6球だけ。他をあたるのもやめてパンジーとの寄せ植えで我慢することに。

 

 

 

 

     檻に熊かからぬ山の恵みかな

 

 

 

 

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しぐれ

 昨日一昨日と富山に出かけた。富山はお隣の県なのだが富山市は一度も訪れたことがない。たまたまネットで美味しそうなお鮨の写真を見て、出かけようとなった次第である。我が家から富山へは高速道(東海北陸自動車道)一本で北上するから紅葉も楽しめるに違いないと踏んでのことである。

一日目

 さて、天気を選んで出かけたのだが心がけのせいかいつも直前にあやしくなり、目的地には雨マークまでついた。岐阜県をまっすぐ縦断、奥美濃・飛騨と山岳地帯を抜けるルートでトンネルまたトンネルの連続、一番長かったのは11キロもあり運転手は気が抜けない。トンネルの間の山々はまさに全山紅葉の真っ盛り。陳腐な表現だが燃え立つような山々である。

 最初の目的地は富山県の「五箇山菅沼合掌集落」である。実はここの手前に岐阜県の合掌集落「白川郷」があるのだが、素朴さを求めてあえてこちらにした。しかしここも集落の谷に下りるのにエレベーターやトンネルが整備されており観光化されているのはしかたがない。たまたま訪れた人間がメルヘンチックな想いを抱くのは勝手だろうがこの辺は相当の豪雪地帯だから冬場の暮らしは本当に大変だろうと思う。家屋によってはすでにしっかりとした雪囲いがなされている。

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 二つ目の目的地は高岡市の「瑞龍寺」である。富山県に入るとぱらついてきて、まったく北国の空は時雨れやすい。拝観時にはとうとう雨傘の登場となった。「瑞龍寺」は加賀二代藩主前田利長公の菩提寺である。曹洞宗のお寺で総門・山門・仏殿・法堂を一直線に配列し、左右を禅堂・大庫裏・回廊で囲った大伽藍である。昔一度訪れたことがあるが夫は初めてである。その当時はまだであったが今は山門・仏殿・法堂が国宝に指定されている。仏殿の仏様についてあれこれせんさくしていたら禅僧の方に声をかけられた。ここをお守りされている方で大寺をたった二人で守っておられるらしい。「修行以上に大変ですわ」と笑っておられたが、そうであろう。利長公に纏わるお話を聞かせてくださりいい思い出になった。

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 この後同じ高岡の街で「高岡大仏」を参拝。高岡は鋳物の街なので大仏さまは銅製である。

幸いなことにしぐれもひと休みで私達はもう少し北上して日本海に出る。富山湾のこの一角「雨晴らし海岸」は渚百選にも選ばれた景勝の地で、逃避行の義経主従が雨宿りをした義経岩や女岩・男岩が有名だ。天気次第では遥かに立山連峰も見られると言うがあいにくである。渚際に瀟洒な「道の駅」が出来てコーヒーをいただきながら海が見られる。海なし県の者にとってはいつも海は文句なく素晴らしい。傍らに芭蕉の句碑がある。

 わせの香やわけ入る右は有磯海  芭蕉 

この辺りは「有磯海」というらしい。併記されているのは大伴家持の歌で、これは彼が越中の国守だったことに由来すると思われる。

 

 

   しぐるるや小貝をひろふ有磯海

 

 

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 近くに越中一宮気多神社があるというので寄る。高い階段を上った先、山懐に鎮座されるのはオオクニヌシの命とヌナカワヒメ古事記の愛の物語を思い出させる。社殿に掛かった「一宮」という額が空海の真筆であるとあったがまさか本物ではあるまいと、不信心な私達は疑った。

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 これで一日目の予定は終わったのだが本当はこれからがメイン、そもそもの旅の目的である。ホテルで少し休んでから予約を入れておいた鮨屋さんに出向く。「富山湾鮨」の会席である。「富山湾鮨」というのは富山湾でとれたものを握った鮨らしくネットの写真で見る限りでは実に美味しそうだ。さてさて実際はどうであったか。確かに新鮮で美味しかった。地元でしか食べられないという「しろえび」は特に秀逸であった。ただシャリが少し温いように感じたのは気のせいでしょうか。

 夜ともなればコートとマフラーがほしくなるほど冷えてきた一日目だった。

二日目

 朝のうちは時雨れていたが風は強いが抜けるような青空になる。本当は「富山県美術館」に行くつもりだったが二日間の日程を入れ替えたのであいにくの休館日に当たってしまった。街なかの散策もいいかとホテルに車は置いて歩いて廻る。まず行ったのは「富山市ガラス美術館」。隈研吾設計のおそろしくモダンな建物である。エミール・ガレーなどと違って最近のガラス作品は見たことがないのだが、みんなとても美しい。割れ物なので黒子の監視員の人が多い。ひと通り見て併設のショップも覗く。綺麗で欲しくなるがものは増やさないとがまんがまん。

