秋夕焼

線量計奥の細道』 ドリアン助川

 筆者のことは映画『あん』の原作者という以外は何も知らなかった。名前から勝手にタレントかなあと思っていたぐらいで、この本を先に読んだTが「すごっくまともな人」だと感心していたので回してもらったわけだ。そして、やはり「すごくまともな人」だと心打たれた。

 ドリアンさんがそもそも「奥の細道」を巡ろうと思い立ったのは若い世代に日本の古典の面白さをわかってもらおうと思ったのが始まりだ。真面目なこの方は体験もしないで言葉だけの「代用品」を書いてもいいのかと悩んで芭蕉の足跡を辿ろうと決心、加えてかの地の多くが震災の被災地であり原発の集積地でもあるという現在事情もあって、線量計を携帯しての旅となった。

 全行程を四回に分けて、主に自転車(携帯出来る小型車のようだ)と鉄道・車での旅だが、主となるのは自転車で夏場は暑く冬に近づく日本海側は雨の日が多く、傍目にも気の毒なほどの過酷さだ。それでも筆者の人徳で宿を提供してくれる人あり車に乗せてくれる人あり。

 線量計は栃木県の日光辺りから反応し始め福島県ではかなり大きな数値を示す。(2013年当時)大きな数値のたびにその現実を明らかにすることえの葛藤も出て、迷いながらも自転車を走らせる。苦しんでいる農家の人々とふれあいながら

「苦しんでいる人たちもたくさんいる。『福島はもう元気です』という言葉の裏側で我慢を強いられている人たちがいる。」

と思い直す。

 さて様々な人との暖かな出会いがあって、その交流はいまでも続いていると「あとがき」にもある。が、あの震災から今に十年、脱原発の難問はまた別の難問も生み出したようだ。太陽光発電のために原野をどんどん切り開いて無機質なパネルを設置していくという現実。ああ、人間という欲望の果てしなさよ。(これは自戒も含めて)

 「奥の細道」紀行といっても芭蕉はやや添え物という感じだが、今まで読んだ同様の紀行文より格段に面白かったし心に残ったのは確かだ。

線量計と奥の細道

線量計と奥の細道

 退院して今日で一週間。手助けを受けながら家事は概ねこなしている。因幡の白兎状態になった皮膚はかなり治ってきたが、皮弁を移植した方はまだまだ。皮弁には感覚細胞も付いているというので移植先に元の太ももの感じが残っていておかしな感じだ。移植先でずっと太ももの皮膚だと主張しつづけるのかしらん。

 

 

 

 

         大手振り歩く人あり秋夕焼け

 

 

 

 

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ユウゼンギク