団栗

「どんぐり」 寺田 寅彦著

 団栗の写真を撮ったので団栗の句を詠みたいと、いろいろ考えた。いくつか拾って独楽にして大事にしまいこんで虫を沸かしたという体験は、自分にも子供たちにもある。夫は団栗を蒔くと言って敷地の一角にクヌギを生やしてしまった。今や大人の背丈ほどはあり毛虫はつくし当方としてはいただけない。何年か前、北海道大学の構内で拾った普通の二倍ほどもある団栗。虫も出ずに今も机の上にあるのだがこれは一体何の団栗だろう。

 ところで、寺田寅彦の「どんぐり」は悲しい話だ。今日も思いついて読みなおしてみたのだが、やっぱり目頭が熱くなった。

「大きいどんぐり、ちいちゃいどんぐり、みいんな利口などんぐりちゃん」と出たらめの唱歌のようなものを歌って飛び飛びしながらまた拾い始める。余はその罪のない横顔をじっと見入って、亡妻のあらゆる短所と長所、どんぐりのすきな事も折り鶴のじょうずな事も、なにも遺伝してさしつかえないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。

 無邪気な妻の忘れ形見を見ながらの寅彦の述懐である。

 

 秋は孫たちの生まれ月。すっかり大きくなってしまったが、幼かった頃を思い出して。

 

 

 

 

    団栗や兄といってもまだ三つ

 

 

 

 

どんぐり

どんぐり

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運動会

「女の民俗誌」 宮本 常一著

 この本を称して、解説で谷川健一氏が「かえりみられることなく消えていった無名の女たちの生活誌」だと書いている。まさにそのとおりで、貧しくもたくましく生き抜いてきたわれらの先達の話である。彼女らの苦しい生き方に比べたら今のわれわれはどれだけふやけた生き方をしていることかと、有り難いことだが恥ずかしいこともある。貧しいなかでも夫を思いやり子を慈しんだその心ばえに照らしてのことである。

 第二章は「生活の記録」として1から12の小節が並ぶがこれらの文章の初出がNHKテキストの「婦人百科」であったのは驚いた。昭和44年から45年までのことで、新婚当時の当方は熱心な読者だったはずだが覚えがない。あのころは俳句講座もあってその指導者は龍太先生だったんだがそれにも無関心であった。若いからフッションのグラビアばかり見ていたらしい。

 

 なんでもこのところの日照時間の少なさは十月にしては46年ぶりらしい。この上台風接近とは何おかいわんや。

 

 

 

 

     図書館に届く園児の運動会

 

 

 

 

女の民俗誌 (岩波現代文庫―社会)

女の民俗誌 (岩波現代文庫―社会)

 

秋の雨

 季節が半月ほどずれているような気がする。例年なら「天高し」の頃だと思うのに連日の雨。小寒いのも相まって気持ちが晴れない。それでも昨日は降り込められたのを逆手に終日縫い物。ひさしぶりに夢中になった。なんて言うことはない「袋物づくり」。材料は昔々H殿が買ってくれたエクセーヌ(人工皮革スエード)のコート。あまり着る出番もなく長い間洋タンスの肥やしになっていたもの。そのまま捨てるにはしのびず袋物に作り直した。昨年に二つ作り、昨日もう一つ。全部で三つの袋物になった。一つ目はコートのブレードを活かしてちょっとした外出にも使えるように、あとの二つは斜めがけの買い物バッグである。ゴミにしなかったこととまずまずの出来栄えに自己満足である。

 

 

 

 

     ひもすがら灯りともして秋の雨

 

 

 

 

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石叩

 今朝の新聞である。「俳句不掲載 市に賠償命令」との記事。なんでも9条デモが題材になった俳句が「公民館だより」への掲載を拒否されたのが発端らしい。拒否の理由が「公民館が公平中立の立場であるべき観点から好ましくない」というのだが、問題の俳句がどれほど政治的かといえば何と言うことはないのである。「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という句で、政治的主張というよりは単なる情景描写。当方もよく似た句を詠んだ記憶がある。それなのにこんなことにまで表現規制がされるのをみると驚きを感じざるを得ない。全く憲法で保証された「表現の自由」はなんであるのか。コメントの憲法学者によればこの判決へは「人的利益の侵害を認めた点では評価している」が「『表現の自由』には正面から向き合っていない」と批判的だ。当方などは、あれこれ言われれば、黙りこくって萎縮してしまうのが普通の人間だと思うから、不当な扱いに異議申し立てをした女性の勇気にただただ関心する。「物言えば唇寒し」の日本社会について先に読んだ本でノーマさんが詳しく書いていたが、ますます重苦しさが増してきたような気がする。

