日傘

 「はてなダイアリー」のサービスが変更されるということで、ブログの移動を検討している。近日中に行いたいと思うのでその節はよろしくお願いします。前の画面が気にいっているのでとても残念だがしかたがない。
 
 夏野菜の収穫の最盛期。今年はうまくいってトマトなどもご覧のとおり。なかなか家庭内だけでは消費しきれないほどで、人にあげればまた違った野菜が返ってきたり。ゴーヤも採れだしたので今朝から甘酒に加えてゴーヤジュースも。




     寄り添うて日傘ひとつに夫婦かな






日の盛り

「火花」 又吉 直樹著
 重版に重版を繰り返した話題作である。今さら何かを語るまでもあるまい。舞台はお笑い芸人の世界だが誰もが思い当たるような青春の友情・挫折物語だ。又吉さんを彷彿とさせる語り手の徳永は、はからずも青春期を離陸した。仮に又吉さんだとすれば、それも見事な飛翔だ。一方、神谷はどうしただろうか。「理想が高く、己に課しているのも大きかった」「周囲に媚びることも出来ない」と徳永に言わしめた神谷。才に溺れた彼が行きついた果ての奇行の哀れさ。彼は「本物の阿呆か、自分を真っ当であると信じている阿呆か」どちらであろうか。いずれにしろ青春期の熱病にいつまでも取り憑かれているのは「阿呆」であろう。私達の時代にもそういう「阿呆」はいたからこの話は痛々しく心に沁みた。




     幸薄き人を送りし日の盛り



 何年か前、暑い盛りに逝った人を思う。いつも世話になった美容師さんだった。不幸な生い立ちで、長じてからは道ならぬ恋で一人息子を授かったが、三十代の若さで癌に負けた。この句は彼女の思い出に繋がる鎮魂句。


火花

火花

星祭

 二十四節気小暑」。いよいよ暑くなる頃の謂か。
 今日は「七夕」。新暦と旧暦と月遅れとあるが、最近は新暦の行事にすることが多いようだ。毎年、梅雨の最中で星空は思うべくもないが当地は今夜は晴れそう。最も、灯りがきつくて星空は見られないが。子どもの頃「天の川」を見た記憶はあるが、あれはまぼろしだったのかしらん。
 子どもの頃の「七夕」は、もちろん月遅れでお盆前の行事だった。村なかに竹藪は普通にあったから、一本いただいて笹飾りをした。里芋の葉の露を集めて墨を擦り願いごとを書く。こうすると習字が上達するという。近所の駄菓子屋で買った短冊の模様、器用な母のつるし飾りなどを思い出す。一夜明ければ笹飾りを川に流したのだが、あれは厄払いの意味もあったのだろうか。今なら環境悪化で叱られてしまう。
 俳句ではむろん旧暦の行事で季語も秋の部。今年は八月二十八日。空の澄んでくる頃である。

 昨夜、「月下美人」初咲き。去年も書いたがこの花は同じ日に何花が同時に咲く。昨夜は三花が咲いた。十三夜の澄んだ月夜で、まさに「月下美人」。




     星祭手を添へて書く願いごと





サングラス

茨木のり子の献立帖」・「茨木のり子の家」 
 この二冊ですっかり彼女の私生活に詳しくなってしまった。二冊とも写真集と短文である。前者には家庭人として家計のやりくりや料理に勤しむ彼女の献立表と日記。頻繁に表れるYという同伴者のことも含めて、若き日の活き活きした楽しげな家庭生活が伺われる。ここにはあの毅然たる近寄りがたいような「茨木のり子」は存在しない。それよりもなかなかの料理上手でいつもYを想う一人の女性の姿。後者は亡くなるまで暮らし続けた家の詳細。文人らしい落ち着いた雰囲気の室内である。彼女が前もって用意したと思われる「お別れのことば」の草稿も載る。そこにはやはり最期もしっかりと己の意思で締めくくろうとする毅然たる「茨木のり子」の姿がある。

 昨日、こちらは今年一番の暑さ。34・5度。蒸し暑く気温以上に過ごしにくかった。久しぶりの雨間だからHと畑の草取りを短時間頑張ったのだが、後がいけなかった。このところ誤作動を繰り返していたリビングのエアコンがとうとう駄目になった。夜はどうにか念力で動かしたが間の悪いことである。新しいのの取り付けは明後日。

東京都議選、他人事ながら溜飲が下がる。





     サングラス老化防止のこと言わず

 

茨木のり子の献立帖 (コロナ・ブックス 207)

茨木のり子の献立帖 (コロナ・ブックス 207)

