涼し

『魂の秘境から』 石牟礼 道子著

 文章を書くということは、自分が蛇体であることを忘れたくて、道端の草花、四季折々に小さな花をつける雑草とたわむれることと似ていると思う。たとえば、春の野に芽を出す七草や蓮華草や、数知れず咲き拡がってゆく野草のさまざまを思い浮かべたわむれていると時刻を忘れる。魂が遠ざれきするのである。わたしの場合、文章を書くということも、魂が遠ざれきすることになってしまう。遠ざれきとは、どことも知れず、遠くまでさまよって行くという意味なのである。

 石牟礼さんの遺作である。身体の自由を失った石牟礼さんの魂(まぶり)は蝶となって水俣の懐かしい海辺や野山を遠ざれきする。幼かった頃の親しかった海や山の思い出。父や母に慈しまれた日々。そして、たおやかな水俣弁のひびき。

 間あいだに挟まれた芥川仁氏の写真もまた詩情にあふれ、珠玉の一冊となった。

 享年九十歳。このような高齢までかくもしなやかな魂(まぶり)を持ち続けた稀有なひとであったと思う。

 

 

 

 

          理髪店客来るまでの門涼み

 

 

 

 

魂の秘境から

魂の秘境から

西瓜

『平成遺産』

 八人の著者による平成オムニバス。あまりおもしろくなかったから一頁よんで止めた人もいたが読み通したなかでブレイディみかこさんの「ロスジェネを救え?いや、救ってもらえ」はちょっと考えさせられたので触れておきたい。

 みかこさんはイギリス在住なので「平成」という括りには詳しくないと断りながら年ごとの「流行語大賞」を手がかりに話を進める。

 平成21年の「派遣切り」とか「年越し派遣村」とかを手がかりにこの年こそ「経済的には致命的なクルーシャルだったように見える」と書いている。そしてこの年は政権交代のあった年でもあり、いわば時代が変わるという高揚感とは裏腹に不況感の色濃い言葉が選ばれたことにも触れ、この政権によってなされた「事業仕分け」などは不況に油を注ぐものだったのではないかと言っている。彼女は緊縮財政に異議を唱える人であるから経済に疎い身はそういうものかと思うしかないが、一時は「事業仕分け」に拍手をした身にとっては複雑な話だ。

 ロスジェネ世代というのはバブル崩壊後の就職氷河期と重なった世代で派遣や契約社員など不安定な雇用を余儀なくされた年代層をいう。若いうちにきちんと就職できなかったので貧困に苦しむ人が多い。「この層を支援し、彼らに社会を助けてもらうための投資を国が大々的に行えばいい」つまりロスジェネ世代を救う政策を打つことがこの国の縮小状態を改善する一助になるのではないかというのがというのが表題の意味である。

 そんなお金はない?いやお金はありますよと彼女。あんなに「国の借金、借金」と言われたていたのは財務省プロパガンダだなんて。去年の10月にIMFが発表した資料では日本のバランスシートは負債と資産がほぼ同額でプラスマイナスゼロだというのだ。この資料は日本のマスコミには無視されたらしいが「借金、借金」と煽ってきただけに都合が悪かったのだろうか。

 はてさて、私はいつも都合よく騙されてきた愚衆のひとりだったようだ。「こりゃ経済を勉強しなきゃ」とTに言ったら、「そりゃちょっと難しいよ」と笑われた。

 

 

 

 

         五分にて当落決定西瓜切る

 

 

 

 

平成遺産

平成遺産

『絶版殺人事件』 ピエール・ヴェリー著  佐藤 絵里訳

 図書館の新刊コーナーで立派なミステリー本を見つけ、雨のつれづれに読む。作者はフランス人、作品は第一回フランス冒険小説大賞を受賞とある三十年前の作品だ。

 謎を解くのはフランス人の引退した古文書管理人だが事件の舞台はスコットランドである。なぜだろう。謎めいた事件といえばイギリスの方が舞台装置としてはいいのかしらん。

 あけすけの感想を言えば星三つかなである。同じ舞台で関係のないふたつの事件がからみあって複雑だがすっきりした読了感がない。古い手紙が事件の発端になるのだがそれがなぜ犯人の手に渡ったのか説明がない。読み落としたのかと読み返してもわからぬ。犯人が手紙を元に画策に走る過程がわからぬ。だから謎解きをされても納得感に乏しい。