 

 

 

 

     石叩ここより湧いて柿田川

 

 

 

 

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              セグロセキレイ(石叩き)

村芝居

「新釈 遠野物語」 井上ひさし

 その前読んだ「東北ルネッサンス」の中で赤坂さんがこの本に触れて、柳田さんの「遠野物語」とくらべて「語りということを非常に意識されていた」などと書いておられたので、てっきり東北弁の語り本と勘違いしていた。まあ東北弁ではないが、もちろん「語り」である。山腹の洞穴に暮らす犬伏老人が、療養所で働く私の昼休みを使って聞かせてくれた話の数々。山男やら河童、狐憑き、鰻、馬いずれも人間に姿を変えたり、人間と交わったり奇っ怪な話ばかり。最後には思わぬ結末も用意されている。

 井上さん自身、先の本で「遠野物語」には「諧謔味」がないのが不満で、「新釈遠野物語」には諧謔味を加えてみたとおっしゃている。諧謔性+エロスも加わって、これは井上さん創作の大人の東北炉話ともいうものかしらん。面白く読ませていただきました。

 

 

 

 

     白塗りのお軽の毛脛村芝居

 

 

 

 

新釈 遠野物語 (新潮文庫)

新釈 遠野物語 (新潮文庫)

 

 

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 ブロッコリーの苗の今朝のお化粧。小さなイヤリングをいっぱい付けていました。

 

 

秋澄む

 県の博物館で開催中の特別展「壬申の乱美濃国飛騨国の誕生に迫る」に出かける。壬申の乱大海人皇子側の兵士供給を担ったのは美濃であった。つまり、我が地の古代豪族村国氏や隣の武義郡の豪族牟儀氏(むげつし)が活躍をしたのであるが、この牟儀氏の名前の記された木簡(国宝)の展示が今日までということもあり急いで出かけたわけだ。この木簡のほか、文弥磨呂(この人も大海人皇子側で活躍)の墓誌(国宝)などもあったが大半は美濃や飛騨の古墳や廃寺跡からの出土品で、土器や瓦が多かった。木簡には今に生きる地名が記され、地名というのがいかに歴史的遺産であるか、改めて思う。複製ではあるが正倉院に残る日本最古の「大宝二年御野国賀茂郡半布里」戸籍も展示されており、興味深い。「戸主阿波年六十二」とあり、意外と長生きだねと感心した次第。半布里(はにゅう)は今の羽生らしくやはり地名は生きているようだ。

 博物館周辺はそろそろ木々も色づき始め、木の実も転がって秋たけなわ。公園で遊ぶ家族連れが目立った。博物館も恐竜の説明に聞き入っている親子連れのほうが多かったかしらん。

 

 帰ったら夕方娘一家来訪。「ちょっと岐阜城に来た」とか言って寄ってくれた。Tの言葉だがいつも幸せのおすそ分けありがとう。

 

 

 

 

     秋澄むやボール遊びの声高し

 

 

 

 

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金木犀

五重塔」 幸田露伴

 いやはや凄い話だった。こういう文体を「求心的文体」というらしいのだが、畳み掛けるような調子に息もつかず一気に読んだ。ことに完成なった塔を揺さぶる大嵐のこれでもかこれでもかという描写、吹きすさぶ暴風雨が目に見え耳に聞こえるごときだった。こういう先人の凄い文章を読むと、当方のような薄っぺらな知識ではただただ驚くしかない。文さんの文章を通しておぼろげながら知っていた露伴先生の姿がますます偉大になったことだ。

 

 金木犀の香りが漂ってくるようになった。まず、香りに気づきそれから元の木を探すというのは金木犀ぐらいだ。

 

 

 

 

     塵界の音遠くして金木犀

 

 

 

 

 

五重塔

五重塔