木の実

司馬遼太郎東北をゆく」 赤坂憲雄

 面白かったからとTから回ってきた一冊。確かに面白く、久しく忘れていた司馬さんの快い語り口も思い出す。赤坂さんは東北地方をフィールドに活動中の民俗学者。東北大地震を経ても、西の人びとにとっては東北はやはり遥かで疎遠な土地ではないか。そんな思いに駆られて、西国人の司馬さんの「東北紀行」ともいう六冊の『街道をゆく』を読みなおしたという。そして司馬さんの東北紀行を貫いているのは「深い憧れと贖罪の意識」だと確信する。古代蝦夷への王化政策で寒冷な地に無理やり稲作を導入したことから始まり、明治維新での会津藩への過酷な仕打ちなど、東北地方に対して正義のドグマを振りかざしてきた中央への司馬さんの批判は、また今日の赤坂さんの中央への怒りでもある。一方で平安の都びと以来「歌枕」を通じて延々と繋がる異境の地への憧れ。司馬さんは東北に格別な思いがあったと認めている。当方もここで扱われた六冊の本を片手に東北を旅したのだが、まさに司馬さんの憧れに感化されたからでもあった。

司馬の東北紀行のなかには、東北の人々よ、ルサンチマンを超えて、みずからの豊穣なる詩的世界を解き放て、という朗らかなメッセージがこだましている。東北はすでにして、偉大なのであるから。

 司馬がさんの本から赤坂さんが読み取った熱いエールである。それにしても、コメという呪縛から自由であったなら「そこは蜜と乳の流れる山河になっていたかもしれない」という司馬さんの指摘は何度読んでも心に沁みる。何年か前、よくわからないナビに導かれて広大な岩手の丘陵地帯を走った時の思い出とともに。

 

 

 

 

     三内円山北のまほらの木の実かな

 

 

 

 

司馬遼太郎 東北をゆく

司馬遼太郎 東北をゆく