草萌える

再び「俳句」について

 

 昨日の朝刊、この地方の文芸欄に家人の荻原裕幸氏が『ベスト100 武藤紀子』について書いておられる。武藤さんは俳誌『円座』の主宰でなかなか豪放磊落な女性、花に例えれば大輪のひまわりとでも言おうか。一時期この結社に身を寄せていて感じた印象である。

 この本はふらんす堂から刊行された自句自解のシリーズの一冊らしいが武藤さんらしい実にユニークな自注らしく、荻原氏も「こんなにぶっちゃけていいんだろうかと心配したくなるような面白さである」と書かれている。

 引用されている句も例えば

 飯盒・背嚢・毛布・靴・冬の雨    なにこれって俳句?というものもあれば

 蕗を煮る柱時計の音の中     という古典的なものもある。

前者は作詞家の山口洋子の「横浜・黄昏・・」と「言葉を重ねる」イメージに触発されたらしいし、後者は実は「アスパラを煮る」だったというのだ。「蕗を煮る」といかにも俳句らしくふるめかして、長谷川櫂氏「古志」の巻頭を取ったということで、ぺろりと赤い舌を出した武藤さんが目に浮かぶ。

一家を構えれば何を作っても俳句と認められるところが羨ましいといえば羨ましい。しかしまあこの自由な姿勢は見習わなければと思った次第。

それで今日も勝手な句を掲載します。これは季語が問題です。

 

 

 

 

     アフリカを出でし人類草萌える

 

 

 

 

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青き踏む

「俳句」について

 

あまり耳慣れない季語だが今日はこの季語を詠んだ掲載句について少々。

「青き踏む」とは歳時記によれば旧暦三月三日に野山に出て、青々とも萌え出た草を踏み、宴を催す中国の習俗にならったものらしく、転じて春の野山での散策が本意である。

 さて、掲載句であるが少し前に公園で見かけた光景である。突き出されたあまりに立派なお腹(多分臨月なのでしょう)と堂々たる歩きっぷりに微笑ましく思って出来た一句。久しぶりに手応えを感じて新聞に投稿したが・・・没。自己満足で終了。原始的で生命感が溢れていると思ったのだが(苦笑)まあ龍太先生ではないが「駄目でも気に入ったのは残しておく」ことにする。

 

 我が家の桜も木蓮も満開。椿・花にら・芝桜・水仙・草木瓜・チューリップ・デージー・ムスカリ・ヒヤシンス・・・いろいろ咲きだした。

 

 

 

 

     孕みたる腹りゆうりゆうと青き踏む

 

 

 

 

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囀り

 ちょっと病名は憚られますが、去年からずっと体調不良に悩まされ、今に今にと思っておりましたがなかなか良くならず、今日セカンドオピニオンを求めて大阪まで出かけました。結果はあまりかんばしいものではなく、大きな病院での検査をということで紹介状をもらって帰りました。気分は最悪ですが、まずは病院の受診待ちです。ブログもとぎれがちになるかと思いますがよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

     囀りや原生林に日をいれて

 

 

 

 

 

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 気分とは対象的に庭は春真っ盛りです。

さくら

 『おらおらでひとりいぐも』   若竹 千佐子著

 青春小説に対して玄冬小説と名づけて、話題の本である。筆者はまだお若いようだが、まさにこの桃子さんの年の当方にとっては、なるほどなるほどと納得のいく面白さであった。

 桃子さん74歳。愛するご亭主を亡くして十五年。娘も息子も今や疎遠、淋しい一人暮らしを悶々とすごしながら様々な内なる言葉に耳を傾ける。

 

 どうすっべぇ、この先ひとりで、何如(なじょ)にすべがぁ。

 おら何如(なじょ)な実を結んだべが。・・何にもながったじゃい。亭主に早く死なれるは、子供らとは疎遠だは、こんなに淋しい秋の日になるとは思わねがった。

 

 故郷の幼い頃の甘い思い出。故郷を飛び出してきた若かった日々。ご亭主と出会った頃の沸き立つ思い出。桃子さんの想いはあちへ巡りこちへ巡って・・・ある時ふっーと開眼する。

 

 人は独り生きてゆくのが基本なのだと思う。そこに緩く繋がる人間関係があればいい。

 

