巣立ち

 朝からカチカチと鵙が大鳴きしっぱなしだと思ったら雛が巣立ちをしたようだ。だから親がしきりに警戒をしているらしい。親の鳴き声の合間に「ジャジャ」と雛らしい声がするので目を凝らしていて南天の間に一匹見つけた。見ているとしきりに餌を運んでくる。ずいぶんの頻度で熱心だ。庭に綺麗なアオスジアゲハがやってきて「あら、アオスジアゲハだよ」と家人に呼びかけている間もなく、バシッと羽音をたてて目の前で鵙が咥え去ったのには驚いた。子育てに必死なのである。餌になる蝶や虫には気の毒だが無事に育ってほしいな。

 連休も後半、明日から一泊でY一家が来るという。献立を考え買い物に出かけなければ。

 

 

 

 

         親鳥の威嚇のしきり巣立ち鳥

 

 

 

 

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南天の茂みにやっとこさ止まっている雛です。



 

鵙の巣

 「爺さんと鵙」のお話は前にも触れたことがあると思う。H殿が野良仕事を始めると決まってやってくる鵙がいるという話である。すぐそばて掘り起こされる虫を待っているのだと思うが、だんだん慣れてきてほんとうにすぐそばに付いているので、我が家ではかってに「もずくん」と呼び習わしていた。「もずくん」がいつになくいい声で鳴いていると思ったら連れ合いさんが出来て二羽でいると思ったら庭の枇杷の木に巣を掛けたらしい。枇杷の木に頻繁に出入りをしているなと思ったら、今日になって「チュクチュク」と可愛い声がして雛の姿が認められた。驚かしてはいけないとそっと見守るばかりだがH殿も当方もまるで爺婆の気分である。

 

 

 

 

         鵙の巣や爺や婆なる心地にて

 

 

 

 

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春逝く

『山海記』  佐伯 一麦著

 大和八木から和歌山の新宮まで日本一長い路線バスのことは本で読んだり映像で見たりしたことがある。筆者とおぼしき彼は東北大震災の後、同じ年に大水害にあった紀伊半島を訪ねるべくこのバスに乗った。小雪も舞う狭隘な山道をバスに揺られながら、かってこの地を進んだ「天誅組」のこと、この地が支えた南朝方のこと、あるいは明治22年の「十津川大洪水」や2011年の土砂災害、そして自死した中学校以来の友のことに思いを巡らす。

 太平の世に生まれ合わせたとばかり思っていた芭蕉の生涯が、ひきもきらぬ災害と隣合わせだと知った時から彼の災害の記憶を訪ねる旅は始まったという。この十津川沿いの狭い谷あいの村々でも歴史上の抗争の波に飲み込まれたり、大災害の土砂に飲み込まれたりした人のなんと多いことか。全く人の生き死には偶然のことが多く、彼ならぬとも今自分があることに不思議さえ感ずる。ましてや彼は、幼い頃に受けた恥辱の記憶から自分のようなものが生きる資格があるかと自問し、いくつも病を抱えた自分は早く死ぬだろうと思っていたのだ。

 2011年の23号台風の時は、実は我が家も和歌山県白浜に滞在していた。震災の年だったから単なる遊興の旅は遠慮して前日高野山を詣で白浜で一泊して熊楠の旧跡などを見て帰る予定だった。ところがあの台風である。目の前をかすめるコースで風雨も強まり起きるなり帰ることにした。すでに海岸道路は通行止め、高速道もあわや通行止めかというところで和歌山市までたどり着いたのだが、その後の報道で知った大被害には驚いたとともに無事帰り着いたことに安堵もしたものだ。

 「平成」は大災害が多かったと言われるが歴史的に検証してみれば決して特別なことでもなく「記録があるこの千六百年ほどの間に死者が出た地震は日本全国でざっと数えただけでも百七十回以上も起きており、均せば少なくとも十年に一度の勘定になる」と彼は言う。「どういう国土に住んでいるんだ」と嘆息を洩らしながら「曲がりなりにもそれだけの厄災を辛うじて生き延びてきた者たちの末裔である」とも思う。全くそのとおりで大災害に会いながらも大声で泣きわめきもせず粛々と事に対処するこの国の人々の心の真底にある澄み切った諦観はここに由来するのかもしれない。

 二年前のバス旅では受け入れがたかった友の自死も整理できた私は(後半は彼が私となる)二年前は途中断念した7時間近い路線バスの乗車を完遂する。友からの最後のメールと共に。

 

 

 

 

     三十年(みそとせ)に思いさまざま春逝かす

 

 

 

 

山海記

山海記

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れんげ

 連休中といっても毎日が日曜日の我が家は何も変わらず。やや肌寒いので外仕事もあまりする気なく午後は読書と散歩。

 このところ読み継いでいるのは佐伯一麦さんの『山海記』。お名前をかずみと読むのだと初めて知った。因みに題名も「せんがいき」である。なかなか読み応えのある話で久しぶりに入り込んでいる。また感想は読了後にでも。

