今年米

『古文書返却の旅』 網野 善彦著

 Tの大量の書籍を渉猟しても、なかなか読みたい本が見つからない。何か面白いのない?と聞いても、そんなものはありませんとにべもない。そんなこんなで見つけた一冊、思いの外面白かった。

 終戦直後の1949年、国民の大半がまだ空腹に耐えている時、水産庁の肝いりで始まった事業は「漁業制度改革を内実あらしめるためという名目」で全国各地の漁村の古文書を蒐集して資料館・文書館を設立しようという壮大な計画だった。

 まず、敗戦直後のこの理想主義的気運に感動する。五年間という短期間ながら「当時としては驚くべき巨額な予算」が付けられたという。網野氏を始め若い研究者たちは、全国各地を訪問、漁業関係の中世以来の古文書を大量に借用、蒐集したのだ。

 ところが、文書の、目録作成、筆写、校正という作業は簡単には進まず、当初の五年間が混乱のうちに経過、事業の打ち切りが決定、資料も研究員も四散してしまう。理想主義的気運も萎んだ。

 月日が流れて、借用書に名前を残してきた網野氏は、貸出家からの返却催促状をきっかけに、膨大な文書の返却に携わることとなった。その後約四十五年間、自らの仕事の中心に文書の返却・保管事業を据えて、最終的にしっかりした体制を作られた網野氏、その人間的誠実さは、二つ目の感動ものである。

 さらに三つ目の感動、それはこの国の津々浦々に暮らしにかかわる膨大な文書が残ってきたという事実である。古いものは中世以来というものがあり、この国に古くから識字文化や約束事によるなりわいが浸透していたということであろう。所によっては文書は年寄り衆により厳重に保管するという伝統すら残っていた。

 そして。四つ目の感動、網野氏は長い返却の旅を経て、独自な民衆観・歴史観を築かれた。「水呑」イコール「貧農」ではなかったという知見は、江戸時代に生きた民衆の一面的でない顔を見せてくれたのではないかと思う。

 古文書というのは面白いものだと思い、一時期古文書購読を学んだこともあった。かなり読めるようになった時期に、家の事情で勉強を中断、すっかり忘れてしまった。あれは語学と一緒で止めたらだめだとつくづく思う。

 

 

        割引の対象外なり今年米

 

 

 少ししのぎやすくなったのでウオーキングを再開した。よたよたしててはどこへもいけませんと、脅されている。彼岸花が咲きだし、稲田も色づいてきた。米屋さんには、はや新米も。「新米は割引の対象外」とあり、いつもの岐阜の米(初霜)を買ってきた。初霜の新米はそれこそ初霜の頃だ。