続けて二冊読んでミステリーはもういいなと思う。

一日中本を読んで動かぬのでH殿は「勉強のしすぎ」と揶揄する。梅雨が明けたらやらなければならぬことはいろいろあるのだがこの天気ではどうにもならない。

 

 

 

 

       読みまちがひ覚えまちがい黴の書庫

 

 

 

 

絶版殺人事件 (論創海外ミステリ)

絶版殺人事件 (論創海外ミステリ)

 

 

梅雨長し

『アジア海道紀行』  佐々木 幹郎著

 県の図書館で未読の佐々木さんの本と久しぶりに出会った。この人の書きっぷりが好きなのだが最近はどうしておられるのかなかなか出会わない。この本とて発刊は古いといえば古い。

 海道紀行というのは鑑真などの足跡を辿りながら東シナ海を取り巻く港や都市を巡る旅の記録だ。坊津・揚州・舟山群島・寧波・長崎・釜山・済州島・平戸そして上海。東シナ海を内海のようにしてぐるりと回り人の交流や物の行き来を振り返る。昔の古い言葉に「海彼(かいひ)」という隣国を表す言葉があったというが、鎖国以前の日本には海を通してのお隣という意識があったのではないかと佐々木さん。

 鑑真は日本への渡航を依頼された時、反対する弟子たちを制して「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」と語り、六度の苦難を乗り越えて来日されたそうだが、この言葉はもともとは長屋王が中国に送った袈裟に縫い取られた言葉で、鑑真はそれを日本の心ある言葉として引用したのだという。

 「山川の域は異なっていても風月は天を同じうする」「海彼」とのお付き合いでは千三百年前のこの言葉を今こそ静かに思い返す時かもしれぬ。

 

 

 

 

         傘立てに傘はあふれて梅雨長し

 

 

 

 

アジア海道紀行

アジア海道紀行

 

 

青大将

『天野 忠随筆選』   山田 稔選

 天野さんの既刊の随筆集をもとに山田さんが編まれた随筆集である。天野さんの詩集は先に読んだが特に心に残っのは老妻ものだ。これは随筆集であり詩集とはまた違った趣があるに違いない。

 あとがきで山田さんは、「何でもないこと」が天野忠の随筆の中身だ、「何でもないこと」にひそむ人生の滋味を平明な言葉で表現するのが文の芸だと書かれている。天野さんも自身を何でもなさを嗜好とする天邪鬼的な存在だと認めておられるし、その詩もそういうものだったように記憶する。

 天野さんは若い頃から蒲柳の質だったらしく最小限の働きで糊口をしのぎ後は悠々自適で生きてこられたような印象を受けたのだが、どうであろうか。どれを読んでも韜晦したような謙虚さが滲み出ている。

 いくつかの暮らしの断片からしみじみとした滋味を味わわせていただいたが、ことに心に残ったものはやはり老いてからの暮らしの断片である。念願の書斎ができてその天袋に古日記や古ノートの大束をしまい込もうとしての述懐である。(「書斎の幸福」)本当は一度に焼いてしまうつもりが焼けなかった古いノートや古い日記帳。

 「 三十年も昔のノートの頁を繰ることが出来るというような、そのようなことが出来る境涯になったということ、少しばかりもの悲しく、しかしまた少しばかり満ち足りたような感じ・・・これがひょっとしたら幸福というものかもしれない。」

たぶんそうだろうと肯いつつも、いやそれだけではないだろうとも思う。

 「残して置きたいというのは、生きてきた証拠がためみたいなもの、幸や不幸とは関係なく、この人生にしがみついて生きてきたことのしるし・・・」

 

 ふと、呆けるまで五十年以上に渡って日記を書いてきた姉のあの膨大な日記は、今や無人ともいえる家で静かに埃をかぶっているかなと思う。姉は歳をとったら読み返すのを楽しみのひとつにすると言っていたのだが。姉程ではないがもう三十年ぐらいになる自分の日記や句帳だって、何ほどのこともないくせにたまっているではないか。

 

