荒神輿

 例年の、郷社「手力雄神社」の春祭である。今年はうちの町内会は三年に一度の当番年で、四月になってから神輿造りをして、今日はその神輿を神社にかつぎ込むのである。子供神輿はどこの地域でも同じ可愛いものだが、最近になって半分復活した大人神輿はなかなか勇壮なものである。金銀に塗り分けられた雌雄の鳳凰を持つ大神輿が四基、二組の登場。雌雄同士が組み合ってもみ合い、新しい神の降臨を迎えるのだが、今はそこまではしない。雌雄組み合ってぐるぐる廻る程度だが、力強い太鼓の音を聞けが、やはり血が沸き立つ。といっても「手力雄尊」は力の神さまなので、昔は小児といえども女子が神輿を担ぐことはなかった。

 

 残念ながら今年は神社まで出かける元気はなく、祭りにあわせて来宅した孫に撮影を頼んだ。見てきた子や孫たちの話によれば、今年は廻るのも迫力はなく太鼓も昔のような勇壮さはなかったようだ。なかなか祭りの伝統を維持していくのも難しいもののようだ。

 

 

 

 

     

      祭神は女ぎらいや荒神輿

 

 

 

 

 

 

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 下の3枚は泰君の撮影

永き日

 一日が長い。ただでさえ日永の頃であるに加え、早起きである。体調もあって思うように身体は動かせぬ。本を取り上げてもそうそう読んでばかりいる気にもなれぬ。今朝、思い立って簡単な「手芸キット」を注文してみた。複雑なのは根気が怪しいので、本当に簡単なクロスステッチ刺繍のキットだ。これでちょっとは気晴らしになるかしらん。

 昨日のネットで坂本さんの「癌闘病インタビュー」を読んだ。自分の現状から共感することが多々あり、励まされた。回復するにつれ「インプット」だけでなく「アウトプット」もしたくなるものだとあったがこれも同感。当方も少しずつそんな気分にもなってきた。坂本さんとは比べるべくもないが作ること、書くこと、詠むことが一番、現実を忘れさせてくれる気がする。

 

 

 

 

     永き日や風にのりくる鶏の声

 

 

 

 

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春惜しむ

かぐや姫の結婚』   繁田 信一著

 摂関時代に「かぐや姫」とあだ名された姫の誕生から結婚までの実際のお話である。

 姫の名前は藤原千古(ちふる)。父親は『小右記』を書いた藤原実質である。道長の対立勢力の雄ともいう人物で、むろん当時の権力の中枢にいたうえ、莫大な富の持ち主でもあったとされる。彼が晩年に得た娘が「かぐや姫」で、何人かの娘を失ったあとにやっと得た子である彼女に、実質は千年も生きて欲しいという名付けもふくめて、これでもかというほどの愛情を注ぐ。そして、そのすべてが『小右記』に記録されているのだ。

 彼女のような姫なら、本来は入内して皇后の位につくことも可能なのだが、いかにせん道長の専横時代である。いくつかの縁談も道長一派のよこやりにあい、父親にしてはやや不本意な位の婿を迎えたのは、当時にしては晩婚ともいえる二十歳手前。それでも一女を得たらしいのだが彼女自身は二十代で亡くなってしまう。多分お産のせいではないかと筆者の推理。当時はお産は女性にとっては生き死ににかかわる大事だったようだ。

 その後は彼女の莫大な資産を受け継いだ娘が百歳ちかくまで長生きしたとか、失意の実質が呆けながらも九十歳まで長生きしたとかそんな後日談もある。

 

 平安朝の貴族社会の一こまを知るにはまあまあ面白い一冊ではあった。が、何か大事がおこれば神仏を頼るしか術がないというのは辛いことではある。平安期の薬師如来観音菩薩がかくまでも多いのは、こういうことであろうとつくづく考える。

 

 MRの検査を受けて(初体験)、病巣が縮小していると告げられる。久しぶりにホッとする。

 

 

 

 

     春惜しむふだんのことを一歩づつ

 

 

 

 

かぐや姫の結婚

かぐや姫の結婚

 

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蝌蚪(くわと)

