半夏生

 友だちのIさんに所用があってメールを入れる。折り返し電話が鳴って、体調が悪いのだと言う。39・5度ほどの熱がでて、身体に力が入らず救急車で病院に搬送されたのだというのだ。まだ二週間ほど前、こちらの体調を気遣って電話をくれたばかりで、その時はこちらを励ますことばかりを言ってくれたのにである。結論的に言えば疲れに加えての熱中症だったということらしいが、恐ろしいものである。最近とみに「熱中症注意」などというが、考えている以上に侮れないもののようだ。

励まされていた方が元気な声だと言われ、励ましていた方を気遣うなどと、おかしな話になってしまったが、いずれにしてもトシヨリはどこに落とし穴があるか、つくづく注意が肝要。いやいやまだ当方より四つも若いIさんをトシヨリ扱いにしてはいけないがこれは自戒の思いである。

 

 今日は「半夏生」。ちょうど一年の半分らしい。前半は酷い半年だったから後半の明るさを期待したいなと思うのだが、庭をうろつく鴉に甘い甘いと笑われそうだ。

 

 

 

 

   卓上日記いま真二つ半夏生     鈴木 栄子

 

 

 

 

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七月

『晩春の旅 山の宿』    井伏 鱒二著

 先日読んだ岡武さんご推薦の随筆集である。「晩春の旅 山の宿 広島風土記 取材旅行 釣り宿」と五つに分かれている。巻末の「人と作品」は何と飯田龍太先生。井伏さんと龍太先生は膨大な往復書簡もあるくらいだから宜なるかなと思う。

 龍太先生は「この一集のなかの、一編をえらぶとしたら」と自問自答して巻末の「釣宿」を選んでおられたが、当方は「広島風土記」のなかの「志賀直哉尾道」を選びたい。何でも『暗夜行路』の執筆は尾道の古ぼけた棟割長屋に滞在してのことだったらしいが、同じ長屋の住人である婆さんとの交流に纏わる話である。ちょっと長いが一部を引用すると

どうも怪しいというので、村上のおばさんをはじめ近所の人たちは、アイ婆さんをのぞくほかは誰も志賀さんをおそろしい人だと思っていた。ところが志賀さんが尾道を引きあげた後、よほど年月を経てアイ婆さんのところへ、志賀さんから新刊の「暗夜行路」を送って来た。婆さんの鼻の高さはなみたいていではなかったが、この婆さんはろくに字も読めないし、もう目がかすんでこまかいものは見ることができなくなっていた。それで村上のおばさんが婆さんのために「暗夜行路」を少しずつ朗読してやることになった。近所の長屋のおかみさんたちも、それを志賀さんが書いたのかと集まって来て村上のおばさんの朗読を傾聴するようになった。

 雨の降った日や仕事のひまなときには・・・みんな傾聴するのであった。なかんずくその文中、アイ婆さんが尾道弁で話すところや尾道風景の描いてあるところを朗読する段になると、おかみさんたちの所望によって・・・くりかえしくりかえしそこを朗読した。するとアイ婆さんははおきまりのように涙にかきくれて、もうその部分だけは文章を暗記しているおかみさん連は声をそろえて暗誦する。

  こんなふうに「暗夜行路」を読み込んだのはこの長屋のおばさんたちだけではなかったかと筆者も驚いているが、何だか感動的な光景ではないか。実は「暗夜行路」は読んだことがないのだがアイ婆さんの登場するくだりだけでも読んで見たいと思ったことだ。この本によると志賀はその後も婆さんに金銭をとどけたりしてなにくれとアイ婆さんを気遣ったという。それもまた、いい話である。

 

 

 

     七月や激しき雨に目覚めたる

 

 

 

 

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晩春の旅・山の宿 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

晩春の旅・山の宿 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

涼風

 昨日、二週間ぶりの受診。前回の受診の翌日から胃腸の調子が良くなく、また二キロも痩せたので正直落ち込んでいた。みるみる痩せていかにもがん患者さんだなとよそ目に思うことがあっても、まさか自分がそうなるとは思ってもいなかった。

 受診では血液検査の結果はみんな正常値に戻り、栄養価もどうにかクリアしてるということでほっとする。次回受診は一月半後でその時はまたCTでの検査となる。副作用も治まってきたようなので何とか体重の回復を目指したい。一昨年まではウエストを広げることにきゅうきゅうしていたズボンがダブダブで全く皮肉だ。

 図書館の新刊コーナーで『余命3ヶ月のガンを克服した私が毎日食べているもの』という本を見つけて借りてきた。なかなか難しくて簡単に真似はできそうにない。まあ取り入れできそうなところだけでも真似をしてみるかなあと思ったりする。

 

 

 

 

     涼風の道見つけたり白カーテン

 

 

 

 

余命3カ月のガンを克服した私が毎日食べているもの

余命3カ月のガンを克服した私が毎日食べているもの

 

百合

羊と鋼の森』    宮下 奈都著

 帯に「史上初!堂々の三冠受賞」とある。どんな本かと興味をもって読んだ。内容はピアノの調律の仕事に魅せられた青年の成長譚ともいうべきものだ。主人公の彼は純粋で今どき珍しいような青年で周りの人々にも愛されている。悩みはあっても煩悶も葛藤もないという世界でひたすら美しい音を追い求めていく。こんなふうにまとめてしまうと身も蓋もないのだが私にはちょっと退屈だった。まだ同じ著者の『静かな雨』のほうが余韻があったような気がする。

