山椿

『文学としての俳句』    饗庭 孝男著

 「俳句の十七字というものは容易ではない。短いから詠みやすい、と思う人は俳句などしない方がよい。」とのっけから厳しい。

 俳句や短歌という短詩系文学が文芸時評の対象から消えてしまったのはなぜか。もちろん文学として語るに足るものが乏しいということになるだろう。が、その遠因の一つとして「結社制度」があるのではないか。結社制度の内閉的性格が仲間うちでの安易な褒め合いとなり「自分を相対化しながら作品を深める契機を失ったのではないか。」文学などというのは内発的なものである。仲間内で和気あいあいというのではなくみずからの孤独に向き合ってこそ生まれでてくる。

 筆者の言わんとするところはおよそこんなことだろうか。結社制度にうんざりして飛び出した身にはうべなるかな。と言っても我が俳句に文学性があるというわけではない。

文学性がある俳句としてこの本で取り上げられた俳人は二十三人。総じて古い人が多い。一番最近の俳人としては龍太先生か。簡単には読みきれぬ内容なので一人ひとりじっくりと読ませていただきたい。

 それにしてもこの本はアマゾンのマーケットプレイスで1円であった。(送料別)新品同様に綺麗でこの値段。喜んでいいのか悲しいと思うべきか。

 

 

 

 

     山椿かつて鯨を獲りし海

 

 

 

 

文学としての俳句

文学としての俳句

 

初蝶

『小さな雪の町の物語』   杉 みき子著

 ネットでたまたまこの人の名に触れて、図書館の閉架棚から借り出してきた一冊。

 くもり日の似合う町である。長いがんぎに寄りそわれた木造の家なみは、この町に城のあった数百年のむかしから、少しの変化もなく、低い空の下でまどろんでいるように見えた。         「冬のおとずれ」より

 著者の故郷、越後高田に材をとったいくつかのお話。雪に埋もれてひっそりと暮らすおばあさん。心優しく賢い子ども。静かな懐かしさが心地よい。そう言えば、「高田」というのはもう今はないらしい。直江津市と合併して上越市になったというから「直江津」という呼び名も消えてしまったのだそうだ。

 そうそう、教科書にあった「わらぐつの中の神様」も杉さんの作品。やはり雪国の暮らしとそこに暮らすおばあさんが出てくるお話だった。

 「雪がすっかりとけて城あとの花見もまじかというある夜」暗い夜道を歩いていた少年が聞いた馬と人の走る音。

   ー急げや。ことしは遊びすぎたすけ、早くいかんとまにあわんどー。・・・・・・

 あくる朝、妙高山と南葉山のいただきには、いつものはね馬と種まき男のすがたがくっきりとうかびあがった。       「春のあしおと」より      

                     

 雪国はまだまだ「春のあしおと」には遠い日々だろうが当地はすっかり春めいてきた。今日も図書館に出かけたら駐車場はいつになくいっぱい。陽気に誘われたように公園をそぞろ歩く人も多い。

 コンコンコンと小屋のトタン屋根を叩く音。「だあれ」と見ればカー公殿。巣作り用の桜の枝を折るのに余念がない。ここにも春の訪れである。

 

 

 

 

     初蝶や草掻く夫に餉(け)を告ぐる

 

 

 

 

小さな雪の町の物語

小さな雪の町の物語

f:id:octpus11:20180227142522j:plain

春炬燵

『苦界浄土』    石牟礼 道子著

 それにしても酷い話であった。石牟礼さんが亡くなったことをきっかけに再読しようと手にとったのだが・・・。

 発刊された1968年といえば大学を卒業した年で、当時この本を読んだ覚えはあるのだが、ここまでの重たさを感じて読めていたかどうかはわからない。今は親にもなり婆にもなり子を想い孫をも想えば、被害者になった人々の悔しさや悲しさや辛さは他人事とは思えない。

なむあみだぶつさえとなえとれば、ほとけさまのきっと極楽浄土につれていって、この世の苦労はぜんぶち忘れさすちゅうが、あねさん、わしども夫婦は、なむあみだぶつ唱えはするがこの世に、この杢をうっちょいいて、自分どもだけ、極楽につれていたてもらうわけにゃ、ゆかんとでござす。わしゃ、つろうござす。

