NHKBSで映画「ビューティフル・マインド」を見た。別に見るつもりはなかったのだがあまりの寒さに暖房の部屋で縮こまっているうちに見てしまうことに。

 アメリカ映画で実在の人物「ジョン・ナッシュ」を扱った話だ。実は、彼がノーベル賞を受賞した数学者だということも彼が長い間精神を病んだということも知らなかった。見終わった後調べてみたら映画ほどキレイ事ばかりではなかったようだが、彼が長い闘病の果てに大学に復帰し、ノーベル賞を受賞したというのは事実そのものらしい。映画のなかで彼の妻が「(回復の)可能性にかけてみるの」と叫んだ一言は物語の核心に迫る言葉でなかなか感動的でもあった。

 昨日、一昨日と二日続けて大学に合格したTの教え子の訪問を受けた。二人は夫や私のかっての教え子でもあり、幼かったころからの思い出話も含めていろいろ話がはずんだ。そのうちのY君は中学の頃はなかなかの問題児でパトカーに乗ったことを自慢していたくらいだが今やすっかり勉強家に変身、大学では電子工学に取り組むという。小中学校で手に負えなかった子がすっかり変わったというのはY君に限らずいくつも見てきた例で、長い時間をみてこなければわからないことだった。

 それやこれやを考えれば長い人生に紆余曲折はつきもので棺の蓋を覆うまでは何が是で何が非かわからないということなのだろう。そうはいっても凡夫の悲しさ、目先の結果にとらわれてすっきりと悟れぬのが残念。

 二月十日 石牟礼道子さん逝去。

 

 

 

 

     ひとすじの道尊けり梅白し

 

 

 

 

ビューティフル・マインド [DVD]

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囀り

 オリンピックが開幕してNHKのテレビ番組はオリンピックばかり。そんなに興味のある人がいるのかしらんと思ってしまう。オリンピック番組はなおさらもともとあまり見たい番組もないテレビだが、二つほどビデオを取ってでも見ている番組がある。どちらもNHKの番組の「やまと尼寺精進日記」「ザ落語ザ・ムービー」

 前者は奈良の談山神社近く音羽山観音寺に暮らす三人の女性の生活報告。ご住職と副住職とお手伝いさんの三人だが、この三人がいつも明るい。笑い声が絶えないうえに暮らしぶりが実に豊か、仏教の宿泊道場のようなもの兼ねておられるせいかお料理などの工夫も効いている。いつも感心しきりで見て、明るい気持ちにさせられている。これはたいてい月一回Eテレでの放映のはず。

 もうひとつの方は落語の語りに口パクで芝居を被せたもの。これがピッタリと合っていて面白い。落語もいいが芸達者な芝居もいい。これは月二回ほどかしらん。どちらもお薦め。

 これ以外で家族で見たりするのは「ブラタモリ」。季節によっては火野さんの「こころ旅」。民放はほとんど見ないからNHKの受信料を払うのもやむなしである。

 

 

 

 

     ほしきものききみみ頭巾囀れり

また歳時記が戻ってしまったが掲載句の都合上ご勘弁を。原石鼎の句ではないが庭の蜜柑の木の下で青鷺がぼんやりしていた。全くぼんやりとしかいえない風情でかなり近づいても逃げない。怪我でもしているのかと思ったほどだ。我が家は川の隣だから大檜のてっぺんに鷺がいるのはよくあることだが庭にいたのをみたのは初めてだ。今日の陽気に日向ぼっこかしらん。

 寒い寒いといっても着実に春は近づいているらしくいつもこの時期に現れるシロハラもよく見かけるようになった。

 

 

 

 

   雪に来て美事な鳥のだまり居る   原 石鼎

 

 

 石鼎の見た鳥はなんだろう。庭などではなく雪原などに飛来した鳥を想像したらいいのか。だが遠景ではないだろう。清水哲夫は「増殖する歳時記」の中で「石鼎は美事な鳥をみていないのではないか」という。「美事」といい「だまり居る」といい存在感はあるのだが実感がともなわずその点で胡散臭いと評している。

 

 

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冬終わる

 マルティナさんの「腹巻き帽子」ができた。もっとももともとの「腹巻き帽子」とは違う。先に編んだYが「テキストどおりに編むと案外重いよ」と教えてくれたので同色糸だけで「帽子」というより「ネックウオーマー」を目指した。表目と裏目だけだが綺麗な模様ができてなかなかだ。 まだ当分寒そうなので重宝しそうだ。もうひと巻きのほうは何か別なものを編みたいと思う。もうひとつテキストと違うのは編み出しがマルティナさん風にドイツ式作り目でないこと。なかなか手加減がわからずに結局いままでの作り目で編み始めた。何らかわりはないと思うのだがどうかしらん。写真は家人に頼んだがアラがわかるのでできるだけ小さく・・・。 

 

 

 

 

      黐(もち)の実の食べ尽くされて冬終わる 

 

 

 