 

 昨夜のW杯は見ないと決めて寝たのだが、結局家人の声で目が覚め結果を知ることに。

一挙に暑くなり何だか蝉の鳴き声も耳にした。聞き慣れない声だが蝉にまちがいなさそうでいよいよ夏本番の気配。

 少しだけ元気が出てきて布つなぎなどパッチワークのまねごとのようなことを始めた。体調がよくなれば自然にやりたいことがでてくると、ふきのとうさんに教えていただいたとおりである。

 

 

 

 

     熟年は遠く過ぎたり百合匂う

 

 

 

 

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羊と鋼の森

羊と鋼の森

立葵

本日は「夏至」。この時間(午後4時)に至りてやっと長い日の陽射しが差してきた。「夏至」で一句物しようと思ったのだがどうしても出来ず。ならば他人様のをお借りしようと思ったがこれも案外なし。また、来年への課題である。

 畑の夏野菜が本格的に採れだした。ありがたいことだがちょっと食べきれないほどの量になりそうだ。

 

『お釈迦さま以外はみんなバカ』   高橋 源一郎著

 源一郎さんファンのTから回ってきた一冊。「ちょっといい話、ゆるゆる人生訓・・・読めば救われることばの数々」と帯にあるが、いやいや面白い話の数々。久しぶりになんにも考えずニヤニヤしながら読んでいる。中身からひとつだけ紹介すると、バカにしたような題名は実は真面目なお話。これは玄侑さんの『さすらいの仏教語』からの紹介なのだ。バカとはもともとは僧侶の隠語であり、「莫迦」と書き、「莫」は否定「迦」はお釈迦さまを表すので「莫迦」は「お釈迦さまではありません」ということになるらしい。つまり悟りを開いた人以外はみんな「莫迦」。納得いたしますねぇ。私なんぞはどうあがいても一生「莫迦」で、安心もする。

 

 

 

 

    夕刊のあとにゆうぐれ立葵   友岡 子郷

 

 

 

 

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桜桃忌

 昨夜はW杯がらみで就寝が遅くなった。サッカーの緊張感を伴う目まぐるしさには体力的についていけないと、蒲団の中で耳だけで応援していたのだが、勝利でついに起きだしてしまった。おかげで夜半すぎまでなかなか眠つかれなかったのはつらかった。

 幸い今日は終日の雨で、だらーとビデオに録った映画を見ることに。

2016年の是枝裕和監督の「海よりもまだ深く」。主演は阿部寛。「こんなはずじゃなかったと今を生きる家族」の話という。主人公はかって一度文学賞を受賞した栄光が忘れられない小説家。いまは取材と称して探偵稼業で身をすり減らし常に小金にも困っている。別れた妻子にも未練があるのだが養育費すら工面出来ない。そんな息子に樹木希林の母親が言う。「人生なんて単純なものなのよ。海よりも深く愛したことなんてだれもないけど、みんな楽しくやってるじゃない」と執着を捨てて今を大事に生きることの大切さを語る。それに対して主人公は息子に「パパはまだなりたかったものにはなれてない。でもなろうとする気持ちが大事なんだ」と話すのだ。

 何だか先の見えないやるせないような終わり方ではあったが母親も主人公もどちらの気持ちも肯うことができて、まあ人生なんてそんなものですねぇというしみじみした感慨。是枝さんの「歩いても歩いても」もよかったがこの作品もよかった。

 

 

 

 

     桜桃忌樋ほとばしる雨の音

 

                  昨日19日 桜桃忌

 

 

植田

『人生散歩術』    岡崎 武志著

 「こんなガンバラナイ生き方もある」と題して「脱力系文学者」の人生と作品を俯瞰しようという試み。選ばれたのは井伏鱒二高田渡吉田健一木山捷平田村隆一古今亭志ん生佐野洋子の諸氏。いずれ劣らぬそうそうたる顔ぶれである。

 同じ脱力系といっても多彩な趣味に生きたという井伏氏もあれば自分に正直に思うがまま生きたという佐野氏、思うがままが突き抜けて破天荒というほどの生き方をした高田氏や志ん生氏などひとくくりには出来ない。それにしてもかなりの人はよく飲む。飲むことが彼らの個性と感性を育んだということもあろうが、死期を早めたのも事実であろう。

 「刻苦勉励」系でも「脱力」系でも過ぎてしまえば人生は短い。どっちつかずの生き方をしてきた身には思うままに生きたというのは羨ましいが、それも才能や運や資質があってのことだろう。他人事だからこそ楽しく読ませていただいた。

 

 

 本家のYちゃんが田植えもすんだからと、顔を見にきてくれた。Yちゃんは従兄弟のお嫁さん。早くに夫を亡くし舅につかえながら田畑を守ってきた人。その彼女が嘆く。「日本の一次産業はどっかでまちがってしまったねぇ」と。Yちゃんところは今年も田植えをしたのだが、ほとんどが今は委託なんだという。委託されたところもそうもそうも請け負えず断ってもいるというから早晩荒れ地になるか、宅地になるか。ともかく我が家周辺はどんどん宅地化されて小さな建売が並んでいる。植田に鳴く遠蛙も聞かなくなって久しい。

 

 

 

 

     この国のこれがはじまり植田澄む

 

 

 

 

人生散歩術 こんなガンバラナイ生き方もある

人生散歩術 こんなガンバラナイ生き方もある