賀状書く

 押し迫らないうちにできることからやろうと賀状を書く。毎年は「筆ぐるめ」で作っていたが今さら古いパソコンを起動するのも面倒だと思っていたらTが郵政省の「年賀状キッド」を入れてくれた。去年はうまくいかなくて結局あきらめたのだが、今年はなんとか印刷までこぎつけた。「筆ぐるめ」に比べるとやや無骨だが(これはわたしのパソコンのフォントが乏しいため)使い勝手は悪くなかった。年賀状の卒業ということも色々言われているが、すっかり少なくなった住所録を見渡せばどの方とも今年は一度も会っていない。だからまだ生きてますよという挨拶のようなものだ。

 

 去年はお飾りにする蜜柑にも事欠いたのに今年は生り年だ。いずれは鳥たちのご馳走になるだろうが今のところはまだ来ない。毎朝夫と二人、レモン絞りでジュースにしているのだが一向に減らない。酸味も甘みも強く市販のぼやけたような味とは一味違うが難点は種があること。どうして種ができるのか不明だ。

 

 

 

 

        若き日の面影に向け賀状書く

 

 

 

 

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寒波来る

83 1/4歳の素晴らしき日々  ヘンドリック・フルーン著 長山さき訳

 帯状疱疹で額から瞼が腫れ上がりまるでお岩さん。片目が十分機能しなくて不便極まりない。それよりも痛みが酷いので「老人には強すぎるが」と、もう少し強い痛み止めを出してもらう。ところがこれが「ロキソニン」でなんだという感じだ。「ロキソニン」は老人には強すぎるお薬とは知らなかった。先生の話では今日がピークらしいが早くなんとか治ってほしい。

 さて、掲載の本の話だがまだ読了はしていない。400ページ強もあるし片目ではなかなかはかどらないが、久しぶりに面白い。オランダ、アムステルダムのケアハウスに暮らす83歳のヘンドリックの日記調小説である。初めは文芸ウエブサイトに連載されたらしく筆者は匿名作家。なんでも当地では32万部のベストセラーになっているらしい。

 中身は「もはやめざすものがない」と暮らしの虚しさに辟易したヘンドリックが「毎日を意義深いものにするよう頑張ろう」と施設の仲間と奮闘する話。彼らが「オマニド(年寄りだがまだ死んでない )クラブ」を結成するのもユニークだが、先例を盾に規則に閉じ込めようとする管理者は洋の東西にかかわらずどこも一緒だ。高福祉国家のオランダでもそうですかと思わせられるところもいろいろ。例えば「老人の虐待」についてヘンドリックはこんな批判も書いている。

 ちゃんと教育を受けていない者を安い賃金で雇い、過酷な労働条件で働かせるとどうなるか。・・・何年も理事会が効率を重視した方策を取ってきた結果、自分たちの高い報酬を保証するシステムだけが残った。現場の職員には、介護の必要な老人をトイレに座らせ服を着せるのに、二分と十五秒しかない始末。よく拭けていなくて当然だ。

まるでこれは我が国の話ではないかと思うほどだ。今やどこでも老人はあまりもので厄介者らしい。ずばずばとした批判もさることながら老いの現実を笑い飛ばそうというところがこの本の面白いところか。一年間の日記だが残り半分を楽しみたい。

 

 

 

 

       節節のギクシャクとして寒波来る

 

 

 

 

83 1/4歳の素晴らしき日々 (単行本)

83 1/4歳の素晴らしき日々 (単行本)

銀杏散る

 二・三日前から右のこめかみ付近が痛くて片頭痛かなあと痛み止めを飲んでいた。いっこうに改善せずにさらに頭皮の一部にピリピリした痛みが出てきて「帯状疱疹」かもしれないと思い至った。昨日受診して一晩様子をみて結局「帯状疱疹」との診断である。発疹はぽつんとひとつだけだが厄介な顔で、今日は目の奥やら首・肩まで痛い。 

 今読んでいる本に七十代になると「赤裸々な老いの現実が向こうからバンバン押し寄せてくる」とあったが、まったくそのとおりだ。六十代の頃はさして自分をトシヨリとも思わなかったが七十の境を越えてからは紛れもないトシヨリと思うようになった。仕事も公務も辞めて病気もしたからだが身体そのものが油が切れて動かなくなってきた。体重の減ったのはともかく身長も往事よりは五センチは縮んだ。一回り小さなバアサンになって病院通いばかりだ。

 自虐的な意図があるわけではないがトシヨリ関係の本ばかりを借りてきた。まだ未読のものもあるがどれもこれもたいして面白くない。老化報告も思い出話も本人ほどは関心が持てない。それはわかっているのだが当人のブログも同じようなことになっている。

 

 

 

 

 

          銀杏散る見慣れし街の劇場化

 

 

 

 

百歳までの読書術

百歳までの読書術

オレって老人? (ちくま文庫)

オレって老人? (ちくま文庫)

83 1/4歳の素晴らしき日々 (単行本)

83 1/4歳の素晴らしき日々 (単行本)

冬銀河

 昨日今日と夫は訃報が入って慌ただしい。我が家には昔から(多分江戸時代ころから)冠婚葬祭を助け合ってきた一族があり、今回はその関係である。一族といっても少し昔までは八軒だったのが今は五軒に減り、日頃の付き合いがあまりあるわけでもなく、葬儀も最近は葬儀場となったり家族葬になったりとで久しぶりの声がかりだ。亡くなったのは99歳の方で大往生といっていい。

