鰯雲

 大伴家持についての最終章である。長々と付き合ってどうやら図書館の返却期限に間に合った。

 仲麻呂一派の専横により因幡の守になった家持だが地方への赴任はこれにとどまらなかった。その後薩摩守(48歳)相模守(57歳)伊勢守(59歳)時節征夷将軍(67歳)と転々と転勤を繰り返し68歳で任地の陸奥で亡くなった。

 もちろんこの間には遅まきながら官位も上り最終的には従三位下まで上り詰め中納言や春宮大夫も務めるが父旅人の官位には届かなかった。

 政争に巻き込まれることを嫌い慎重に対処してきた家持であったが三度も冤罪を被った。三度目は彼の死後のことであったが除名され家財を没収され子息は隠岐に流されて、古代の名門佐保大伴家はここに終焉したのである。

 勅により罪科を除かれたのは二十一年後である。

 ところで、『万葉集』は没取された家持の私財のなかにあり、後年これが取り上げられて評価されたのではないかという推測があるらしいが、それはわからないと北村さんはいう。

 何れにしてもなかなか波乱に富んだ一生であったと思う。よくもこれだけというほど権力争いや皇嗣争いは続きどれだけの血が流されたかわからぬ。大仏造営やら遷都やら東国遠征やらと民の疲弊は甚だしかったようだ。型どおりの感想だが「白鳳天平文化」といい華やかなものだけを見がちだが其の裏にあったものを忘れてはいけないと思う。

 

 

 少し涼しくなったので昨日から夕方ウオーキングを始めた。二ヶ月休んだので調子が出ない。鰯雲の空がきれいで嬉しくなった。さて、明日からは違う本を読みたい。

 

 

 

 

         ひとすじの道の後先鰯雲

 

 

 

 

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