春闌くる

時宗の決断』 永井 路子他著

 本が読めない。いろいろ摘まんではみるのだが、こういう時代に架空の人物の気ままな情緒に付き合っているのが嫌になって放り出す、というのを繰り返している。幸いこの時期はしなければいけないことがいろいろで(例えば庭仕事、冬物の片付け)、何となく日は過ぎていく。昨日、旧友からの電話で刺激されたこともあり、とりあえず久しぶりのブログである。

 昨日の新聞によれば、「鎌倉時代に興味はありますか」というアンケートに62%の人が「ある」と答えていた。こちらも大河つながりでちょっとは読んだり調べたりしてみたのだが、なかなか頭に入ってこない。まず同じような名前が多すぎる。執権にしろ、どなたが親で誰が子でと混乱。ややこしい統治機構もわかったようなわからないような。

 さて時宗は蒙古襲来時の執権である。まだ若い。文永の役当時が24歳、弘安の役で31歳、行年34歳で、蒙古襲来に終始したような生涯であった。もっともこの本の網野さんなどは、彼への評価は低い。神風は吹いたとか吹かなかったとか。7月の襲来の弘安はともかく、文永は11月でもあり、台風ではないらしい。蒙古軍は一夜で失せたが、被害の甚大さは言うまでもなく、対馬壱岐の人々は皆殺しにあった。さらに幕府は奮戦した御家人たちに充分な恩賞も手当できず、この後北条執権政治は瓦解への道を下り始める。

 内部抗争に明け暮れた初期有力御家人たちは、結局北条一門以外多くは滅んでしまうのであるが、この時代まで安達氏が生き残っていたのは意外であった。あの頼朝側近の安達盛長の一族である。曾孫に当たる泰盛は時宗を助けて国難に奮戦するのだが、それもこの時代までで、次の執権貞時の時に討たれるのである。(霜月騒動)誠に「おごれるものは久しかず」。

 面白味を交えてあるが、大河ドラマも凄惨な話が続きすぎてちょっと重い。

 

さて、ワクチンはしっかり打ったので、来週は家族でちょっと出かけるつもり。北条氏ゆかりの寺へ。

 

 

 

     終息も収束もなく春闌くる

 

 

 

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芝桜

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満天星

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牡丹 今年はたくさん咲きました。