 自由だ、自由だ。なんでも思い通りにやればいいんだ。

 

桃子さんは歩き出す。足を引きずり引きずり歩き出す。ご亭主の待つあちらの世界から迎えがくるまでは力強く

 

 おらおらでひとりいぐも  と

 

 

 

 

     花を撮り花と撮られてさくらかな

 

 

 

 

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 昨日、我が家の桜開花。例年よりかなり早い。桃子さんではないが「赤(桜の花に)に感応する、おらである。まだ戦える。おらはこれからの人だ。」と思って。

 

 

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

春の雨

昨日、この辺りは桜の開花。我が家のはまだのようだが、紅梅は盛りをすぎ木蓮は咲き始めた。

「暑さ寒さも彼岸まで」というが、まさに明日は春分の日で彼岸のお中日。昨日は雨間に墓参りもすませた。

 彼岸といえば「真桑文楽」のお話をひとつ。岐阜の本巣市真桑本郷地区で三百年以上も続いている伝統的人形浄瑠璃である。今日と春分の日に毎年地域の物部神社の祭礼で奉納上演される。演目は郷土の偉人にちなんだものや伝統的外題である。当方が見たのは「阿波の鳴門」で、地元の愛好家や中学生らで上演された。本格的な文楽はみたことがないのだが、この野文楽もなかなか味わいのあるものであった。なんでも国の重要無形民俗文化財に指定されているらしい。

 

 当方が行った時も雨になったが今年も雨のようだ。

 

 スパムコメントの書き込みが酷いので少しの間受けつけを閉めました。ふきのとうさんのお話を聞けないのはとても残念なのですが・・・。

 

 

 

 

 

      文楽お鶴出てより春の雨

 

 

 

 

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春風

 檜の剪定が終わった。いろいろためらったがやってもらってよかったと思う。これで大風などに枝が揺すられて、倒木などという可能性は低くなったのではないか。案の定カア公が営巣をしていたとかで、庭師さんが上っている間は遠くからカアカアと怒っていたらしい。もちろん巣の枝は残してあるとのこと。若いが感じのよい庭師さんで、それも気持ちがよかった。高校の園芸科を出たと言われていたが今時の若い職人さんにもこういう人もいるのかと考えを改めた次第。

 

 昨日からスパムコメントがいくつもきて閉口する。Tのところにも来てるというが、これ以上増えるのなら対策をしなくてはと思う。

 

 

 

 

     剪定のすみたる枝を春の風

 

 

 

 

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春眠し

『ファミリー・ライフ』      アキール・シャルマ著 小野正嗣

 新聞の書評欄で蜂飼耳さんが推奨されていたので、早速読む。辛い悲しい話だが救いもある話だ。著者はアメリカ在住のインド人で、この話はほとんど著者の体験に基づいた自伝的話だという。 

 主人公アジェ一家は彼がまだ小学生のうちに一家をあげてアメリカにに移住する。家族の夢は優秀な兄が医師にでもなって、かの地で成功を収めることにあるのだが、期待の兄が事故にあってしまった。寝たきりになった兄をめぐって母は必死に介護に明け暮れ、父は絶望のあまりアルコールに逃げようとする。不安定な暮らしの中で時には罵り合い時にはいたわり合い、祈りながら忍耐強く続けられていく家族、そして成長していく少年。

 

 人の一生が思いもよらぬ出来事で曲げさせられたり中断させられたりというのは決して珍しいことではあるまい。いくつかの事例のひとつであっても当事者にとっては受け入れがたい理不尽な話だ。そうした話のひとつとして、長い苦しみと祈りの果てにたどりついった平安と光に読者もまた安堵をする。

 

 

 

 

     長鳴りの電話はるかに春眠し

 

 

 

 

ファミリー・ライフ (新潮クレスト・ブックス)

ファミリー・ライフ (新潮クレスト・ブックス)

 

 築九十年にもなろうという我が家の檜。かっては「防風林」として植えられたのだろうが、長年放りっぱなしで枝は伸び放題、鳥達にとっては楽園だったようだが家を傷める心配などもあり剪定をしてもらうことにした。やっとちょうどよい業者さんにであったこともある。今日からその作業が始まったがどんなふうになるか。

 

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