『裏日本的 くらい つらい おもい みたい』 正津 勉著
今朝ー0・7度、この冬一番の冷え込み。奥美濃の積雪は40センチと昨夜のニュース。
奥美濃と隣り合った筆者の産土(福井県大野市)も、多分どっしりとした雪ならん。
「ここがいがいに大陸に近くあって、上代より交易を盛んにおこない、文物また人流を受けいれること、どんなに豊穣な地であったか。・・・それなのにどうして利の無きがごとくされたか。」
著者の苛立ちと土地愛で、ここに紹介された多くの先人たちの「『裏の心の所産たる詩と文』は、もとより惹かれたかの地へのさらなる憧れと興味を掻きたててくれた。
裏日本とあるが、対象は若狭から北越まで。それぞれの土地にゆかりのある文学者たちの事績と土地賛歌である。筆者が詩人であるゆえか、詩人・歌人・俳人が多い。
印象に残ったのは水上勉・山川登美子(歌人)・歌川(享保期の遊女で俳人)森田愛子(俳人)道元・鮎川信夫(詩人)岡部文夫(詩人)深田久弥・鶴彬(川柳人)中野重治ら。
中でも戦後詩人の代表ともいうべき鮎川信夫が石徹白の出とは驚いた。石徹白は今は奥美濃の深奥だが、昭和33年以前は福井の最深部であったことも。鮎川の父は、その僻村出のエリートで、信夫とは反目し合う他なかった親子だったらしい。しかし、モダニスト詩人の信夫にして「帰るところは そこしかない」と歌わせた石徹白の山野。
中野重治の父との確執もまた、自明とは言え哀しいものだ。中野は故郷を歌ったが故郷には帰らなかった。跡を継ぎ、土にまみれて生きたのは妹の鈴子だったという話。
深田久弥の『百名山』誕生秘話も初めて知ったが、彼が俳人だったというのも初耳であった。
雪嶺に向ひて町を行きつくす 久山
ふるさとに似たる山あり遠霞む 久山
本文中で惹かれた詩や歌は多いが、ここは紹介されていた「裏日本的」俳句をいくつか拾っておきたい。雪が解けたら、また「みたい」土地であるゆえ。それにしても雪ゆき、雪と寒さだ。
奥底のしれぬ寒さや海の音 歌川
からからと深雪のそこの機屋かな 皆川爽雨
塩田に百日筋目つけ通し 沢木欣一
鰤網を越す大浪の見えにけり 前田普羅
裏日本ふきぶりはげし素寒貧 正津 勉
柚子湯して獅子身中の虫なだむ
本日、冬至。柚子湯は心身を浄めるためのものらしい。
明日にはそろそろ正月用意の買い物でもするかと。今年も「数え日」になってきた。