着ぶくれ

「ネコはどうしてわがままか」  日高 敏隆著

 気分が乗らないというか何と言うか面白い本に出会わない。図書館から借りてきたものもつまみ読みをして放り出したまま。「何か面白い本ないですかぁ」とTやH殿の本棚を渉猟する。その結果、これは全く気楽に読めそうとTの本棚から持ってきた一冊。

 初めて知ったことがいろいろだがまず一番役立ちそうだと思ったのはムカデに関すること。我が家は古いし木に囲まれているので、夏場に悩まされるのは「ムカデ」。名前を打ち込むだけでゾーとする存在。この本によればムカデは熱に弱いらしい。せいぜい40度くらいのお湯を掛けられてもひっくり返るので風呂場に出てきたら湯水を掛けるといいとある。なるほどと思うが風呂場には出てきてほしくない。

 他にも初耳はいっぱいだが「ミズスマシ」が四つの目玉の持ち主だということ。水面に浮かぶ彼らは上を見るための目と下(水中)を見るための目と都合四つの目があるらしい。加えて水平な水面は波の動きを触覚でとらえるらしい。進化というのは全く不思議ですね。こんな凄い進化をしてきたのに近頃はあんまり見かけなくなったのは残念。人は思った以上に酷いことをしてるのかもしれない。

 本棚に日高さんのものはまだ何冊か並んでいるが、まとめて読むかどうしようか悩むところです。

 

 

 

 

     着ぶくれて耳の先だけ尖りをり

 

 

 

 

ネコはどうしてわがままか (新潮文庫)

ネコはどうしてわがままか (新潮文庫)

大寒

「生き上手 死に上手」  遠藤 周作著

 題名に惹かれて読んだが面白くなかった。随分死ぬことを恐れていろいろ書いておられるが、筆者六十代後半、いまならまだまだ若いといってもよい年齢である。文中、ある集まりでふとしたことから「死ぬのはこわいか、こわくないか」という話になった時、男たちが情けなくも「こわい、こわい」と正直に告白すると、居合わせた女性たちが「全くこわくない」と言い返す話がでてくる。癌でも病を笑い飛ばすように書き続けた佐野洋子さんなどを思うと、女性の方が肝が座っているといえるかもしれない。さてお前はどうか問われれば、今のところはさしたる切迫感はないが、どうなるであろうか。この本にもキューブラー・ロスの話が出てくるが「死は繭(肉体)を残して蝶になる」という考え方には心惹かれる。熱心な信仰者ではないが、そういう考えを頭から否定しようと思わないところにわたしのやすらぎもあるかもしれない。

 

 今日は二十四節気のひとつ、「大寒」である。来週はこの冬一番の寒気の流入がありそうで、今から戦々恐々。掲載句は長野オリンピックの時のもの。街角に立って聖火のやってくるのを待った思い出がある。もうすぐ冬季オリンピックらしいが、あまり「メダル、メダル」と言わないほうがいいように思うのだが。

 

 

 

 

     大寒の待つ一点に聖火見ゆ

 

 

 

 

 

四温

 終日暖かい雨である。暖かいというだけでこんなにも伸びやかな気持ちになれる。昨日は図書館に出かけたのだが、散歩をしている人を随分見かけた。誰の思いも同じらしい。

 今日は降り込められているから今年初めてのマーマレード作りをする。甘夏三個で二瓶もできた。皮を煮つめた後の蜜柑汁もペットボトルに保存。これが汚れ落としに結構効果がある。ちょっとしたワックス代わりにもなるので床の汚れなどには重宝する。

 

 

 

 

     四温とて酸素ボンベと出でませり

 

 

 

 

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女正月

風土記の世界」   三浦 佑之著

 「風土記」は元来和銅六年、律令政府によって正史「日本書」の地理志を編むための資料として各国に出された命令の解(報告文書)らしい。後世の写本だがほぼ残るものは、「常陸国風土記」と「出雲国風土記」を始めとする五か国で、収録された内容もさまざまであるという。筆者は「日本書記」や「古事記」との内容の違いを問題にしながら、そこに中央政権と地方との関係を明らかにしてみせる。

 例えば「常陸風土記」には正史にはなかった「倭武(ヤマトタケル天皇」への熱い思いが語られており、中央で「天皇家の歴史が確定する以前のもうひとつの歴史や系譜が垣間見える」とする。「出雲風土記」についてはさらに踏み込んで「古事記」の出雲神話風土記や書紀に見られないのは「排除したほうが律令国家の神話を叙述するにはふさわしいというきわめて政治的な作為がはたらいた結果」だと断言している。出雲についてはヤマト政権に対峙する確たる力があったことは疑いのないことのようだ。そしてまた、ヤマト政権がそれを恐れていたことも事実であろう。それにしても出雲の神々の活躍を大きく扱った「古事記」というのはどういう存在であろうか。この本では「古事記」については書かれてないのでそのあたりの本を読んでみたいと思う。

 「出雲風土記」は以前「八雲立つ風土記の丘」のミュージアムショップで購入したもので、読んだことがある。国引き神話などが記憶に残っているがその時感じた素朴な疑問。各地の動植物の記載があるのだが「熊・狐・猪・兎・猿」などが出てくるのに「狸」がない。人里近い動物だと思うのに不思議である。

 

 Yより「私もマルティアさんの腹巻き帽子を編んだよ」と帽子をかぶった孫の写真つきのメールがきた。もうふたつ目に挑戦中らしい。親子で同じようなことに興味をもっていたようで面白かった。この寒さで指が痛く、こちらはなかなか取り掛かれない。

 

 

 

 

     本を買いかるき昂ぶり女正月

 

