秋霖

秋仕事

 一昨日あたりから夏日を下回る日が続き一挙に涼しくなる。暑い暑いと思ってだらだらしていた気持ちがちょっとだけ動き出す。

 昨日はフリージャを植え替えた。まだ早いのだが夏の間プランターに入れっぱなしにしていたせいでもう芽が出てきてしまった。古土のままではまずいと慌てて植え替えた次第。一昨年H殿が間違えて畑に入れて全部駄目にしてからまた増えてきて今年は大きなプランター二杯である。フリージャは増えやすいし甘い香りが何よりもいい。

 秋仕事としてもうひとつ始めたのは「編み物」。三月の入院前まで編み進めていたものを出してくる。後身頃が半分以上編めていたが手順などすっかり忘れてしまった。後身頃はそのままにして手順を思い出そうと前身頃を編むことにした。編み物は楽しいが夢中になりすぎるとまた指を傷めることになるのでほどほどにである。

 新聞に癌罹患後の生存率が出ていた。当方の癌は一般的ではなくこの一覧表にはなかったがステージ2期の場合は71・5とあった。どうなろうと生かされている間は明るく楽しくやらなくてはと家族と話したことだ。

 

 

 

 

     秋霖や鴉うろつく畑の中

 

 

 

 

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昼の虫

『鴎外の子供たち』   森 類著

 森類氏は鴎外の末の子である。姉の杏奴さんの本を読んだ後、この本をTの本棚に見つけて読むことにした。書きだしにいきなり出版に絡む姉たちとの確執事情が語られていて、随分いわくつきの本であることを知った。姉たちが激怒したと言われる箇所は削除されたようだが、それでもかなり率直な筆致ではある。杏奴さんの抑制された理性的な書きっぷりとは違う。それだけに偉大な庇護者亡き後の妻と子たちの当惑ぶりが赤裸々に感じられる内容でもあった。類さんは自分は「不肖の子」だと言って卑下しておられるが、なかなかどうしてやはり文才の血は争えない。おそらく削除のせいだろうが途中冗漫な気がしないでもなかったが十分読ませられた。それにしても随分細かなことまで覚えておられるものだ。

 幼い頃はひ弱で成人後もどちらかといえば生活力の乏しい感じの類氏がこの後どういう生涯をおくられたか、気になるところである。が、紆余曲折の果てに八十歳で穏やかな最期を迎えられたと解説で読み、他人事ながら安堵した。

 

 

 

 

     みな出かけ一人の日曜昼の虫

 

 

 

 

鴎外の子供たち―あとに残されたものの記録 (ちくま文庫)

鴎外の子供たち―あとに残されたものの記録 (ちくま文庫)

 

 

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秋刀魚

 最近にない強い台風が襲来して息つく間もなく北海道の地震である。まったくこの国は災害の多い国でいずれも他人事とは思えない。今回の台風だってかろうじて大きな被害はなかったもの風速40mには相当に肝を冷やした。先日もNHKで南海地震の特別番組を見たが、Xデーにこの古家が耐えられるかは怪しいものだ。すでに専門家の診断では駄目と言われている。だからといって補強に何百万単位でお金がかかるのではいかんともしがたい。

 こんな時にお気楽な話題だが今年は久しぶりに秋刀魚が豊漁らしい。スーパーの店頭にも毎日のように特売品として並んでいる。魚はあまり好きではないが秋刀魚の塩焼きは別物だ。猫科と称する魚すきのH殿は昔は一度に二尾も食して尿酸値を上げたこともある。塩焼きで困るのは油まみれになるグリルと匂いで、渋る当方にH殿が「七輪で焼く」と言い出した。物置の隅から古い七輪を出してきたのだがあいにく「すのこ」が割れている。ホームセンターへ「すのこ」を探しに行って特売の七輪を見つけてきた。少しヒビが入っているので800円だったというのだ。簡単に割れてしまう安物買いにならなければいいのだが幸いにも今回は無事に焼けた。

 炭火で焼いた秋刀魚はグリルで焼くよりさっぱりと美味しいような気がするのだがどうだろうか。この秋はお財布にも優しいうえに当方の手間も助かる秋刀魚に活躍していただこうと思っている。

 

 

 

 

     特売の七輪を買ひ秋刀魚買ふ

 

 

 

 

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秋の声

『泣きかたをわすれていた』   落合 恵子著

 落合さんの講演を聞いたことはあるがまとまった本を読むのは初めてである。だが彼女が同年の生まれであり、またその誕生に係る事情、彼女が長い間母親の介護をされていたこと、子どもの本屋さんの活動に力を入れておられることなどは知っていた。そういう予備知識からみると、この本はフィクションの形をとっているが設定はほとんど私小説ともいっていい。長い介護からから解き放たれ老齢にさしかかったご自身を振り返って、ひとつの区切りとして書かれた渾身の長編だと思う。

