梅雨深し

カササギ殺人事件 下』 アンソニーホロヴィッツ著 山田 蘭訳

 三ヶ月ぶりの『カササギ殺人事件』である。正直に言って前編の話も面白味も概ね忘れてしまっており、気の抜けたサイダーでも飲む気分で読み始めた。ところが後編は前篇とはまるで違う話の展開。つまり前編は作中作で前編の作者が後編の被害者になるという入れ子の構造だったのである。前編の種明かしは後編のおしまいにさらりと触れられるというだけで、こういうのを傑作というのか。(惹句に去年のミステリー部門の5冠とある)ミステリーといったら犯人を示唆する手がかりが巧妙に仕掛けられていて、その謎解きが読者としても面白いのだが、すくなくともそういう楽しみはなかった。前半はアガサクリスティ風でも後半は現代の話なのだが社会性という点でも物足りない。それでも読み始めると先々が気になるのであっという間に読めた。

 

 今日も梅雨空。去年の日記を見ると連日の猛暑日である。それに比べて過ごしやすいのはいいが、所によっては冷夏との報道も聞く。これからがどうなるのだろうか。

 

 

 

 

       推理本降りみ降らずみ梅雨深し

 

 

 

 

 独歩『武蔵野』にあった一節を使ってみたくて物した一句です。

 

カササギ殺人事件〈下〉 (創元推理文庫)

カササギ殺人事件〈下〉 (創元推理文庫)

 

七月

『「宿命」を生きる若者たち』 土井 隆義著

 香港では若者が中心になり激しい政治批判が起こった。比べて日本にはなんの問題もないように静かである。日本は豊かなのか、恵まれているのか、若者に何の不満もないのか。そんなことはないはずだ。一人当たり購買力平価GDPひとつをとっても香港は11位、日本は31位(2018年版)若者の相対的貧困率は上昇、格差は拡大しているのである。ところがである。生活満足度も上昇しているのだという。この経済動向と幸福感が相関しないことについて筆者は社会学者の古市氏の見解を紹介しているが、それは一つには人間関係の心地よさで生活が満たされるということ、もう一つには高い希望を抱かなくなったゆえの満足感だという。筆者はこの見解を始まりに様々な資料を駆使して、今の若者の多くが生得的属性に縛られた宿命観(生まれつきだからしかたがない)に縛られて、内向きに小さくまとまっている現実を明らかにしている。

 それはさておき、トシヨリが今更若者についての話を読んでみようなどと思ったのはこの国の未来に明るさが見えないからである。遠からず土に還る身には目をつぶっておればすんでいくことだが、これからの人たちはどうするのだろうと老婆心が疼いたからである。

 土井氏は言う。生得的属性と思われるものでも多くは社会化による産物でしかない。だからこそ社会制度の是正が必要ならばそれを可能にすべく声をあげるべきであると。そして、ネットを駆使してあっというまに大勢のボランティアを集めた総社市の高校生の例を引きながら「現在の若者たちは、人間関係の内閉化や生活圏の分断化を、その気になれば軽々と乗り越える力をもっている」とも。

 

 

 

 

    七月や雨脚を見て門司にあり   藤田 湘子

 

 

 

 

 

 湘子の句でも好きな一句。大岡信さんは「読者の側でさまざまに空想できるふくらみがある」と評している。まさに映画の一場面を見る思いがする。

 

 

  

トマト

 三ヶ月にいっぺんの知人たちとの食事会に出る。以前一緒に公務に携わった仲間でみんな喜寿前後の歳だ。昼間だからアルコールが入るわけではなく食事をしてお茶をして近況を話し合うだけである。体調を崩していたから二年ほど欠席して前回から久しぶりに顔を出した。前回お休みで今回久しぶりに会った人もいたのだが「顔がつやつやして元気そうじゃない」と声をかけてくれた。元気そうと言われるのはやはり嬉しい。

 今回盛り上がったのはお墓の話。市の施設として合同墓ができたのでその見学会に出かけたという一人の話からである。なんでも見学会もすごい人で受付までが長蛇の列だったらしい。みんなそれだけお墓には悩んでいるようだ。肝心の施設の話では一人20年預かりで8万円とのこと。20年経てば骨壷から出して一括扱いにするらしい。「ステンレスの棚にずらーっと並べるだけよ」と見てきた彼女の話。わびしいのかスッキリしていいのかわからないが、我が家は父の代からの墓はある。先々のことはわからぬがとりあえずは考えなくてよい。