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余寒

古事記のひみつ』  三浦 佑之著

 先に読んだ三浦さんの本『風土記の世界』で感じた「古事記とは一体何なのか」という疑問を解くための一冊である。

 教科書ではどちらも天武天皇の詔で始まったが、『古事記』は稗田阿礼の誦習を太安万侶が編纂、『日本書紀』は舎人親王らの編纂と習った記憶がある。全く同時代に二冊の歴史書が作られたことには何の疑問も抱かなかったのだが、三浦さんによれば相矛盾するともいえる二冊らしい。

 『古事記』はオオクニヌシを始めとして神々の面白い逸話がいっぱいなので読んだことはあるが、各天皇の事績を編年体で記した『日本書紀』は読もうという気も起きず、二冊の内容に大きな違いがあるとは知らなかった。例えば『古事記』で多くを占める「出雲神話」は『日本書紀』には収録されず、『古事記』での悲劇の皇子ヤマトタケルは『日本書紀』では悲劇性はないという。

 この事実に三浦さんは、二冊は全く違う性質の書物だったとする。もちろん『日本書紀』は時の律令国家が目指した正史であるが、では『古事記』は何か。

 三浦さんは『古事記』の序文が怪しいという。九世紀初頭に書かれた別の文章に表現が極めて似ていることなどから、序文はこの頃の偽造ではないか。偽造は『古事記』の権威化のためになされたのではないか。だからこれが天武天皇の詔で作られたとするのは疑わしいというのだ。

 しかし、三浦さんは『古事記』本文を疑っているわけではない。表記や内容の古層性からおそらく7世紀後半までには書かれた。では誰が何のためにか、それはわからない。ただ古い時代のいくつかの言い伝えがありそれを収録したもののひとつとして『古事記』は残ってきたのではないかというのが答えである。だが紙というものが極めて貴重であった時代、古い言い伝えの収録・編纂には国家体制の何らかの意図があったには違いない。そんな気がする。

 『古事記』と『日本書紀』、あまり考えてもみなかったがなかなか面白い一冊であった。

 

 

 

 

     青菜の値たかどまりする余寒かな

 

 

 

 

古事記のひみつ―歴史書の成立 (歴史文化ライブラリー)

古事記のひみつ―歴史書の成立 (歴史文化ライブラリー)

 

 

春立つ

「古代史講義」  佐藤 信編

 久しぶりに買った新刊である。「邪馬台国から平安時代まで」と副題にあるとおりその間の「最新の研究成果や研究動向」を十五人の研究者で手分けして整理したものである。「昨今の研究の進展を受けてかっての古代史の通説は覆され」つつあるとあるが、かっての通説にさほど詳しくない身にとってはどこがどう変わったのかよく理解できないところもある。しかし、興味深かった点はいくつかありそのうちの二三について触れてみたい。

 ひとつは「邪馬台国」の位置の問題である。畿内か北部九州かと二者択一の問題がつづく論争だが、根拠となる「倭人伝」の記述に懐疑的な意見を紹介、中国史観に彩られた「倭人伝」を参照するのには慎重に成らざるを得ないとしている。その上で3C前半から後半にかけて(卑弥呼の時代)北部九州を中心に交易が活発だったのは事実だがその勢いは出雲を中心とした山陰地方にまで広がっていたとする。4C初め頃には交易の中心は畿内主導に移るようで大きく見れば北部九州から畿内へという流れは変わらないようだ。

 もうひとつは「聖徳太子」の存在である。聖徳太子はいなかったとする内容の本を読んだことがあるが、現在では「聖徳太子」は再検討の対象らしい。必要以上に聖人化されたが、実際は「厩戸皇子」ということで推古天皇蘇我馬子との三人体制で政治権力の中心を構成、よくいう「冠位十二階」などもこの体制のなかでつくられたものらしい。この関連で悪党のイメージがある蘇我氏も見直されつつあるということだ。

 8Cから官僚制的な国家を目指したヤマト政権が中国を手本として涙ぐましい努力を重ねていく様子には驚かされる。地方官にまで漢字や漢文の習得が必要視され文書主義が徹底されたという。漢字練習をした木簡が出土するのも宜なるかなである。

 入門書とあるがそれほどわかり易いわけではない。ただそれぞれの講義の後に「さらに詳しく知るための参考文献」があげてあるのは親切かもしれない。

 

 立春が過ぎて思わぬ寒波。今朝は朝からちらちらと雪。今夜のおでん鍋を用意しながら閉じこもって編み物と読書でもするしかないかなと思う。

 

 

 

 

     春立つや叩いて伸ばす鉄の塊

 

 

 

 

古代史講義 (ちくま新書)

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春隣

 今日は「節分」で明日は「立春」。暦は春になってもいっこうにその兆しすらない。明日からはまた一線級の寒波到来というので、墓参りをしてきた。歩いて10分ほどだが「伊吹おろし」の強い日にはこの10分が遠い。歩きながら小さい春でも見つからないかとカメラを持っていったのだが一面の冬枯れで何もない。用水のほとりにひとり生えの菜の花を見つけたが霜で傷んでいた。堤防の水仙も雪折れで傷んでいる。結局我が家の蝋梅を撮ることに。いつも一番に咲く蝋梅だが道路にはみ出しすぎるので強剪定をしては花芽が減り気味なのは残念だ。

 

 

 

 

     春隣日向に吊るす小鳥かご

 

 

 

 

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