「にんげん住所録」 高峰 秀子著

  二十四節気の「寒露」。露がしみじみと冷たく感じられる頃である。今日は晴れて気温も上がるとの予報だが、このところの朝晩の冷え込みには、一段と秋の深まりを感じさせる。

 図書館で何気なく借りてきた一冊。彼女とは世代的に少しズレが有り女優さんという憧れはない。名エッセストだという評判は聞いていたので手にした。確かに小気味のいい啖呵を聞くような文章であった。一世を風靡した女優さんだけにわれら庶民にはほど遠いという話題も多いが、そんな僻みを引いても楽しめた。随分の活字中毒らしく老齢になってからは(執筆時は七十歳代前半か)終日ベットに転がってあらゆる活字を追っているとあった。ソファーに転がって本ばかり読んでいるこちらも似たようなもので、何となく親近感も湧く。露伴の「五重塔」をいたく褒めておられたので読むことに。家にあった昔の岩波文庫はあまりに小さい活字なのでキンドルで検索をしたら無料であった。これで大活字で読め、有り難いことです。

 ちょっとずつ元気もでてきて昨日は編み物も。やり過ぎてやや指が痛くなり、アブナイアブナイ。トシヨリには「過ぎる」のはいけません。

 

 

 

 

     本殿の裏はひときわ露けしや

 

 

 

 

にんげん住所録

にんげん住所録

「東北ルネサンス」 赤坂 憲雄著

 まだ東北にこだわっている。Tの書棚にあった赤坂さんの対談集。東北にこだわった七つの対話記録、どの対話も熱い東北讃歌である。かの地においては三内丸山遺跡の発掘がもたらした影響は多きかったようだ。中央以前に優れた縄文文化が長く続いたという発見が東北人の誇りに火をつけたというのである。かっては蝦夷などとの繋がりを否定していた人々が逆に蝦夷との繋がりに誇りを感じ始めたのではないかと小説家の高橋克彦さんは言う。高橋克彦さんは「炎立つ」で蝦夷の活躍を描いた人である。

  さて、東北古代史研究の第一人者といわれる高橋富雄さんは日本というのはヤマトだけではないと語る。むしろ初めは「日高見国」と言われた関東以北のことを指して中国では日本と言ったのであって、「大倭」と「日高見国」が一緒になることで「日本」になった。「日本を日本たらしめたのは北あるいは東日本というものが、日本の半分を代表」してのことで、東日本というのは決して辺境の地ではないと言うのだ。

 民俗学者谷川健一さんは東北に数多く残るアイヌ地名に触れる。この話を受けて赤坂さんは「アイヌ語地名の問題は日本を相対化する武器である、日本は単一の民族によってつくられた国家だといった歴史を壊す、その大きな手がかり」だとする。ここにも辺境からもう一度歴史を見なおそうとする姿勢が伺われる。

 あと、中沢新一さん、五木寛之さん、井上ひさしさん、山折哲雄さんとの対話があるが夕飯の準備もありここまで。なかなか面白い内容であった。ことに高橋富雄さんの考えは初めて聞く内容でもあり関心をもった。

 

 

 

 

 

     ぽつかりと亀浮かびくる萩の昼

 

 

 

 

今宵、中秋の名月。旧暦八月十五日の月である。真円のお月さまではない。月の運行と暦にズレがあるのは知っていたのだが、十五夜が必ずしも月齢と一致するものではないということはあまり気にも留めていなかった。。ちなみに今日の月齢は13・9。暦によれば望は明後日である。「芋名月」とも呼ぶ習いで、うちでは団子ではなく芋を供える。H殿が里芋を初収穫。夏に雨がちだったのでよく出来ていた。

 

 夕刊で原爆供養塔を守り続けた佐伯敏子さんが亡くなったことを知った。97歳だった。佐伯さんのことは堀川恵子さんの著書で知り、心に残っている。最近原爆の最後の生き証人ともいう人々の訃報が相次ぐ。さて、同じ夕刊で佐藤正午さんの「直木賞を受賞して」という寄稿あり。気骨のあるいい話。

 

 

 

 

 

     夫呼べば月の光を浴びに立つ

 

 

 

 

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吾亦紅

街道をゆく 9」 司馬 遼太郎著

 また、司馬さんを読んでいる。先週・先々週と三週ばかりNHKの「ブラタモリ」の高野山を見たので、司馬さんの「高野山みち」を再読。これは朝日文庫の「街道をゆく」の9に入っている比較的短い話。改めて読んで興味を引いたのは「高野聖」の存在。聖といっても僧でなく俗でなく「宗教を売りものにする乞食同然の者」。もっとも中世での話である。彼らが弘法大師の功徳を売り物に諸国を巡り、大師信仰を広めたというのである。あの町石といい、奥の院の競った墓石群といい彼らの内の「大物級の者が、中央、地方の権門勢家に説いて寄進させたものにちがいない」と司馬さん。その大物級の聖のひとりに重源上人の名が出てきたのは驚いた。東大寺の大仏殿の再建に尽力した重源である。春に訪れた播州小野の浄土寺もやはりかれの発願で、勧進聖としては桁外れの人物だったらしい。東大寺にある運慶作の上人像の梅干し顔が目に浮かぶ。重源さんは阿弥陀信仰が深かったようだが、かってはそういう異端も含めて「高野山」であったらしいのだ。