 みんなサークル活動やら旅行やらと忙しそう。2000万円問題などいろいろ騒いでいたが病気や認知症にならないかぎり今の高齢者は案外恵まれているのかもしれないなと思う。こんなことを言うと、問題は高齢者が齧っている若い人のことなのだと叱られそうだ。

 

 

 

 

       熟れ熟れてトマトづくしの厨ごと

 

 

 

 

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梅雨晴れ間

『父を焼く』 上野英信筑豊    上野 朱著

 戦後、筑豊の地で地域に根付いた文化活動に力を尽くした上野英信氏のご子息による回想譚である。谷川雁森崎和江の名前は知っていたが正直に言って上野氏のことはよく知らなかった。今回これを読んで並々ならぬ信念の人であることがよくわかったので遅ればせながら著作も読んでみたいと思う。

 回想譚の中で最も印象に残ったのは表題にもある「父を焼く」である。遺体と一緒に大量の本人の出版物を棺に入れて焼いたのだが、なかなか灰にならずに追い炊きをしたのだという。

信心深い、あるいはしきたりや作法を重んじる人からは、なんという不謹慎で罰あたりなと批難されるかもしれないが、本を詰め込み追い炊きをして骨は木っ端微塵というのも父らしくアナーキーでいいかと、ほんのり温かくなった骨壷を抱いて私は夕暮れ空の下に立った。

この後、筆者は棺にペンと原稿用紙も入れるべきであったと悔やむのである。

そう言えばユネスコ記憶遺産に登録された山本作兵衛翁の炭鉱画の価値を見出し、彼と親しく交わったのもこの英信氏であったことを初めて知った。

それにしても「すべての差別に異議を唱えて立ち向かっていたはずなのに」家庭人としては夫としてはどうであったか。遺族の話を通してではあるが、彼もまた思想とは裏腹に古い日本の男性像の残滓を宿していたという気がする。

 

 

 

 

         雀らの賑やかなこと梅雨晴れ間

 

 

 

 

父を焼く――上野英信と筑豊

父を焼く――上野英信と筑豊

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 久しぶりに雨が上がって農作物を見回ったら巨大なゴーヤを発見。いつの間にかこんなのがごろごろしていて、ちょっと閉口。

 暇に任せて残り布であれこれ縫っている。ノースリーブチュニック(?)を仕上げ、今は二枚目。布が足りなくなって別布を切り替えてなど苦心の代物で果たして着れるかしらんと思う。上手くいけば楽しいがそうでなければ時間の無駄かな。

 

梅雨空

浄瑠璃を読もう』 橋本 治著

 橋本さんのやさしく教えてくださる古典シリーズの一冊である。春の旅で淡路島で人形浄瑠璃を見てから気になっていた「文楽」という日本の古典芸能、この際勉強しようと読み始めたのだがなかなか進まない。やっと三大名作と言われる「仮名手本忠臣蔵」と「義経千本桜」「菅原伝授手習鑑」の項を読んだ。どれも史実に題材を得てはいるが史実とはまったく違う。

 「仮名手本忠臣蔵」はそれは歌舞伎の方ではあったが、昔部分的に母に聞いたこともあり(どんな時に聞いたのか見たのか全く思い出せないが当地は農村歌舞伎が盛んな地であった)話の流れは承知していた。「高師直」が悪人だという認識だけはずっと染み付いていたから足利時代の話で彼の名前が出てきた時もその思いが抜けなかった。

 さて筋立てだが、大筋の刃傷から切腹、仇討ちと展開する流れにいくつかの枝葉の話がくっついたといった構成でわかりにくくはない。たまたまYouTubeで大序のところを見たら偶然にも昨日Eテレの「古典鑑賞」でその次のところを放映した。刃傷から切腹、城明け渡しまでの段で緊迫した見ごたえのある舞台であった。見れば確かに人形が演技をするのであり、その技術には驚くばかりだ。とくに女の頭は顔の動き自体は乏しいのに身体全体で感情表現をさせるところなどさすがである。今年は国立文楽劇場の開演から三十五周年とかでこの「仮名手本忠臣蔵」を通しで公演すると聞くから残りの段も見る機会があるかもしれない。