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 富山市は市電の走る街である。乗ってみるのもいいなと思っていたがそれは出来ず、目だけで楽しむ。相対的にバスが少ないせいか街路が広々としている。あちこちに生花が飾られ(初めは造花だと思っていた)町興しのコンセプトのひとつなのかガラス作品も展示されている。Tなどは岐阜市と比べて感心しきりである。旧城下町なので城址公園にも行く。天守閣は復元であるが門が一基残っている。

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 この後は車を出して市の東部の「富岩運河環水公園」へ。運河をいかした親水公園である。水上クルーズもあるが私達は野鳥を見たりしてぐるりと廻っただけ。風がころころと木の葉をころがしてやや寒いが気持ちの良い景色だ。

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 さてさて、この後昼食探しのハプニングなどもあったのだが、これで二日間の旅は概ね無事終了。一路家路を目指すことになる。

 高速に入ったらまたまた降り出してきて、やはり「北国の空は時雨やすきかな。」

 

 

 

     銀杏散る路面電車の似合ふ街

 

 

         *写真の何枚かはTからもらいました。

大根

『たそがれてゆく子さん』 伊藤 比呂美著

 いや、面白かった。何が面白かったと言えば老いていく身への共感ということだろうか。もちろん彼女は一回り下の世代で、当方とは比べものにならぬほど自由で行動的に生きている人なのだが、人の(女)一生の普遍性みたいなものは同じだ。つまり、恋をして子育てに奮闘しひと息ついたら親の死(彼女の場合は高齢の夫の死も)やら自身の老い、行き着いたのは解放感というよりぽっかりとした寂しさ。それらの体験がまるで鉈をバシバシ振り下ろすような文体で書いてある。ジメジメした悲壮感はないのだが、我が身の来し方行く末を考えるとなるほどなるほどと身に沁みるものがある。彼女も「おばあちゃん」と呼ばれる歳になり、苦労した娘達にいたわられる身になり、されどこれから新しいことへの挑戦もあるようだ。単なる「たそがれてゆく子さん」でないのはさすがだ。

 

 冬の暖かさはまだ続いている。りホームが終わって元に戻してやっと落ち着く。大工さんがなかなか礼儀正しい若い人で気持ちよかった。そう言えば檜の剪定をしてもらった庭師さんも礼儀正しい若い人であったが、そういう人たちが職人仕事に携わっておられるというのは何となく頼もしく嬉しい。

 

 天気が続くようなので紅葉を愛でながら美味しいものでもと「北陸」へ出かけることにする。病後初めての一泊旅だが我が家からは高速で一本道である。いつものごとく旅のプランを打ち出してプリントをする。家人は「好きだなあ」というが計画を立てるのも三分の一くらいの楽しみ。宿の手配も昼食処の候補調べも手抜かりなし。あとはお天気のみである。

 

 

 

 

 

     大根抜くずぼつと暗き穴深し

 

 

 

 

たそがれてゆく子さん (単行本)

たそがれてゆく子さん (単行本)

冬の雨

 昨日から玄関ホールの床のりホームが始まった。ホールというほどたいしたものではないがもともと田舎の広い土間だったのでそれなりの広さはある。床を張って四十年にもなって少しフワ付いてきたのでりホームすることになった次第。玄関だからあまりものは置いてないのだがそれでも本箱やら何やら移動させてそれが隣の私用の部屋に所狭しと並べてある。本箱から出した百科事典やら文学全集、夫と私の意味の無くなった買い物の最たる例で本当はもう全部捨てたい。燃えるゴミに出すのか紙の日に出すのか面倒でしまってあったのが湿気臭い匂いを醸している。本当は今日で終わるはずだったのだがあいにくの雨で一日伸びた。

 一昨日図書館で梯久美子さんの『狂うひと』を借りてきた。一昨年出た時に話題になっていたが多分重苦しいに違いないと手が出なかった。最近梯さんのエッセイを読んだから挑戦する気になったのだが想像以上の力作である。なにしろ600ページ以上もあるので簡単には読めない。内容は今のところは夢のような恋愛譚である。 

 間の悪いことに図書館から帰ってすぐの夜、予約本の貸出可のメールがきて今日またあたふたと出かけてきた。『たそがれゆく子さん』伊藤比呂美さんである。豪快なバシバシした文章でこれは面白そう。こちらをまず読むことにするかと移り気である。

 また遊びに行こうかという話になっている。季節のいい時体調のいい時と思えばもうそんなにはないかもしれぬとというのがいい訳である。

 

 

 

 

     向かひあひそれぞれのこと冬の雨

 

 

 

 

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

たそがれてゆく子さん (単行本)

たそがれてゆく子さん (単行本)