茨木のり子の家

茨木のり子の家

七月

 「はつ恋」 ツルゲーネフ
 こんな古い本を出してきたのも、近頃は読みたいものがなかなか見つけられないから。図書館の書棚を見回しても小説家も俳人も歴史家も目に付くのは故人ばかり。好きだった人は大方鬼籍に入ってしまわれたのは、こちらも歳をとったせいか。
 先日何かの書評欄に上がっていたので思い出して読むことに。昔々学生の頃、読んだはずなのに何も覚えていない。多分ストーリーだけを追ってそれで終わったにちがいない。今だってたいしてかわりはないのだが、歳をとっただけにジナイーダの軽薄さも残酷さも身勝手さも若い女性の一面としてうんざりするほどよくわかる。こういうのを男性の目から見てありありと生き生きと描いたのだから、やはりツルゲーネフは凄い。
ところで、最終節の最後の部分がどうもわからない。貧しい老婆を送った後の述懐である。この辺はかれの宗教意識が書かせたところだろうか。書かずもがなという気がしないでもない。

今日、「半夏生」。半夏(カラスビシャク)の生える頃。一気に蒸し暑くなり階下でも冷房初入れ。
 H殿の西瓜初収穫。トマト・茄子・胡瓜・万願寺と続々と食べ頃。
 蝉の初鳴き。我が家では去年より一日早い。




     七月の青き水ゆく竹の奥   石原 舟月




はつ恋 (新潮文庫)

はつ恋 (新潮文庫)


 

梅雨

「蒲生邸事件」 宮部 みゆき著
 面白かったと人にも薦めてきたのが、この人の「火車」。「理由」と「模倣犯」も読んだがSF風仕立てのこの本にはなんとなく触手が動かなかった。以前読んだ本で、関川さんと鶴見さんが高評価されていたので読んでみようと思った次第。随分厚い本なのにぐんぐん読めたというのは面白かったということか。だがタイム・スリップという設定があまりにも非現実的で(そこはSFなんだから当然なんだが)冷めた気分は終始拭えなかった。鶴見さんは随分登場人物と同化していらしゃったようだけど、この時代を同じように生きた人だから故なきことかもしれない。今朝の新聞に筆者の文庫本「荒神」の宣伝があったが、近頃の筆者の作品は同時代を取り上げるものが少ないように思う。本当はそういうものを読みたいのだが。

 贔屓球団がやっと勝ちだした。交流戦後5勝1敗。僅差で勝つハラハラの展開だが、ようやく面白くなってきた。H殿もご機嫌である。




     梅雨深し靴に詰め込む新聞紙




蒲生邸事件 (文春文庫)

蒲生邸事件 (文春文庫)

梔子(くちなし)

北政所」 津田 三郎著
 基本的にフィクションよりこういう歴史ものが好きだとつくづく思う。副題に「秀吉歿後の波瀾の半生」とある。慶長三年秀吉が63歳で死んだ時、北政所は51歳。寛永元年77歳で亡くなるまでの26年間、豊国神社の別当「梵舜」の日記を中心に語られる。栄華を極めた女性であったが、相次ぐ身内の死、(小早川秀秋も長政も清正も正則もみな彼女の縁者であった)豊臣家の滅亡、豊国神社の破却など晩年は失意の連続であったという。従来秀吉菩提のため建てられたとされた「高台寺」は養父母の供養と自分のための寺であり、神として祀られた秀吉を迎えることはなかったというのも新説。
 今回初めて知ったが、阿弥陀が峰の「豊国廟」は、明治半ばまで捨て置かれて発掘、甕棺が見つかり明治30年に五輪塔が設置されたそうだ。案外新しいもので思いもよらなかった。関連で検索してもうひとつ知ったのは秀頼のこと。昭和55年に大阪城三の丸跡の発掘で若い男性の頭蓋骨が発掘され断首のあとから秀頼ではないかとされ、清涼寺に葬られたという。清涼寺に「秀頼首塚」があるとホームページに。これも初めて聞く話でとても興味深い。
 それにしてもねねは14歳で秀吉と結ばれたという。最近でも凄い14歳が話題になってはいるが、早熟だったのだなあと、感心。

 
 やっと色づき初めたトマト二つ、早速カア公に突かれる。毎年対策が後手になるH殿と素早いカア公。どちらが賢いか判断は控えますが、H殿はがっかり。




     梔子の著(しる)き匂ひや雨もよひ





北政所―秀吉歿後の波瀾の半生 (中公新書)

北政所―秀吉歿後の波瀾の半生 (中公新書)