 

 

 

風土記の世界 (岩波新書)

風土記の世界 (岩波新書)

冬銀河

「静かな水」  正木ゆう子著

 正木ゆう子さんの第三句集である。平成六年から平成十四年までの296句を収録とある。今は第五句集が話題になっているようだから少し古い。正直に言えば本屋で句集を購入したというのは数えるほどしかない。結社にいたころは買わされたり寄贈されたりがほとんどで、結社を離れてからは個人句集を読むということはなかった。だからこれもたまたま図書館で見つけたものである。正木さんといえば実力者のひとりで、正木さんの書き下ろされた「現代秀句」はちゃんとお金を払って買ったし今も愛読もしている。さて、久しぶりの句集の読後感である。

 自分の感性の鈍さを棚に上げてあえて選べばれば心に響いてノートに書き写したのは50句ほど。感性に訴える水や月を対象にした幻想的な作品が目立つ。

 水の地球すこしはなれて春の月

 春の月水の音して上りけり

巻頭と巻末に置かれた呼応するような印象的な二句である。想像の世界だと思うが美しい世界である。こういう句の一方に素直に自然や日常を称美したものもあり、わかりやすく共感できる。

 揚雲雀空のまん中ここよここよ

 鼓虫(まいまい)や水凹むこといそがしく

 天井にある水かげも鮎の味

 撒水車去りしんかんと紺屋町

 熊笹にあかりのおよぶ歌留多かな

真面目な人で諧謔性は乏しく、人事を詠んだものも少ない。ただ静かな自照の眼差しはあちこちに。

 ものさしは新聞の下はるのくれ

 しずかなる水は沈みて夏の暮

 空はけふゆくところなし綿虫も

 やがてわが真中を通る雪解川

そしてなんといってもこの句集で心に残ったのは次の句ら。

 四国上空雲をゆたかに空海

 地下鉄にかすかな峠ありて夏至

 いま遠き星の爆発しづり雪

 魂魄も卵白も泡立てて春

この世ならず宇宙や宇宙の運行にまで目を向けたスケールの大きさというか、取り合わせの意外さというか真似の出来ない凄さだと思う。

久しぶりにじっくり俳句に向きあわせてもらった。

 

 

 

 

     冬銀河詩人はいつも空仰ぎ

 

 

 

 

静かな水―正木ゆう子句集

静かな水―正木ゆう子句集

 

冬籠

 十二月の初めから編み始めていたベストの後身頃がやっと編み上がった。またまたベストでそれも去年と同じパターン。本当は違うものをと思っていたのだがいつもの毛糸が3割ほどの廉価でセールされているのを見つけてつい節約精神が働き、同じもの編むことにした。ところが年末から例の「母指cm関節症」親指の付け根の関節の変形である。原因は老化と使い過ぎによる軟骨の摩耗らしい。ともかく労って使うしかないので、サポーターをしながら少しずつという有様。こんな様子だから前身頃も編み上がるのさえこの冬に出来上がるのかどうかわからない。それなのにまた次の糸を買ってしまった。というのは今回買った糸はちょっと不思議な糸なのである。ドイツ製の「オパール」という毛糸でたんだら染になった糸に従ってメリヤス編みの裏目と表目を繰り返すだけでも模様ができるというものなのだ。たまたま見た「すてきにハンドメイド」で紹介していたのだが面白いと思って編んでみたくなった。この糸と作品を紹介しておられたのは梅村マルティナさんといってドイツ出身の人。日本には医学研究者として来られたらしいが、東日本大震災の後、編み物で被災者を慰めようと被災地に毛糸を送られた。それがきっかけで今は気仙沼で毛糸の輸入販売、製品の加工と販売、編み物教室(梅宮マルティナオパール毛糸)などをなさっているというのだ。気仙沼といえば「ほぼ日」のニット会社もあるがそれとは趣の違う会社だ。送られてきた糸は綺麗なだんだら染め。編むのは「腹巻き帽子」子どもの腹巻きにもおとなの帽子にもネックウオーマーにもなるというもの。いつごろ編み始められるかわからないがぼちぼちといくつもりだ。

 

 

 

 

     声高きまちがい電話冬籠

 

 

 

 

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弓初

「日本人はどこから来たのか?」    海部陽介

 題名に惹かれて読み始めた。一般向けの内容でもあり理解力の乏しい頭でもかなり面白く読めた。アフリカに端を発したホモ・サピエンスユーラシア大陸を東進して日本列島に至るまでの経緯である。それは約38000年ぐらい前のことで三つのルートが考えられるらしい。対馬ルートと沖縄ルート、北海道ルートで、この内最も難しい沖縄ルートについては検証実験も試みられたらしい。(3万年前の航海 徹底再現プロジェクト)それについては、確かテレビのニュースでも見たような気がする。さて、こうして列島にやってきた人々が、われわれの祖先かというとそれはなかなか簡単にいえるものではないらしい。この本の書評で一昨年にわかった縄文人のDNAについて何ら言及されていないのを厳しく批判する人がいたので、そのへんのことを少し調べてみた。(「縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く」)福島県で発見された縄文人のDNAによれば、彼らは全く独自の存在のようで現日本人との共通部分はわずか12%しかないというのだ。あの独創的文化を持った縄文人との繋がりがうすいのはなんだか残念な気がする。つまりわれわれは縄文人より現東アジアの人々との方がより近いらしい。永い旅の先にたどり着いた東端の列島で様々な混血があったということなのだろうか。

 

 

 

 

     的を得て吉兆となる弓初

 

 

 

 

日本人はどこから来たのか?

日本人はどこから来たのか?