梔子(くちなし)

北政所」 津田 三郎著
 基本的にフィクションよりこういう歴史ものが好きだとつくづく思う。副題に「秀吉歿後の波瀾の半生」とある。慶長三年秀吉が63歳で死んだ時、北政所は51歳。寛永元年77歳で亡くなるまでの26年間、豊国神社の別当「梵舜」の日記を中心に語られる。栄華を極めた女性であったが、相次ぐ身内の死、(小早川秀秋も長政も清正も正則もみな彼女の縁者であった)豊臣家の滅亡、豊国神社の破却など晩年は失意の連続であったという。従来秀吉菩提のため建てられたとされた「高台寺」は養父母の供養と自分のための寺であり、神として祀られた秀吉を迎えることはなかったというのも新説。
 今回初めて知ったが、阿弥陀が峰の「豊国廟」は、明治半ばまで捨て置かれて発掘、甕棺が見つかり明治30年に五輪塔が設置されたそうだ。案外新しいもので思いもよらなかった。関連で検索してもうひとつ知ったのは秀頼のこと。昭和55年に大阪城三の丸跡の発掘で若い男性の頭蓋骨が発掘され断首のあとから秀頼ではないかとされ、清涼寺に葬られたという。清涼寺に「秀頼首塚」があるとホームページに。これも初めて聞く話でとても興味深い。
 それにしてもねねは14歳で秀吉と結ばれたという。最近でも凄い14歳が話題になってはいるが、早熟だったのだなあと、感心。

 
 やっと色づき初めたトマト二つ、早速カア公に突かれる。毎年対策が後手になるH殿と素早いカア公。どちらが賢いか判断は控えますが、H殿はがっかり。




     梔子の著(しる)き匂ひや雨もよひ





北政所―秀吉歿後の波瀾の半生 (中公新書)

北政所―秀吉歿後の波瀾の半生 (中公新書)


ブログを書き始めた時、ゆさゆさと揺れ。揺れの時間が案外長くて部屋の本棚をまじまじと眺める。揺れの大きかったのは御嶽山の麓の王滝村あたりらしい。我が家あたりは震度2か3か。
 
この三日は「梅雨の晴れ間」で本格的梅雨前の仕事をいろいろ。大物洗濯から浴室のカビ取り、冷蔵庫の整理、樋の掃除(これはTに頼む)
 少し時期はずれだが「木の芽味噌」つくり。水上さんの精進日記でよく使われていたのが「すり鉢」。何かといえばすり鉢であたっておられる。近頃はフードプロセッサーなどで代用、戸棚の奥に眠ったままだと思い出す。ちょうどH殿が剪定した山椒にまた若芽が伸びてきたので「木の芽味噌」に。木の芽をあたり、西京味噌味醂、砂糖を加える。これを採れだした茄子に塗り田楽に。万願寺を焼いて、付けてもよし。胡瓜もどんどん採れだして自己流「きゅうちゃんづけ」に。

 今日はY一家の来訪予定。修学旅行の土産を持ってきてくれるらしい。お土産を買ってきてくれた当人は部活と勉強で来られないと昨夜電話があったが、張り切っているようでオバアは嬉しい。




     蛇出でし庭のひと隅近寄れず





おはぐろ

 今日6月22日は、当市の「平和の日」。72年前大規模な空襲を受けた日である。今でも基地の町だが、かっては陸軍の飛行場とそれに隣接して軍需工場があった。米軍はそれを狙って空爆をしたわけで、工場の従業員や動員学徒169名が犠牲になったという。大規模な空襲は29日にもあり58名の死者を加えている。いずれの場合か父も間近で遭遇したようで、側溝に伏せて難を逃れたという話を聞いたことがある。この後7月9日は岐阜市の空襲。死者は818人。1944年から1945年の終戦まで日本中が空爆されたわけで、無辜の民の犠牲は50万とも100万とも言われる。要は死んでしまった人々を正確に数えることはできないのだ。これ程の犠牲を払って今があると思えば、安寧に逆行する最近の様々な動きは全く認められないと、オバアはやきもきする。
 明日は「沖縄慰霊の日」。夏は、死者たちのことを考えずにはいられない。