 今日は一時間歩いた。隣り村の村社まで行ったのだがいつもながら昔見知った景色はすっかり変わっている。夕方なので同じように歩いている人にもちょくちょく会うのだが、どう見ても八十歳を超えたと思う女性のジョッキングに出会ったのはびっくり。すごいですねと声を掛けたら、もうよれよれよと返ってきたがどうしてどうして休むことなく駆けて行かれた。

 

 

 

 

         雀飛びれんげの海に沈みけり

 

 

 

 

 

 

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行く春

アイヌ歳時記』 萱野 茂著

 再びこの本について。読みながらアイヌの人と縄文人の関係に思いを馳せる。同じように狩猟採集民でありアミニズムの人々であり、かっての東北地方では隣り合って暮らした人々であっただろう。最近の遺伝子調査では「アイヌ人は現代日本人の中では縄文人の遺伝子を最も色濃く引き継いでいる」と言われている。最近関心が高い縄文人の暮らしぶりや文化などにも近似したアイヌ文化であったにちがいない。

 この本によれば男性は狩猟民として刃物が上手に使えることが第一であり、女性は火の用心と針仕事だと言う。あの見事な民族衣装を見ればなるほどと思われるのだが、これらはは縄文女性の土器や土偶づくりに匹敵するのではないか。どちらも集団としての伝統はあるのだが実に個性的で力強く美しい点では一緒だ。日本人の文化的ルーツを知るという点でもアイヌ文化はもっと大事にされるべきであったと思う。

 北海道の地名はアイヌ語が元で名付けられたものが多いのは知っているが、この本で「襟裳岬」の語源を知った。「襟裳岬」とは「エルムノッド」といい「ネズミ岬」のことでネズミの総元締めがいるところと信じられていたと言う。残念ながらまだ「襟裳岬」に行ったことがないが岬の突端に立つと「ネズミの群れが陸を目指して走ってくるように見える」らしい。

 アイヌ民族についてはもう少し何かを読んでみようと思う。

 

 

 

 

     行春や鳥啼魚の目は泪   松尾 芭蕉

 

 

 

 春と共にひとつの時代が終わる。私にとって「平成」はどんな時代だったのか、ぼんやりと思うこといろいろ。

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牡丹

 久しぶりの雨なのだが牡丹にとってはあいにくの雨。朱紫が六花、薄紅が一花咲いて雨に打たれてすっかりしおたれている。今日咲いた薄紅はさすがに哀れで切ってきたが、朱紫はこれでお終いだろう。

 終日の降りなので縫い物をして過ごした。昔、姉が買い溜めておいた布をよこした。姉の好みの派手な色や柄が多く到底自分の好みではないと思っていたのだが、歳になると派手な色がいいのだという。白い髪で暗い色のものを着ていたら「全く婆さんだ」とはH殿の言葉。ピンクのベストを着ていたら「それが似合う」というので、件の布からピンク地で縫うことにした。他人から見ればちんどん屋かもしれぬ。どちらにしても外出には無理だ。

 老人が老人らしくあることは自然であると思うし、ことさら若作りをしようとは思わないが、汚く見えるより明るい色で明るく元気に見えるならそうしたいと思う。お昼のテレビで「健康体操」なるものを紹介していたが、毎日いくつか体操をしている。みんなちょっとした「ながら体操」のようなものでたいしたことではないが身体を動かす機能を錆びつかせないために。それでも柔軟性もバランス感覚も悪くなった。

 明日・明後日は続けて病院で検査で結果は連休明けとのこと。そういえば平成ももう少し。

 

 

 

 

        ぼうたんや気のやすらまぬ空模様

 

 

 

 

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春霞

アイヌ歳時記』 二風谷のくらしと心 萱野茂

 どういうわけだかこんなことは滅多にないのに昨夜はとんと寝つけなかった。蒲団の中でもんもんとして夜半を過ぎ、とうとう起き出してこの本を読み始めた。

 ちょうど昨日の新聞に「アイヌ新法 成立」とあったからである。何でもアイヌ民族を法律上初めて「先住民族」と位置づけたものだそうだ。そう言えば少し前まで「日本は単一民族の国家だ」などと言った首相もいたくらいだから法律できちんとその存在を認めたのはよかった。もちろん手放しで喜べるという内容ではないらしく一部には反対もあるらしい。

 この本でもアイヌの人々の主食ともいえるサケを和人が「一方的に、獲ることを禁じてしまった」と憤っておられた。「アイヌ民族の食文化伝承のために必要なサケはどうぞご自由に、といってほしい」としておられるが、先の法律では「民族の儀式や文化伝承を目的にした国有林の利用、サケの採捕などに特例措置を設けた」とあるのでこのあたりの問題は解決したのだろうか。

 しかし、今現在アイヌ語がわかる人はどれほどおられるのであろうか。ある民族にとって言葉が失われることはどれほどの痛手であろう。形骸化した儀式は残ってもその精神は失われていくような気がする。その意味では「新法」といえども遅きに失したかもしれない。

 

眠れぬままに読んでまだ半分である。昼寝をしてはまた今夜に響くので眠気防止にぐだぐだ書いた。先の旅を思い出して一句。

 

 

 

 

            海峡をまたぐ大橋春霞 

 

 

 

 

 

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