露の世

滋賀 竹生島

 秀吉の城は、今の大阪城の地下七メートルに埋もれているのだという。華美を誇ったその城はどんなものだったのか。竹生島に行こうと思ったのは、そこにかの城の遺構が現存するという興味からだ。

 竹生島は琵琶湖のまっただ中に浮かぶ小島で、船で行くしかない。ルートは三つほどあるが、私たちは長浜からの船を利用した。前もって予約をしておいたが、意外と乗船客は多い。マイナーな観光地のせいか外国人の姿はない。

 島まで三十分。琵琶湖は海だ。

 さて、島に着くといきなりの165の急階段。なにしろ湖上に屹立した花崗岩の巖島で、山を登るしかない。ここで老いを痛感させられたが、なんの助け舟もないから手摺を頼りにひたすら登る。周りの観光団体の同年輩も、誰も青息吐息。

 まず宝厳寺の弁財天を祀る本堂。日本三大弁財天のひとつという。外陣には願い事を書いて奉納する姫だるまがびっしりと並べられている。弁天さまは帝釈天の奥さん。八本の腕で女性にしては武具をたくさん持っておられる。

 お目当ての観音堂の唐門である。大阪城の唯一の遺構(極楽橋)といわれ、国宝である。令和2年再彩色などの修復が施され実に艶やかでみごと。桃山時代建築の粋である。本尊は千手千眼菩薩、西国三十番札所である。

 

 観音堂から都久夫須麻神社に続く船廊下(重文)。朝鮮出兵の折に秀吉の御座船として造られた日本丸の舟櫓を利用して造られた。

 船廊下でつながる都久夫須麻神社はもとは寺と一体であったが、神仏分離で神社として独立したもの。琵琶湖の水に因む神様だ。伏見桃山城の御殿を移築したもので国宝である。正面は彩色は落ちてるものの華麗で細密な彫刻で飾られているが、撮影は出来ない。

 

     露の世やなにわのひとの夢のあと

 

 島に滞在時間は90分。住人はいない神と仏だけの島であった。

 来た船と同じ船で長浜港を目指す。

 やや風があり白波はたつが暑くも寒くもなく、秋空は晴れ渡り快適。

 七十八歳の誕生日としては、申し分ない一日であった。

 

     湖(うみ)へだて伊吹ひときわ秋の空