 さて久しぶりに葬儀に出た夫と行く末のことを話していて、もし先に逝くようなことになったら私の場合は「家族葬」にしてほしいと頼んだ。交友関係の乏しい私はには本当に別れを告げなければならないのは家族とひとにぎりの友人しかない。そんなことを話すと以前なら笑ってとりあわなかったが、さすがに病気をしたこともあり真面目に聞いてくれる。「延命治療拒否」の意思表示は署名捺印をして用意してあるので安心だ。後は物の始末だがこればかりはなかなか出来ない。身辺だけでも90歳代の人がかなりだがそこまで生きるとすればまだまだである。早々と片付けてしまうわけにもいかぬではないかと言い訳をする。

 

 

 

 

       わが逝きし後のあれこれ冬銀河

落葉

 珍しく朝から雨でどうやら終日降りそうだ。昨日降りそうだからと落葉掻きをしておいてよかった。ようやく柿の落葉はすんだが木蓮などはまだまだこれからだ。落葉を掻いているとカタツムリがいっぱい出てくる。朽葉を食べていたのかとちょっと悪い気がしてあまりぴかぴかに掻かないことにする。ころころした何かの幼虫も出てくるが気持ちが悪いのでこれもそのまま眠らせておく。そんなこんなで一時間半も奮闘したわりにはきれいにはならなかった。

 このところアームウォーマーを編んでいる。残り糸で自己流である。ベストが多い身には腕の保温にちょうどよさそうだと思った次第。腕まくりをして水仕事にもいいようにひと組は全部ゴム編みにしてもうひと組は一部だけゴム編みにする。こちらはまだ片方だけ。

 「歳を撮ったら楽しく生きることが一番です」とこの前ちょっと読んだ本にあったが毎日なにやかや楽しんでいるにはちがいない。

 

 

 

 

     しんしんと命のしとね落葉積む

 

 

 

 

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『俳句の授業』  夏井 いつき著

 「プレバト」なる番組を見たことがない。夏井さん自身についてもご本人も俳句もよく知らなかった。最近あちこちで名前を見るようになり元気のいい方だなあという印象があった。たまたま図書館でこの本を見つけて借りてきたのだが「世界一わかりやすい」という副題にいつわりはない。なるほどこういう入門書もあるのかと驚いた次第だ。詩の作り方と言えば第一に感覚的な話になりそうなのだが、本書では実に実践的かつ合理的である。その方法はまず五音の名詞をさがさせ、それに七音の修飾語をつけ、そして五音の季語を取り合わせるのである。彼女はこの方法を「尻から俳句」と読んでおられるが、これでちゃんと俳句になってしまうところが凄いというかいやになてしまう。もちろん意味の重複とか取り合わせの効果とか見直しは肝心だという。

 この本でもう一つ勉強になったのは「一物仕立ての俳句」の定義である。夏井さんは純粋な一物仕立ては「比喩・見立て・擬人化・感想などに置き換えない観察から得た発見だけで成立している句」だとされている。さすれば純粋な一物仕立てというのはとても範囲が狭いということになる。

 さて夏井さんの俳句はいかにとネットで調べたがわからず。公開ブログにも俳句は書かれていないようで、やっと二句だけ読んだ。

 

 

 

 

     ジャグジーに腰を打たせて農婦冬

 

 

 

 

夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業

夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業

 

縄跳

焼き物を見て買って

 下の孫が我が家で使う御飯茶碗を見て「まだ猫ちゃんかあ」というようなことをつぶやいていたし、少し前にうっかりと洋皿も割ってしまったので、焼き物を買いに東濃に行こうということになった。どうせ行くならとまず多治見の「岐阜県現代陶芸美術館」へ。もう出来てから16年ほど経っているようだが初めての訪問。大層な建物である。写真はエントランスだが長い廊下の先に建物本体の入り口がある。

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開会中の催しは「フィンランド陶芸」と「マリメッコ・スピリッツ」。最近もてはやされれいる北欧デザインだ。日本的感覚からは距離があるが面白くみた。「マリメッコ」は撮影ができるが陶器は駄目なので紹介できないのは残念。「マリメッコ」はバックなどになっているあの柄である。

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 今は特別展だけだと言われたので建物の凄さだけざっと見て出ることにする。三階から滝のように水が流れ落ちる造りになっていて、茶室も国際会議場もあるのはどうしてだろう。活用率はどの程度なのかと疑問に思ってしまう。

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 日本の焼き物をひとつも見なかったのが残念で昼食の後「美濃焼ミュージアム」に寄る。こちらはこじんまりした美術館で岐阜出身の人間国宝の方々の作品やら若手の斬新な作品やらを展示している。Tが古い陶器のかけらが美しいといったがなるほど織部や黄瀬戸などの破片が釉薬のみずみずしさを残していて美しい。

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 この二箇所の後は土岐市の道の駅「志野・織部」で買い物。見ているとあれもこれもほしくなるが本来の目的だけに。「くまさんのげんこつ」というシュークリームとお茶で今日の外出の打ち止めとする。


 

 

 

 

     縄跳の切り裂く朝の大気かな