 九歳になっても立つことも出来ず話すことも出来ず、ただただ耳をすまし澄んだ瞳を向ける杢太郎少年をかかえる 爺さまの嘆きは涙なしには読めない一節だ。

 昔はこれらはルポルタージュだと思っていたが実はそうではないらしい。「ものいわぬかれら」の胸の内を代弁した石牟礼さん自身の肉声であり告発であるというのだ。

 何と凄い仕事であろうか。

 「水俣病」で検索すれば「公式認定から61年、被害範囲は今も確定されず」とある。今だもって差別と偏見、誹謗中傷が残るともいう。いつの時代でも弱者が声を上げればそれに言いがかりを付ける人がいる。悲しい現実だ。

 

 「オリンピック」も終わった。人並み外れた努力の結果、栄誉のメダルに輝いた人の涙のインタビューを見ていてこちらも涙が溢れた。顔をくしゃくしゃとして鼻を赤くして我慢している隣人。お互いトシヨリは涙腺が緩い。

 

 

 

 

     老いふたりもらい泣きして春炬燵

 

 

 

 

 

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

 

あたたか

風もなく陽射しあり。少しずつ身体を動かすかという気にもなり散歩をする。たいした距離ではない。我が家の隣を流れる川に沿って三十分ほど。カルガモヒヨドリジョウビタキシロハラカワセミ、スズメ、カラス。散歩の間に出会った鳥たちである。温いというのは鳥たちにもわかるのであろう。

 金子兜太さん逝去。いつだったか「私は死なないような気がしている」と言われていたが、やはりそうはいかなかった。亡くなった親しかった人々の名前を順に唱えるのがお経代わりの日課だとも言われていたが、その最後尾に連なられたということか。骨太で土着的原始の匂いのする俳句であった。合掌礼拝。

 

 

 

 

     あたたかや鳥は水浴びくりかえす

 

 

 

 

f:id:octpus11:20180222155335j:plain

蕗味噌

天野忠詩集』    天野 忠著

 稔典さんの本で知って県立図書館で借りてきてもらった一冊。わかりやすく心に沁みる詩が多い。この詩集(日本現代詩文庫 土曜美術社)には、おそらく編集順だと思うが九つの詩集と詩画集とエッセイが収録されている。若いころとおもわれるものは貧乏や病気や死や生きにくさがテーマで、だんだん年齢をかさねると夫婦や家族や老いがテーマになってくる。

私のとなりに寝ている人は

四十年前から

ずうっと毎晩

私のとなりに寝ている。

 

夏は軽い夏蒲団で

冬は厚い冬蒲団で

ずっと毎晩

私のとなりに寝ている。

 

あれが四十年というものか・・・・・・

 

風呂敷のようなものが

うっすら

口をあけている。

                           「時間」より

どれもいいが、老年になってからの婆さんと爺さんの出てくる詩が今の気持ちにはぴったりとくる。はてさて私の隣の風呂敷のようなものは四十年どころかもうすぐ五十年も一緒だが・・・。

いろんなむかしが

私のうしろにねている。

あたたかい灰のようで

みんなおだやかなものだ。

 

むかしという言葉は

柔和だねえ

そして軽い・・・・・

 

いま私は七十歳、はだかで

天井を見上げている

自分の死んだ顔を想っている。

 

地面と水平にねている

地面と変わらぬ色をしている

むかしという表情にぴったりで

 

しずかに蝿もとんでいて・・・・・・。

 

                           「私有地」より一部分

 天野忠氏、平成五年逝去。享年八十四歳。

日本現代詩文庫 11

日本現代詩文庫 11

 

友達のIさんと電話で「そろそろ蕗の薹の頃だね」と話して、さっそくいくつかの蕗の薹を庭で摘んだ。陽だまりにはオオイヌフグリも咲き出して少しずつ春は始まっているようだ。初採りの蕗の薹は父が好きだった蕗味噌にしようか。

