麦の秋

『猫には負ける』 佐々木 幹郎著

 佐々木さんの山小屋だよりともいう本を愛読してきた。「最近はでてないねぇ。どうしておられるだろうか」と家人と話していて、ふいにネット検索をしてみた。なんと第一回大岡信賞を今年受賞されたとのこと。加えて新刊本の案内もあったので早速注文する。

 全篇これ「猫大好き」という本、半のら猫の「ツイラク・ミーちゃん」への恋歌である。猫が好きだから気持ちはわかるが尋常ではない。だが冬の間、半のらのために湯たんぽを用意するのは全くいっしょで笑ってしまった。我が家のノラも湯たんぽ大好きで犬小屋ならぬ猫小屋に湯たんぽを入れるのを待ちかねてのどを鳴らしていたっけ。

 相変わらず夏には山小屋暮らしをされているようだがミーちゃんをおいていくのが気になって大変なようだ。

 昨日はこの本を読んだり、散歩で猫二匹に出会って声を掛けたりしたせいか(変人に思われるよと言われた)夢にまで猫が出てきた。

 

 

 

 

          覚ゆれど名前出てこず麦の秋

 

    幼なじみに声を掛けられました。はてさて顔に見覚えはあるのですが名前は?

 

 

猫には負ける

猫には負ける

  • 作者:佐々木 幹郎
  • 発売日: 2020/02/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

豆の飯

『日本美術の底力  「縄文×弥生」で解き明かす』 山下 裕二著

 山下さんは原平(赤瀬川)との共著『日本美術応援団』からおなじみである。というより日本美術史家としては山下さんぐらいしか知らないというのが本当のところだ。山下さんとその先生の辻惟雄さんの『奇想の系譜』を通して若冲蕭白岩佐又兵衛も知った。

 この本で山下さんは日本美術は

 「縄文と弥生のハイブリットである」と書いている。 

 日本人の美意識として従来は「侘び寂び」と弥生系の簡素で洗練された美しさが強調されたがそれだけではない。縄文土器の装飾過剰、エネルギーの横溢といった美意識もまた脈々と受け継がれてきたものだ。それは若冲であったり又兵衛であったり蕭白であり江戸末期の北斎や建築物の「陽明門」もこれに繋がる。

 一方通奏低音としての弥生系の美意識は平安期の大和絵に始まり雪舟等伯水墨画や江戸琳派の絵画であったり利休の「待庵」もそうだとする。もっとも一面的に区切ることはできず等伯には「楓図」のような金碧画があり雪舟にも縄文的デザインの「慧可断臂図」があるという。

 こういう歴史的な流れを汲んで現代作家としても何人かを紹介、たとえば山口晃さんや村上隆さんなどなども。

 この本のいいところは新書にもかかわらず61点ものカラー写真が収載されていること。図版は小さいがそれなりに作品の傾向がわかる。しかし、山下さんの言われるようになんといっても自分の目で確かめることが一番だと思う。バブルが弾けて以来展覧会というようなものが少なくなったような気がするし(首都圏はともかく名古屋は素通りが多くなった)また今のコロナ禍でそういう傾向はますます進むではないかと危惧する。美術鑑賞などというのも平穏であればこそだ。

 ああ絵を見に行くという日常が恋しいなあ。

 

 

 

 

 

           肌寒き雨の一日豆の飯

 

 

 

 

 

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ユキノシタ

 

青大将

カラスの子育て

 うちのヒノキのてっぺんで今年もカラスが子育てをしている。近くを猫がうろつくとギャアギャアと大騒ぎだ。朝方に煩くて目覚めさせられたこともある。昨日は隣の川の浅瀬にいた青大将と喧嘩をしていた。やはり警戒をしているにちがいない。蛇の大嫌いな夫が(私だって嫌い)うちの庭に上ってくるのを恐れていたがちょっとした隙きに見失ってしまった。

 夫が何のためか(多分麦わらが欲しいので)畑の隅に麦を育てた。実った麦の穂だけカラスは器用に摘んでもっていく。苺や金柑が食べ差しで放り出してあるから麦の方が美味しいのかなと思う。「お前のために作ったわけじゃない」と刈り取ったら今度はハトやスズメが大喜びでチュンチュンと啄んでいた。

