台風

『俳句、はじめました  吟行修業の巻』   岸本 葉子著

 岸本さんの俳句本を読むのはこれが二冊目である。先に読んだ本に先行する一冊らしい。全編吟行での句作りの話。吟行は当方も苦手ゆえ、いい知恵でも授からないかと思って読む。苦労話がほとんどでこれといってヒントになるようなことはない。ただ読んでいて思ったのはやはり句作りには実感やら発見やら何か思い入れがないと駄目だということ。つまりやみくもに見たものと季語を結びつけたところで俳句にはならないということだ。もうひとつは思いをどう表現するかということ。この本でも高得点句として紹介されている句は表現がいい、姿がいい、調べがいい。

 以前読んだ本で龍太先生は吟行の心得として、皆が南窓の景色を愛でていたらあえて北窓の景色を見るというようなことをおっしゃていたが、これも発見ということであろうか。

 言葉でわかっていてもなかなか実践ではそうはいかず難しいものだ。

 

 

 今年いくつか目の台風が近づきつつある。まだ南海上というのに風はかなり強くなった。

 

 

 

 

     洗濯物飛ばし刻々台風来

 

 

 

 

花野

 この二三日冷房のいらない日々が続いて気分はすっかり秋めいてきた。あれほど煩かったクマゼミたちが鳴りを潜めて昼間も虫の声しきり。キチキチキチとけたたましい鵙の鳴き声で昼寝の夢を破られて、「おや初鳴き?」と隣のH殿に声をかける。このまま秋に一直線とはいかず明後日ぐらいからはまた暑くなるというが、さすがにあの猛暑だけはご勘弁願いたい。

 

『花びら供養』   石牟礼 道子著

 石牟礼さん最晩年の一冊である。

石牟礼さんは「救いがたい現世嫌悪」があると言われる。幼い頃さまざまな生き物と交わった渚を懐かしみ「この列島の近代というものが、産土の風土を、いかに骨ぐるみ腐食させ、隅から隅まで再生不能と思えるほどの化学毒の中に漬け込んできたか」と吐き捨てられる。その嘆きや怒りは及びもつかぬほど深い。もちろん原点には水俣の水銀汚染がある。が、それだけではない。どこもここも三面コンクリート張りになってドブになってしまった小川も、田舎を見下げてきた風潮も、テレビに映る下品な映像もなにもかも「この国の精神のたががゆるんでしまったにちがいない」と嘆かれる。深い深い絶望である。読んでいて息苦しいほどの絶望である。石牟礼さんほどの鋭敏な神経をもたぬ身にもこの世の歪みはそれなりに感じられて、如何ともしがたい澱のようなものが胸に貯まった。

 

 

 

 

     花野揺らして鳥たちの朝餉かな

 

 

 

 

花びら供養

花びら供養

 

f:id:octpus11:20180819152145j:plain

 

 

 

 

敗戦日

 お盆でも病院の診察はいつもどおりということで先日の検査結果を聞きに行く。CTで見えるかぎりはきれいになくなっているということで、まずは悪い結果ではないと言われる。しかし、さらに詳細な検査をしないことには確かなことはわからないと、来週には内視鏡検査、ふた月後にPET検査をすることになる。風邪かなにかのように症状がなくなったから完治といかないところが厄介だ。もっとも当方と同じ頃癌が見つかった翁長さんがもう亡くなってしまったことを思えば、悪い結果になっていないだけでも感謝しなくてはと思う。

 昼に帰宅。昼食の焼きそばを作りつつ胸のなかで黙祷する。わが齢と同じ73回目の敗戦の日である。

 

『カラスの教科書』    松原 始著

 「日本野鳥の会」の機関誌で著者とこの本のことを知った。なかなか軽快なタッチの楽しい本である。

まずカラスという鳥はいないらしい。町中にいるのはハシブトガラスハシボソガラスで、多分我が家を縄張りにするのはハシブトガラス。カラスは案外長生きで飼育下だと40年も生きるらしい。一夫一婦制で基本的には毎年同じ連れ合いと営巣するらしいが、中には離婚もあるという。営巣中は縄張り意識が強いらしい。確かにカラス同士の大喧嘩を見たこともある。巣立つ雛はせいぜい一羽か二羽で、それも毎年うまく育つとは限らない。うちでも巣立ちしたばかりの雛を猫がかみ殺したこともあった。子育て中は非常に警戒心が強い。そういえば一昨年には頭をキックされた。最大の攻撃は背後からの頭キックでまちがっても前からは来ないらしい。これはカラスも人間を恐れているからと著者の意見。カラスは大食い。小雨の降る今も畑をうろつく二羽を見るとこれも納得だ。カラスは賢い?まあ愚鈍なハトよりは人間的知恵はあるらしい。

 などなど身近なカラスに関するあれこれでカラスを見る目が変わったことは確かだ。だからといって優しくしてやろうという気にはとてもなれない。

 

 

 

 

     丸刈りの球児躍動敗戦日

 

 

 

 

カラスの教科書 (講談社文庫)

カラスの教科書 (講談社文庫)