 

 一気に朝晩は小寒いほどになり、昨日は暖房も用意した。何となく元気がでないままに本ばかり読んでいて俳句もできない。

 

 

 

 

     生い立ちの地を離れずに吾亦紅

 

 

 

 

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鳥渡る

「北のまほろば」 司馬 遼太郎著

 先日の赤坂さんの本に刺激され、再読。久しぶりに司馬さんのたかだかした文体に接して快かった。それは、まさに司馬さん流の喩えをつかえば、秋空に浮かぶ白雲のような快さである。

 「北のまほろば」は全編青森県紀行。津軽と南部(旧南部藩岩手県北部も含む)下北半島についてである。改めて読んで見ると、司馬さんの紀行文は風景に触れることもあるが、大半はそこに生きた人々の人物伝である。この本でも津軽を興した津軽為信という男や太宰治棟方志功記念という表現者たちに触れることが多い。また、この地域は本州で唯一中央の支配の及ばなかった蝦夷の地域で、かつ豊穣な狩猟と採集の文化を持ち、稲作においてすらかなりの先進地(いつのまにか途絶えてしまうのだが)であったことなどが書かれていた。まさに「北のまほろば」である。

 司馬さんの「街道をゆく」シリーズはかって夢中で読み、ほとんどが書棚にある。これらの本を片手に出かけることが楽しみでもあったが、こうした司馬さんの語り口にもう触れることはないと思うと赤坂さんではないが残念である。

 

 世俗の話になるが、衆議院での自己都合解散、それに伴う自己都合の離散融合、全く納得できない。こういう信念も理想もない人たちがリーダー面をしていると思うと情けない。つくづく絶望的気分。

 

 

 

 

     北上川背骨のごとし鳥渡る

 

 

 

 

北のまほろば―街道をゆく〈41〉 (朝日文芸文庫)

北のまほろば―街道をゆく〈41〉 (朝日文芸文庫)

秋晴

「犬心」 伊藤 比呂美著

 帯紙に「これはいのちのものがたり」とある。タケというシェパード犬の老いて死ぬ話である。タケは「散歩と食べ物には人間離れした熱意をもっているだけで、あとは、人と暮らすのとあんまりかわらない。」という伊藤さんの愛犬。十三年生き、すっかり老いさらばえ、大好きだった散歩もやっとのことになり、糞尿も垂れ流し、そして死んでいく話。伊藤さんは傍の「安楽死」を勧める言葉に耳を貸さず、黙々と糞尿の世話をして死に近づいていくタケの面倒をみた。伊藤さんにとってはタケの姿は同じように老いて死に近づいていくお父さんの姿と重なっていた。実際タケの世話をしつつお父さんの介護も同時進行だったようで日本との行き来も含めて並の心労ではなかったはずだ。それでも彼女はこの本を書くことで、やり遂げた。凄いものだ。お父さんは先に亡くなりやがてタケも天寿を全うした。

 ペットロスの辛さはものすごくわかる。我が家ももう十年近くなるのに姿を消した猫を思い出す。人と違うが「犬心」というのも「猫心」というのもあるような気がする。伊藤さんはタケ以外の愛犬ニコに加えて晩年のお父さんに寄り添ったルイもアメリカに連れ帰り、二匹の「犬心」を大事にしながら暮らしておられるようだ。悲しかったがいい話だった。

 

 

 

 

     秋晴の駅より下る港町

 

 

 

 

犬心

犬心

木の実

司馬遼太郎東北をゆく」 赤坂憲雄

 面白かったからとTから回ってきた一冊。確かに面白く、久しく忘れていた司馬さんの快い語り口も思い出す。赤坂さんは東北地方をフィールドに活動中の民俗学者。東北大地震を経ても、西の人びとにとっては東北はやはり遥かで疎遠な土地ではないか。そんな思いに駆られて、西国人の司馬さんの「東北紀行」ともいう六冊の『街道をゆく』を読みなおしたという。そして司馬さんの東北紀行を貫いているのは「深い憧れと贖罪の意識」だと確信する。古代蝦夷への王化政策で寒冷な地に無理やり稲作を導入したことから始まり、明治維新での会津藩への過酷な仕打ちなど、東北地方に対して正義のドグマを振りかざしてきた中央への司馬さんの批判は、また今日の赤坂さんの中央への怒りでもある。一方で平安の都びと以来「歌枕」を通じて延々と繋がる異境の地への憧れ。司馬さんは東北に格別な思いがあったと認めている。当方もここで扱われた六冊の本を片手に東北を旅したのだが、まさに司馬さんの憧れに感化されたからでもあった。

司馬の東北紀行のなかには、東北の人々よ、ルサンチマンを超えて、みずからの豊穣なる詩的世界を解き放て、という朗らかなメッセージがこだましている。東北はすでにして、偉大なのであるから。

 司馬がさんの本から赤坂さんが読み取った熱いエールである。それにしても、コメという呪縛から自由であったなら「そこは蜜と乳の流れる山河になっていたかもしれない」という司馬さんの指摘は何度読んでも心に沁みる。何年か前、よくわからないナビに導かれて広大な岩手の丘陵地帯を走った時の思い出とともに。

 

 

 

 

     三内円山北のまほらの木の実かな

 

 

 

 

司馬遼太郎 東北をゆく

司馬遼太郎 東北をゆく