 以前の経験だと子どもが巣立ちしだすとこちらにまで攻撃してくるので要注意だ。長い棒でも持っていないとふいに頭突きをくらう。

 

 

 

 

           見失ふ青大将に脅えけり

 

 

 

 

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夏きざす

『道ゆきや』 伊藤 比呂美著

 伊藤さんの本はひさしぶりである。前回はご主人が亡くなり早稲田で教鞭を執ることになったという話だったから、この本はその後日談だ。

 物を失くすことが多くなったとか耳の聴こえが悪くなったとか色々あるがちょっと信じられないほど元気である。週の半分は熊本の自宅で週の半分は東京の大学で、その間に講演にも出かけ海外にも出かけと八面六臂の活躍である。アメリカと日本の間を行き来して介護をされたことからすれば同じ日本の中など隣町に出かける程度かもしれないと思ったりする。

 伊藤さんもとうとうアメリカの市民権を取られたようだ。それは必然的に日本国籍を失うということで随分葛藤もあったようだが、家族の暮らすアメリカに自由に出入りするには仕方がなかったらしい。なんにも知らなかったが国と国を跨いで暮らすというのは簡単なことではないのだ。伊藤さんも書いている。

  「女たち。異国の男と恋愛するな。恋愛をして外国に出ていくな。」

そうなんだ。こんなグローバルな時代になっても国と国のハードルは高いんだ。今回のコロナ騒動で国々の国境が封鎖されると問題はさらに深刻になるにちがいない。まあ、田舎に住んで隣町にすら出て行かない身には何ら関係ないが。

 

 一昨日退院後二回目のの診察に行った。手術の傷が治りきっていないと言われる。自力で治るのは難しい、いずれ形成手術をするようにとも言われる。「また手術ですか」と落ち込む。「もうちょっと回復して元気が出てきてからでいいですよ」と気楽におっしゃるが、どちらにしてもガックリだ。早速次回の診察時には形成外科の診察を受けることになった。秋には何処かに行こうと思ったのに秋にはまた病院かもしれないな。

 

 蜜柑と甘夏の花が満開で甘い香りが立ち込めている。今年は生り年らしい。なりすぎては困るからと夫が枝をすき始めた。晴れが続きで庭仕事に忙しい。

 

 

 

 

 

         鎮守まで試歩の千歩や夏きざす

 

 

 

 

道行きや

道行きや

 

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茄子の苗

『室町戦国史紀行』 宮脇 俊三著

 史跡探訪紀行の三冊目である。この回は南北朝から関ヶ原の戦いまで、混乱の約260年。

 まず、後醍醐天皇の飽くなき権力欲にうんざりさせられる。楠正成も新田義貞も敢え無く死んでいった。その後はごちゃごちゃしてさっぱりわからない室町時代。確か去年呉座さんの『応仁の乱』を読んだはずだし、NHKの「英雄たちの選択」も見たはずだがすっかり忘れている。しかし酷い時代だったが日本人の暮らしの元はこの時代から始まったというから庶民の力はそれなりに芽生えてきたらしい。戦国時代になると群雄割拠で年代順史跡巡りが無理となり人物ごとの訪問である。北条早雲から始まって家康まで、殺し合いの歴史である。そうするしか仕方がなかったものの駆り出されて捨て石になっていく雑兵たちが哀れだ。そう言えば『雑兵たちの戦場』という本を読んだなと、自分の以前のブログを検索する。この時もだが、庶民にとっての平穏な江戸の三百年ということを思わずにはいられない。

 さて、宮脇さんだが古希を過ぎても春日山城までは四、五分で登れたとご機嫌だ。が、この巻の取材期間中に「ブラジル旅行で悪質の菌が左の脚に入り入院」され体力を落とされる。後半は杖に頼っての探訪もあり結局この巻までで断念され残念だった。あとがきの記述日を見ると最晩年の著述であったなあと感慨深い。

 まあ私もあまりあちこちに出かけられる体力もないのだが北条氏の「山中城跡」や朝倉氏の「朝倉館跡」ぐらいは行ければと思ったりする。

 