 

f:id:octpus11:20180815154449j:plain

帰省

 「大気不安定」の予報に違わず午後になり雷雨。何日分をまとめたような降りかたで一時は短時間あたりの大雨警報もでるほど。これで草花は一息ついたのは間違いない。もっとももう手遅れというのも現実で「もう今年の野菜は諦めた」という声も聞く。我が家も例年なら消費できないほどのゴーヤすら出来ず採れるのといったらオクラぐらいしかない。

 明日からの盆の用意で暑い中墓掃除に行く。自分の考えでは墓は苔むすくらいでいいように思うのだが周りが綺麗に磨かれるから形だけでも洗ってきた。一昨日かテレビの「風土記」で各地の盆行事の特集をやっていたがこの辺りは全くシンプルで助かる。仏壇にはちょっとしたお供えをしてあとは提灯をさげて墓参りをする程度である。その提灯はどういうわけか紅白の縞模様である。

 そんなわけでたいした行事はないのだが明日はY一家がきてくれるという。亡き人を偲んでみんなで楽しく会食するのも供養になるかもしれない。

 

 

 

 

     父母の家更地になりて帰省せず

八月

流れる星は生きている』   藤原 てい著

 毎年この時期は戦争文学を読むことにしている。このふやけきった時代に、せめてあの戦争の悲惨さを忘れないためと亡くなった人々を悼んでのつもりである。

 今年はTの本棚にあったこの本にした。戦後の話題の本であったというから気にはしていたのだが辛い話であろうと平生は躊躇していた。著者は新田次郎夫人、藤原正彦さんのご母堂である。敗戦間際の旧満州から一年以上をかけての引き上げの記録。それも五歳と二歳と生後一ヶ月の幼子を連れての食うや食わずの飢餓の一年、悲惨な記録である。読んでいる途中に三人の子どもさんの誰かが亡くなるのではないかと気が気ではなく、端折って後半を読み三人とも無事に帰り着かれたことを知ってまず安堵した。それにしてもていさんは強い母親であった。何度も命の危機はあったのに、知恵や勇気やときには屈辱にも耐えて子どもたちを守りぬいた。とても真似はできそうもない。それでもいざとなれば母は強くなれるのだろうか。そんな辛い母性が試されない時代で本当に良かった。

 戦争だけは絶対に駄目だとわかりきっているのに、世界の紛争地では今もていさんと同じような悲惨な難民の親子の姿がある。こういう人間の愚かさに時に絶望的な気持ちに襲われる。

 

 

 今日はこれからひと月半ぶりの病院である。昼食ぬきでCT検査。その後の経過観察である。検査結果は一週間後ということだ。体重もすこしずつ回復して気持ち的にはあまり心配はしていない。

 

 

 

 

     八月や忘れてならぬこと数多

 

 

 

 

流れる星は生きている (中公文庫)

流れる星は生きている (中公文庫)

青蜥蜴

 何十年ぶりかに野生のカブトムシが現れた。

暑さで散った病葉を掃いていて見つけたものだ。コガネムシにしては大きいなと家人を呼んでカブトムシのメスにちがいないとなった次第。落ちた柿の実を皮だけ除いてきれいに食べている。少し元気がないように見えるが静かに見守ることにする。昔々夜の光に飛び込んできた記憶はあるが、何十年前だったか。ごそごそ我が家にはまだ自然が残っているらしい。

 そう言えば今年はこれも何十年ぶりかで青蜥蜴を見た。綺羅をきらめかす青蜥蜴はニホントカゲの幼体らしいが長いこと見なかった。蜥蜴といえばカナヘビの茶色ばかりで猫が捕らえてくるのもそればかり。絶滅したのかと思っていたのだが今年は三回も現れた。

 一方、今年庭で見ないのはトノサマガエル。少し前までは庭の睡蓮鉢に何匹も涼んでいたのに今年は一度も見ない。睡蓮鉢もお湯になる暑さだから当然かもしれないのだが。

 

 

 

 

     境内のラジオ体操青蜥蜴

 

 

 

 

f:id:octpus11:20180804102142j:plain

熱帯夜

『綾蝶の記』   石牟礼 道子著

 逝去後のエッセイ集である。三部に分かれていて、変わらぬ水俣病に関しての発言や自分史についての講演・インタビューや対談・書評も含む。私なぞにはとても掴みきれぬ人であるが、石牟礼文学に脈打っているものは言葉以前への感性への関心というか憧憬というかそんなものであるような気がする。白川静先生へのなみなみならぬ敬譲も梁塵秘抄への傾倒も、神や仏、聖なるものとの原初の交信を追い求めてのことにちがいない。

「人間社会にほうり込まれて見れば、この世界は、大自然の中ではまことに人工的、計算的で従って矮小で、毒臭さえ放っている。」と言わしめたこの世から飛翔して、今は無限の光のなかで綾蝶(あやはびら)として羽ばたいておられるであろうか。

 

 

 今日は長い間気になっていた換気扇フィルターの掃除をする。いつもあまり汚れないうちにと思いながらついつい億劫で一年に一回になってしまう。暑い時期のほうが汚れが落ちやすいと大決心で開始。面倒なことに取り組むだけ気力が回復してきたかな。

 当地は今日も40度近い猛暑となりそうだ。

 

 

 

 

     赫々と火星接近熱帯夜

 

 

 

 

 

綾蝶の記

綾蝶の記