 オリンピックも半分終わり、あまり「メダルメダルと言うな」と言いつつやはりメダルには感動。小平さんの「金」の瞬間にはちょっとうるうるした。

 

 

 

 

     蕗味噌や母亡きのちの父のこと

 

 

 

 

 

f:id:octpus11:20180220135812j:plain

 

 

卒業

『竹林精舎』  玄侑 宗久著

 七年ぶりの書下ろしである。大僧侶に対して失礼な言い方かも知れないが、玄侑さんは真面目である。いつも真正面から物事に対峙しておられるところが好きで今回の一冊も期待して手に取った。

 一言で言えば、東日本大震災で両親を亡くした若者が仏の教えに導かれながら福島の小さな禅寺の住職として自立していく話である。若者らしい苦悩や放射能汚染という福島の現実があるなかで、一歩づつ前向きに進んでいこうとする宗圭という若い禅僧には好感がもて、庇護者のような気持ちで一挙に読めた。

 「放射能は怖がらなけれがならないのか、怖がりすぎてはいけないのか」この本にもいくども出てくる問題。「安心もするし不安も感じる」という友人の僧侶敬道の言葉は著者自身の見解だと思う。いたずらに不安を煽ることで福島の人々が被っている苦悩は大きいと思うが、だからといって汚染された現実を全く大丈夫と容認もできないということだと思う。福島に住む当事者だからこその深刻な問題意識を、こんなふうに簡単に片付けることに後ろめたさを感じるのだが、端に住む人間にはもう忘れかけた意識だから改めて考えさせられた。

 それにしても宗圭の「死者」に対する真摯な姿勢には感心した。戒名をつけるのにもあのように生前の人となりを聞き、その人柄にふさわしいものがつけられるとは。おそらくそれは玄侑さんのやり方なのだろうが、羨ましいことだ。こういう真摯なお坊さんが多ければ今の仏教も捨てたものではないが・・・。

 

 

 

 

 

      希望てふ白き画布あり卒業す

 

 

 

 

竹林精舎

竹林精舎

料峭(りょうしょう)

『椋鳥日記』   小沼 丹著

 この本について書いておられるブログを読んだ。Tの書棚にあったはずと出してくる。筆者のイギリス在住時のもので八編からなる短編小説集らしいが、小説というよりはエッセイという趣だ。プロットらしいものはなく淡々とした日常報告である。イギリスの街角の風景、市井で出会った人びと(それも老人が多いのだが)、疲れて入る食堂や居酒屋、そんなことが随分古めかしい表記で書かれている。どのくらい古めかしいかというと、ロンドンは倫敦、アイルランドは愛蘭、もっとすごいのは莫斯科・西班牙となる。仮名がなければ読めやしない判じ物もののようなこの二つはモスクワとスペインである。こんな表記と共に描かれる倫敦だからどんな昔かと思えば、七十年代初めの頃なのだ。そういうことではこれは小沼丹の創作したロンドンかもしれない。

 小沼丹といえば彼と親しかった庄野潤三が一時期はとても好きだった。それこそプロットらしいものがない淡々とした家族風景だったが、その暖かさが好ましかった。あまりに毎回同じような展開に晩年の作品を読むのはやめてしまったが、ネットにフアン掲示板のようなのがあるのには驚いた。いまでも好きな人は多いようだ。その掲示板に庄野さんのご家族の書き込みがあり、昨年奥様も亡くなったことが報告されていた。ああ、光陰は矢のごとし。

 

 さて、昨日かかりつけ医のところに出かけ健康診断の一環で身長測定もする。体重は減ったことはわかっていたが身長も若い頃から比べると5センチも縮んでいる。背中が丸くなっているといつもH殿に注意されるのだがこんな数字をみるとガックリとくる。孫に背筋が伸びていると言われたH殿はいつも元気である。

 

 

 

 

     料峭や本堂で聴く仏典解

 

                       *料峭とは春になっても寒いこと

 

 

 

 

椋鳥日記 (講談社文芸文庫)

椋鳥日記 (講談社文芸文庫)