『最後の読書』 津野 海太郎著
津野さんの生年は1938年とあるから当方とはたった7歳しか違わない。「老人、老人」と言われると現実なのだが他人事みたい。あとがきに
鶴見さんの「最後の読書」ーそれをみちびきの杖に、それにすがってあたりを慢歩する老人読書の現状報告
とあるが、なかなかどうして、面白い読書報告であった。
まずは、病で「話す力」も「書く力」もすべてを一瞬に失ったという鶴見俊輔氏がそれから三年半もの間、本を読み続けたという話。
書ければうれしかろうし、書けなくても習う手応えは与えられるとおもう。
彼の『もうろく帖』に引用されていた一行らしい(引用は幸田文「勲章」)が、われわれ凡人などにとってはいつまでも「習う手応え」でしかないのだ。それでも、できればそういう楽しみと意欲はできるだけ長く持ち続けたいと思うものだ。
入江義高(中国文学の研究者らしいが残念ながら知らない)氏が病床での晩年、訪れた見舞い客に「私がもっとも辛いのはね、もう勉強することができないことなんです。・・・もう禅のテキストは読めないんです。」と答えたエピソードを紹介して
ー 本は読んでます?
ー うん、すこしだけね。でも硬い本はもう読めないよ。
そんなふうに消えてゆくことができれば、いうことがないのだが。
と永年にわたる「読書人としての矜持」を披露する話。
山田稔さんの文章を読む時のかすかな「おそれ」のまじったたのしみや、須賀敦子さんの年譜を熟読して気づいた彼女の心の軌跡とか、心に沁みる話がその他にもいくつか。
今度図書館に出かけたら手に取って見てみなければと思わされたのは伊藤比呂美さんの『新訳 説教節』と、池澤夏樹個人編集で古典を現代語に訳した一連の文学全集。確か町田康訳の『宇治拾遺物語』などは読んだからそれ以外のものである。
足腰がもっと弱ったら、頭がどうにか働いて目もどうにか役に立っているかぎりは、縁側で半分うとうとしながら本をよむバアサンもいいかと思ってみて、はっと思った。今だって概ねそうか。
音のなき動きしきりに川とんぼ
- 作者: 津野海太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2018/11/30
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