白鷺

 okatakeさんのブログを読んでいたら録画した映画『若草物語』(1949年)を見た話が出てきた。見た。見た。私も懐かしくて見たがokatakeさんのように5回も泣けなかった。というか懐かしかったけれど古めかしいなあと思っただけで、鈍い感性だ。それより昔(恐らく60年ぐらい前)に好みじゃないなあと思った男優陣はやっぱり好みじゃない。女優陣に比べて見劣りする気がする。ともあれ『若草物語』と『赤毛のアン』は少女時代の思い出だ。

 

 『あづまみちのく』 唐木 順三著

 まだ図書館が開かないのでTの古本ストック書棚から興味の持てそうなものを探してきて読んでいる。これは古い中公文庫で(昭和53年刊行)中身は面白そうだが活字が実に小さいのが難点だ。十の小編からなるが「実朝の首」・「頼朝の娘」・「業平の東下り」を読んだ。

 実朝も大姫も頼朝の子である。二人共深い孤独のうちに若くしてなくなった。実朝はよく知られているように頼家の子公暁による暗殺であり、持ち去られて首の所在は定かではない。

一応「首塚」というものが伝承されそこを訪ねるところから話が始まる。実朝という人は自分の運命を予感していたようなところがあり宋に行こうと船を造らせたこともあるらしい。結局船は浮かばず悲劇的生涯に終わった。

 大姫(頼朝の長女)は幼い頃許嫁の志水冠者義高(義仲の息子)を父に殺され、以後深い憂愁に沈む。母政子は入内まで図り気を引くがそれすら拒んで義高の思い出に果てた。歴史上の女性で自らの意志で入内を拒否したのは彼女くらいではないかと唐木さんは言う。

 「この姉弟は頼朝と政子というしたたかな心の持ち主の子としてうまれながら・・・孤独のなかで己れを強く持ちつづけて果てた」と著者も同情的で、哀しい。

 「業平の東下り」は業平をモデルにしたと思われる『伊勢物語』の筆者の話である。『古今集』の業平の歌の長い詞書に共通する部分があるから、それは紀貫之ではないかとされる。もちろん定説は作者不明である。「かきつばた」を詠み込んだ折句を賀茂真淵が激賞したとあるが確かに巧みでいい歌である。業平は実際に東下りをしたにちがいないと筆者は書いている。

 

 

 

 

         白鷺の重力のなき着地かな

 

 

 

 

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ゴテチャ