『俳句で夜遊び、はじめました』    岸本 葉子著

 入院中はコメント欄でおなじみのこはるさんの体験に習って、須賀敦子『コルシカ書店の仲間たち』を再読、その透明で感情を抑えた文体に随分慰められた。もう一冊読んだのは白洲正子『近江山河抄』でこれはやや粘っこい文体ながら、記憶に残る風景を思い出してはそれなりに楽しんだ。

 

 帰宅してからはともかく気楽に読めるものを、と思って読み始めたのがこれ。岸本さんのことはよく知らなかったのだが最近テレビ俳壇などで随分ご活躍らしい。「夜遊び」と名うってあるだけに夜の句会のお話で、句会の楽しい側面がよくでている。読んでいて旧知の句仲間の名前がでてきたのにはびっくり。岐阜の鵜飼や白山長滝神社を吟行するくだりでである。旧知の二人というのはいずれも男性で、当方より若い。ご一緒していた頃もなかなか野心的な俳句を詠まれる二人だったから、今でも意欲的なのであろう。

 

 下の孫が中学生になった。甘ったれだと思っていたのに見舞いに来てくてた時に、薄っすらと生えた髭を発見。いやいや子供の成長は早いものです。

 

 

 

 

      少年に薄き髭生え蝌蚪に足

 

                      蝌蚪・・・オタマジャクシ

 

 

 

 

俳句で夜遊び、はじめました

俳句で夜遊び、はじめました

 

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ブルーベリの花

紋黃蝶

 帰宅して一番に感じたのは我が家の緑。田舎の古家と畑つづきの庭だから緑だけは豊かだ。留守の間、H殿もせっせと世話をしてくれていたようだが、気になることもいくつかあり、よたよたと庭に出る。生来の貧乏性でのんびりということが出来ないたちもある。去年体調不良のせいで世話を怠けただけ植物も敏感だ。例年よりぐんと花芽を減らしたのは君子蘭・シンピジューム。アッツザクラも芽生えが少ない。中にはすっかり絶やしてしまった鷺草やシロバナホトトギスも。がっかりしながら見まわっていたうちでひと鉢だけ例年より元気な鉢を見つける。多分置き場所がよかったのだろう。十年ほど前、句友のKさんに頂いたものだが、残念ながら名前を失念してしまった。下記の写真の植物である。白い小さいスズランのような花を付けている。

 

 

 

 

     のんびりとできぬ質なり紋黄蝶

 

 

 

 

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春祭

 

 下世話な言い方ですが「娑婆」に舞い戻って3日目になります。あれよあれよという間に入院、手術と進み17日間のの入院の間、いつの間にか花は若葉に。これで完治ならいいのですが、長丁場の戦いになりそうです。取り敢えず今は通院にて放射線治療と飲み薬が毎日です。こう申せば詳しい病名は申さなくても大まかにはお分かりのことでしょう。まさかまさかの罹患です。身内に同病の者は全くなく、自分には関係のないことと思っておりました。これがグズグズした判断に繋がったところもありそうです。幸いにも二人目からのお医者さまの対応が迅速で今のところは何とかなりそうで、前向きに考えております。

 

 さて、我が家にとっては大変な17日間でしたが、よき点もまた、ありです。急な入院で取り敢えず作ったメモを頼りに男世帯ながら大奮闘をしてくれました。娘も頻繁に訪れてくれ帰宅後いつもと変わらぬ家庭内に安心やら感謝。「私がいなければ、回っていかない」と、思っていたのはどうやら思い上がりだったようです。改めて家族の絆をありがたいと思ったことです。

 

 闘病記を含めまたつれづれなるままにぼちぼちと書こうと思いますのでよろしくお願いします。俳句は当分他人様のを使わせていただくことが多いかと思います。なかなか詩ごころが湧いてきません。

 

 

 

 

     病室の窓辺にとどく春祭

 

 

 

 

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行く春

昨日受診してきました。即、入院です。お産以来の入院ですし、その後の治療を考えると不安はありますが今は早く楽になりたいという気持ちのほうが強く案外冷静です。我が身の留守の男世帯にもちょっとした試練です。

 ブログは残念ですが当分の間お休みします。

 

 

 

 

     行く春や我が身ばかりをよそにして