残暑

台風が去っても涼しくなるというわけではないが、それでも日が沈めば少し秋めいた気配も。昼間に椋鳥が大挙して押しかけ庭の柿の木で大騒ぎを繰り返していたのも秋といえば秋だ。

 先日NHKで「大伴家持」についての番組が放映され、その意外な生涯に興味を持った。おおかたのところはわかったのだが、もう少し詳しく知りたいと北村先生の本を借りる。

 この先生の本は前に『柿本人麻呂』を読んだことがある。解説によれば大伴家持についてのまとまった研究書というものは以前は少なくて、先生の研究あたりがその嚆矢らしい。先生は国文学者ではなくて歴史学が専門のようだから、白鳳から天平にかけての政治的背景が詳しく述べられているが、読んでも頭に入らないのはいつものことだ。

 まだ四分の一ぐらいしか進んでないが今までのところをまとめると

 家持は旅人の子だが随分遅い子であった。旅人54歳の子というから驚きである。正妻大伴郎女の子ではなく庶子で弟も妹も同様らしい。彼が10歳の時父旅人は太宰府の長官になり九州に赴任、長子の彼も帯同する。その頃の太宰府には筑紫の国守であった山上憶良なども交えて文化的気風があったことは今回の元号制定でも取り上げられた。

 二年後に都に戻った大伴親子であるが間もなく父は病を得て亡くなる。家持14歳の時である。まだ官職も持たぬうちに後ろ盾になる父を失ったわけだ。

 主を失った家を支えたのは旅人の妹、つまり叔母の坂上郎女。大変な才媛だったようで、この叔母の歌がいくつも万葉集に収録されていることから家持への影響は大きかったと思われる。16歳頃から気にかかる歌を記録し始めたらしい。青春期、気にいった詩歌をノートに拾い出すというのは私にも記憶がある。

 

さて家持がこの後どのように成長していくのかは、またの機会に。

 

 

 

 

     庭の木に椋鳥(むく)騒ぎゐる残暑かな 

 

 

 

 

大伴家持 (平凡社ライブラリー)

大伴家持 (平凡社ライブラリー)

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