台風

「家族の昭和」 関川 夏央著

 関川さんは「昭和」にこだわり続ける人である。「文芸表現を『歴史』として読みときたいという希望が、かねてからある。そこで今回は、昭和時代を『家族』という切断面で見ることを試みた。」のだそうだ。対象となったのは向田邦子の諸作品・吉野源三郎「きみたちはどう生きるか」・幸田文の「おとうと」や「流れる」・テレビドラマ「金曜日の妻たちへ」などである。

 向田作品を読んで、「戦前の中流家庭こそ戦後の原形があるのだ」と言う。それは高度経済成長の波に洗われるまで日本社会に残っていた懐かしい家庭像である。言いかえれば、外で苦労する父親を家族で支える家庭像で、父親だけ一品多い夕食のおかずなどにそれは象徴される家庭像かもしれない。

 一方、幸田文作品についてはどうか。「おとうと」などに描かれた家庭は露伴の厳しい教育としつけによって築かれた「東京山の手の家庭文化」である。それは、文の祖母から露伴・文・玉まで「幕府の瓦解によっても、社会の大衆化の巨波によっても、大震災の破壊によっても、また戦争と空襲によっても損なわれ、失われれることなく、昭和末年まで命脈を保った」ものである。そしてそれは、後年文が「流れる」で書いたように置屋での女中稼業中「失礼だけど、あんた何をした人?」と訝られるだけの人物をつくった家庭文化でもある。

そして、昭和六十年代、バブル期である。対象となったドラマは随分の視聴率だったらしいが、当方は見ていない。登場人物は当方らとほぼ同世代。「衣食足りて退屈を知る」言ってみれば「浮気と浮気心」の話である。ここには子供の登場はないし団欒もない。昭和六十年の合計特殊出生率は1・76だがこの後は徐々に低下する。「日本社会そのものが転換点にさしかかった時代であった。」というのだ。

 この本を読んでいてふと思ったのだが我が古家は昭和二年の建設。まさに昭和の家庭を包んできた家屋だ。前世代では父親を中心に回ってきた家庭だが、われわれの時代では夫の優位は霞んだかもしれない。しかし、田舎ゆえか残滓のようなものはあり、家庭秩序は守られて来たような気がする。「家族というのは全盛期がある」と言う。「全盛期があれば落日期があるのはことわりだ」この昭和の古家と一緒に、我が家もいまは落日期に足を踏み入れた。急激に落ち込んだ出生率高齢化でこれからの家族像がどう変わっていくのか。物は溢れたが精神が希薄になったこういう社会を望んだのか。いずれにしてもこの社会の変化に無縁ではいられないだろうなと思うばかりだ。

 

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     刻々と増す水嵩や台風裡(たいふうり)

 

 

 

 

家族の昭和

家族の昭和

 

 

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