 今年の花が咲かんとしている甘夏から残っている実を叩き落としてマーマレイドにする。ややぱさついた実もあり出来映えは今一歩、いつもより苦い。

 夫は夏野菜の苗を入れた。茄子・胡瓜・トマト・ミニトマト・ピーマン・西瓜。庭の花も牡丹が過ぎ芍薬と薔薇へ。

 

 

 

 

         夜の間慈雨となりたり茄子の苗

 

 

 

 

室町戦国史紀行 (講談社文庫)

室町戦国史紀行 (講談社文庫)

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牡丹

『平安鎌倉史紀行』  宮脇 俊三著

 史跡探訪紀行の第二弾である。対象は桓武天皇平安京遷都から鎌倉幕府の滅亡まで。累々たる敗者の歴史である。まさに『平家物語』の冒頭「盛者必衰の理をあらはす」である。「名こそ惜しけれ」と言ったのは鎌倉武士であったか。負け戦でも果敢に戦って死んでいく。

 例によって宮脇さんは愚直なまでに時代順に史跡巡りをされるので通史のおさらいになる。(もっとも直ぐに忘れてしまうのはいつもながらだが。)それにしてもすごい行動力だ。例えば承久の乱の史跡訪問は東京から美濃を経て宇治から隠岐までたった二日間の日程である。それでも見るべきものは見るということで紙上で跡を追うのも大変だ。元気で一日三万歩を歩いたとか笠置山千早城跡に徒歩で登ってまだまだと思われるなど衰えは少しもない。

 読んでいて懐かしかったのは平泉や今津の元寇防塁跡やら福山の草戸千軒跡を訪ねたこと。昔の写真集を出してきて懐古の想いに浸る。景色の隅にちょっとだけ映る夫や自分の姿に今更ながら時を感じる。時間は容赦ない。

 

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三種の牡丹も終わりました。人出を避けるため満開の牡丹を刈り取るニュースを見ましたがさぞかし胸が苦しかったことでしょう。

 

 

 

 

         息詰めて牡丹切らんと向かひ立つ

 

蛇穴を出づ

『古代史紀行』  宮脇 俊三著

 鉄道作家(こういう言い方があるかどうかは知らないが)の宮脇さんによる史跡探訪紀行シリーズの最初の一冊である。宮脇さんであるから約三十年以上も前と、もちろん古い。私も再読であるが、詳細はすっかり忘れているから面白く読んだ。

 さて、話は『魏志倭人伝』に因み対馬訪問から始まり、道鏡左遷の地である下野薬師寺跡までの五百年が対象である。読んでいると宮脇さんが廻られた頃と比べれば考古学的な発掘、研究、資料の整理などはかなり進んでいて、今ならこうなんだがと思うところも少なくはない。が、愚直なまでに年代順にこだわった史跡巡りで歴史のおさらいがしっかりと出来る。それに今は何もなくてもともかく往事に想いを馳せて関連地を訪ねるという姿勢にはロマンがある。私も古代史好きでたいていの史跡は訪ねてきたが、ここまで丁寧ではない。最近でかけた高岡や淡路島でも越中国府跡や淳仁天皇陵はカットしたのだが、この本を読んでいると寄ってくればよかったと思う。

 もう少し元気になったら奈良の櫻井や天理の辺りの古墳を廻ってみたい。古墳巡りなんてともかく歩けなければだめなのだからまずは足腰鍛錬から。このシリーズの三冊目で宮脇さん自身が足腰の弱りを嘆かれていたのだけ妙に記憶に残っている。続きを期待していたのに三冊目で終わってしまったからかもしれない。

古代史紀行 (講談社文庫)

古代史紀行 (講談社文庫)

 

 去年の師走以来行ってなかった髪のカットに行く。やっと少し座れるようになったのだがコロナのこともあり躊躇していた。伸びすぎて如何ともしがたく出かけたのだが美容院もさすがに空いていた。マスクのゴムをテープでほっぺに止めるという方法でマスクを付けたまま作業をしてくださったのには感心。

 

 

 

 

           蛇穴を出で田舎道行く自由

 

 

 

 

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 牡丹が咲き始めました。まずは紅牡丹。