     おはぐろの声もあげずにじゃんけんす






夏至

「言の葉さやげ」 茨木のり子
 言葉について書かれた一冊。不覚にも今まで「茨木のり子」という人がこれ程の人とは知らなかった。凛とした姿勢に貫かれた、鋭利な刃物のような一冊。私たちは「ありあわせの、間にあわせの、思考と言語で話しすぎる。自分の心情に密着した過不足のない表現を探そうとしなさすぎる。」とあるが、詩人ならではの視点で取り上げられた問題もそれを語る表現もまさに的確。彼女の詩のように大股で突き進んでくるような小気味よさがある。本の後半は詩人についても語るが、かの谷川俊太郎さんに対しても、盲点は見つからないと評しつつ、モンロー好きだけはいただけないとするのは、姉貴分というか、「現代詩の長女」の面目躍如というか、楽しい。
 この本に刺激されて谷川さんの『ことばあそびうた』のいくつかと、井伏鱒二『厄除け詩集』を楽しんだ。俳句もいいけれど詩もいい。何となく難解なイメージで敬遠してきたのだが。

さて、今宵は鱒二先生なみに「蛸のぶつ切れ」を、それも「塩」でいきますか。残念ながら当方長き禁酒中。





     空低し雨に沈みて夏至の町




言の葉さやげ

言の葉さやげ

南風(みなみ)

梅雨らしくない日々。夏野菜は雨の病害は少ないが土は涸れ涸れで植え付けできないものも幾らか。
 整理を兼ねて端切れでごろ寝クッションを作る。性格なのだがこつこつと時間をかけるというのは、苦手。いつも直ぐに結果が気になる。編み物でも早く編み上げたいと指を痛める始末。今回もものすごくいい加減なアップリケ?なのだが、H殿は早速活用してくれている。
 
 隣の川沿いに黄色の細やかな花が満開。見事なので撮ってくる。その辺に普通に生えている草木は名前を知らないものが多いのだが、これもやはり不明。気になって家にある植物図鑑をひっくり返し、多分「アカメガシワ」と推定。新芽が赤く、柏がないところでは柏葉がわりにしたのが名の由来らしい。雄雌異株とあり、これは雄花のように思う。いわゆる垣根などにしてある通称「アカメガシ/ベニカナメモチ」とは異なる。いろいろ薬用効果があるという。




     海神(わたつみ)の絵馬の剥落南風(みなみ)吹く
     




夏燕

「天災から日本史を読みなおす」 磯田 道史著
 読ませられるものがあって、一気に読んだ。副題に「先人に学ぶ防災」とあり、歴史上の災害記録の解読を通して防災意識を育もうという内容。朝日新聞のbeに連載されたものに加筆して書籍化したものとあるが、まとめて読むとまた違った重みがある。
 秀吉の全盛期に起きた天正・伏見地震が家康を救い、豊臣政権崩壊の引き金になったのではないかという推察も面白かったが、もっと興味深かったのは原発銀座の若狭湾津波をもたらしたという記録。現在の調査では小規模だったとされたが、果たしてどうか。古文書などには「在家ことごとく押し流す、人死ぬ事数知らず云々」とあるというのだが。
 さらに「南海トラフト・相模トラフトと富士山噴火の連動性」のくだりはもっと興味深い。この二つが前後して起きたのは九世紀以降13回のうち11回、最後は1707(宝永4)の富士山噴火と宝永大地震で、江戸での地震被害も降灰被害も各地の津波も酷かったという。次に南海トラフトがいつ動くのか。それは推察の域を出ないが直近の地震(昭和南海地震)から約70年。「90年以内に2回おきたことがないという歴史的経験からすれば・我々には20年ちょっとの地震猶予期間が与えられているのかもしれないが、相手は地球である。」と筆者は述べる。
 筆者は歴史から学ぶ教訓として、暮らす土地についての知識、いざという時の避難場所、避難方法を決めておくことなどを繰り返し書いているが、こういうことは個人の努力もさりながら学校や地域でもしっかりと共有してほしいものだ。
東日本大震災の後、歴史学者としての矜持が書かせた意欲の伝わる一冊だった。




     いくつかは若鳥らしき夏燕





夕焼け

 図書館から予約本の「受け取り可」のメールが入る。本の著者は茨木のり子。詩集をTが持っているというので借りて読む。知っているのもあれば知らないのも。知らないほうが圧倒的に多い。力強いはきはきとした修辞。小気味のいい読後感。こんな調子で昨夜の愚行も叩き切ってほしいと思ったら、こんな一節が。

 人の身の上に起こることは
 我が身にも起こりうること 

 よその国に吹き荒れる嵐は
 この国にも吹き荒れるかもしれないもの

 けれど想像力はちっぽけなので
 なかなか遠くまで羽ばたいてはゆけない

 みんなとは違う考えを持っている
 ただそれだけのことで拘束され

 誰にも知られず誰にも見えないところで
 問答無用に倒されてゆくのはどんな思いだろう

                中略     「灯」より

 反対する人より賛成が上回っていたNHK世論調査。ほんと、想像力が乏しすぎる。茨木さんが知ったら歯噛みをして悔しがりそうだ。




      夕焼けて少年糸を垂らしをり