 ところで「義経千本桜」であるがこちらはかなり荒唐無稽な筋立てである。義経は死なないのである。判官贔屓というか、義経は思慮深くかつ美しいスーパーヒーローなのである。後白河にチヤホヤされて鎌倉の怒りを忘れるような浅はかな人物ではないのである。頼朝も悪くないし後白河も悪くない。悪いのは公家の藤原朝方となっている。さらに不思議は安徳帝は女、夏から冬の話なのに桜が満開の舞台装置、知盛は海運業者になっているし義経の家来佐藤忠信は狐の化身となんだか化かされたようなお話である。義経が死んでいないというのは庶民の願いでもあるし彼が思慮深い美しい武将であったというのも庶民の夢、実際は冴えない小男だったと読んだ時正直いってがっかりしたひとりだからこの思いはよくわかる。

 さてさてこの本はまだまだ厚いのでお後の話は別の機会に。

 連日の梅雨空で気持ちは重い。

 

 

 

 

        梅雨空や止めば重機の唸り初め

 

 

 

 

浄瑠璃を読もう

浄瑠璃を読もう

蝸牛

『誘拐』 本田 靖春著

 Tが古本屋から仕入れてきた一冊で一時代前のドキュメンタリーの名作らしい。(文藝春秋読者賞講談社出版文化賞)若い人成らずとも今の人は知らないだろうが「吉展ちゃん」という名前を当方などはしっかり覚えている。昭和37年、先のオリンピックの前年というからまだ高校生だった頃の話だ。悲惨な幼児誘拐事件であった。犯人小原保は身代金を奪った挙句に幼児を殺害した。大まかな記憶はあるが詳しいことは知らなかったが、この本は、当時新聞記者だった筆者がその事件の詳細な顛末を記録したものである。

 読みながら永山(則夫)事件との類似性を思わずにはいられなかった。もちろん違うところは大きいのだが、高度成長期以前の日本の貧しさ(永山事件は昭和43年)、ことに二人に共通する生育期の極貧ともいえる家庭環境の厳しさと世間的差別、そして収監後文学を通して内省性を深めていったという点などである。永山の場合は小説であったが小原の場合は短歌であった。死刑までの間に詠まれたという378首の一部が紹介されているが、彼のなした行為とは別に、深く心に沁みるものがある。

晩成と言われし手相刑の死の

      近きに思ふ愚かさもあり

おびただしき煙は吐けどわが過去は

      焼きては呉れぬゴミ焼却炉

明日の死を前にひたすら打ちつづく

      鼓動を胸に聴きつつ眠る(辞世の一首)

 これは永山も同じであるが、「成育期の保に、もし、人並みの条件が与えられていたら、もっと違った人生がひらけていたのではなかったか。」とは、筆者の言葉である。

 

  犯罪者を容認するわけではないが、なるべくしてならざるをえないような哀しい話が今もあると、今朝の新聞を見てもつくづく思う。

 

 

 

 

        騒がしき世間は知らずかたつむり

 

 

 

 

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誘拐 (ちくま文庫)

誘拐 (ちくま文庫)

 

草むしり

ピンクのプルオーバーを縫う

 歳を重ねたら赤い色を着たほうがいいと言うが全くそのとおりだ。白髪頭で黒っぽいものを着た日には気が滅入ってしかたがない。ピンクなんかと思っていたのにこのところ家着はピンクばかり。今着ているのは化学繊維だから夏向きに綿と麻の混紡のシャンプレーで同じものを縫った。それから黒っぽいものは出来るだけ捨てて恥知らずのバアサンでいこうと思う。

 

また落語会の案内がきた。前回のアンケートにH殿が「面白かった」と書いたので早速のお誘いである。みんなが行きたいというのでチケットを頼んでもいいのだが、それはそれとして開催日が10月22日(火祝)とある。何の祝日だったかと誰も思い出せず調べて判明。「即位礼正殿の儀の日」らしい。知らなかった・・・。

 久しぶりの雨、いよいよ梅雨空。

 

 

 

 

        口ぐせの愚痴聞いてをり草むしり

 

 

 

 

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