 先だって岩波ブックレットで『年表 昭和・平成史』を買った。1926年から2019年まで一年一頁の記載である。欄外に自分史や家族史を記録してみようと思ったのである。天野さんではないが、全く「生きてきた証拠がためみたいなもの」である。トシヨリは記録したがる整理したがるといったのはたしか池内さんだったと思ったけれど・・・。

 

 車庫の脇の蝋梅の茂みにスズメバチが巣を作っているのを見つけた。まだハンドボールのボールほどだが今のうちになんとかしなければとH殿。何年かに一度はあるのだが、またまた余計な物入りである。蛇やら百足やらと自然との共生もなかなか厄介だ。

 

 

 

 

         漢にも泣きどころあり青大将

 

 

 

 

天野忠随筆選 (ノアコレクション (8))

天野忠随筆選 (ノアコレクション (8))

 

梅雨深し

カササギ殺人事件 下』 アンソニーホロヴィッツ著 山田 蘭訳

 三ヶ月ぶりの『カササギ殺人事件』である。正直に言って前編の話も面白味も概ね忘れてしまっており、気の抜けたサイダーでも飲む気分で読み始めた。ところが後編は前篇とはまるで違う話の展開。つまり前編は作中作で前編の作者が後編の被害者になるという入れ子の構造だったのである。前編の種明かしは後編のおしまいにさらりと触れられるというだけで、こういうのを傑作というのか。(惹句に去年のミステリー部門の5冠とある)ミステリーといったら犯人を示唆する手がかりが巧妙に仕掛けられていて、その謎解きが読者としても面白いのだが、すくなくともそういう楽しみはなかった。前半はアガサクリスティ風でも後半は現代の話なのだが社会性という点でも物足りない。それでも読み始めると先々が気になるのであっという間に読めた。

 

 今日も梅雨空。去年の日記を見ると連日の猛暑日である。それに比べて過ごしやすいのはいいが、所によっては冷夏との報道も聞く。これからがどうなるのだろうか。

 

 

 

 

       推理本降りみ降らずみ梅雨深し

 

 

 

 

 独歩『武蔵野』にあった一節を使ってみたくて物した一句です。

 

カササギ殺人事件〈下〉 (創元推理文庫)

カササギ殺人事件〈下〉 (創元推理文庫)

 

七月

『「宿命」を生きる若者たち』 土井 隆義著

 香港では若者が中心になり激しい政治批判が起こった。比べて日本にはなんの問題もないように静かである。日本は豊かなのか、恵まれているのか、若者に何の不満もないのか。そんなことはないはずだ。一人当たり購買力平価GDPひとつをとっても香港は11位、日本は31位(2018年版)若者の相対的貧困率は上昇、格差は拡大しているのである。ところがである。生活満足度も上昇しているのだという。この経済動向と幸福感が相関しないことについて筆者は社会学者の古市氏の見解を紹介しているが、それは一つには人間関係の心地よさで生活が満たされるということ、もう一つには高い希望を抱かなくなったゆえの満足感だという。筆者はこの見解を始まりに様々な資料を駆使して、今の若者の多くが生得的属性に縛られた宿命観(生まれつきだからしかたがない)に縛られて、内向きに小さくまとまっている現実を明らかにしている。

 それはさておき、トシヨリが今更若者についての話を読んでみようなどと思ったのはこの国の未来に明るさが見えないからである。遠からず土に還る身には目をつぶっておればすんでいくことだが、これからの人たちはどうするのだろうと老婆心が疼いたからである。

 土井氏は言う。生得的属性と思われるものでも多くは社会化による産物でしかない。だからこそ社会制度の是正が必要ならばそれを可能にすべく声をあげるべきであると。そして、ネットを駆使してあっというまに大勢のボランティアを集めた総社市の高校生の例を引きながら「現在の若者たちは、人間関係の内閉化や生活圏の分断化を、その気になれば軽々と乗り越える力をもっている」とも。

 

 

 

 

    七月や雨脚を見て門司にあり   藤田 湘子

 

 

 

 

 

 湘子の句でも好きな一句。大岡信さんは「読者の側でさまざまに空想できるふくらみがある」と評している。まさに映画の一場面を見る思いがする。