 冬子は認知症を発症し日々記憶の薄れていく母親を家庭で介護している。彼女と母親の関係ははそれ以外の他者を介在させなかっただけ濃厚である。幼い頃からの冬子の恐れはたったひとりの母より先に死ねないという一点にあった。

 母より先に死ねないという思いは、母を死なせないという思いと重なって、わたしをむしろタフなファイターにしていたのかもしれない。

 冬子の手厚い介護は七年間にわたった。そして十年。今度は冬子自身が老齢を迎える。時々ものを忘れる。仕事への気力も少しずつ萎えてくる。思い出すのはかって愛した人のこと。その人も今は亡い。周りの女友達の中にもぽつりぽつりと逝く人もでてくる。冬子自身も体調不良で検査を受ける。

 いくつかの死を体験して、子どもの頃の重圧であり、母の介護が始まってから再びの重圧となった死への恐怖は、すでにいまのわたしにはなかった。

 人生は、一冊の本である。そう記した詩人がいた。もしそうであるなら、今日までわたしはどんな本を書いてきたのだろう。七十二年の、わたしを生きた年齢という本を。

 確かなことはひとつ。若いと呼ばれる年齢にいた頃、気が遠くなるほどの長編と思えた人生という本は実際には、驚くほど短編だったということ。

 わたしはもういつ死んでもいいのだ・・・。

冬子は清々しい思いで涙を流す。

 

 読まされた話だったが、触発されたわたしがしたことといえばものの始末である。何度してもなかなか捨てきれないものを今日はやっと二袋ほど整理した。そのせいで腰が痛くなって、昨日は首と指が今日は腰が痛いといっては家人に呆れるられた。なかなか清々しい思いとはいかぬ。

 

 

 

 

     秋の声小沼かすかに波立ぬ

 

 

 

 

泣きかたをわすれていた

泣きかたをわすれていた

 

『八十二歳のガールフレンド』   山田 稔著

 県の図書館で見つけてきた少し古いが珠玉のような一冊。

 抽斗の隅に見つけた古い便りや、心にひかかっていた一編の詩や、新聞の訃報欄から思い出の糸をたぐるように紡ぎだされるいくつかの話。思い出される人はどの人どの人もいまは亡き人で、冒頭の「死者を立たすことにはげもう」という富士正晴のことばの意味が最後にわかる。いずれも心に沁みる澄んだような哀しい話である。

 中でも親しい友人でもあった天野忠の詩からたぐった「マリアさんの話」はいい

 戦後間もない頃、天野家に遠い親類にあたるお梅おばさんがさらに遠い親類筋のマリアさんを伴ってやって来る。マリアさんポーランド人のお婆さんで亡くなったご主人は満州国の小役人だったらしい。ひとり息子も戦死させてお金もないマリアさんを、東京かどこかのタダの養老院に引き取ってもらう途中だというのだ。

マリアさんは長細い凧のようである。

畳の上にレールを敷くように

陰気な針金のような足をゾロッとのばして

だんまりこくって 普通の顔をしている。

マリアさんは分かっているようだが日本語を話さない。だが、天野さんの「ポーランドショパンの国」というお愛想に「むきだしの年寄りの声を押し出し」て反応する。天野家に一泊して翌日「サヨナラ」と初めて日本語で言い、「タダの養老院へ発って行った」マリアさん

 天野さんの『quo vadis?』というこの詩に魅せられた筆者は、ここにでてくるマリアさんという異国の女性のことが長い間気になっていた。その後何年かたって、突然にお梅おばさんの息子だという人からの便りを受け取り、マリアさんの謎が解ける。この辺りの事情は山田さんの著書ではとても詳しいのだが簡単に言えば、マリアさんは「東京のタダの養老院」からニュージーランドの養老院に移り、そこで最期を終えたというのである。

 quo vadis?汝、いずくに行くや?この一句のごとく日本から遠く離れた国で生まれ、大連・日本そして南極に近い島へと戦争という「運命の波」に運ばれていったひとりの女性、マリアさんに寄せる筆者の思いは、この一編を通して読む者の内にも深い印象を残した。なお「quo vadis?」の著者はマリアさんのの祖国ポーランドの人らしい。

 「マリアさんの話」以外にも読ませる話はいくつかあった。「詩人の贈物」もまた深い感動を覚えたが当方の力量ではまとめきれないのが残念だ。あと坂本龍一さんの父親坂本一亀さんの思い出も一編をなす。

 

 

 

 

     数知れぬ虫とひとつに眠りけり

 

 

 

 

八十二歳のガールフレンド

八十二歳のガールフレンド

 

木の実

縄文人からの伝言』   岡村 道雄著

 東京博物館での「縄文展」が見たい。大阪や京都ならいいが東京まではちょっとある。体力的にもまだ自信がもてない。そんなこんなでせめてテレビの関連番組を見たり、こういう本を読んだりというところである。

 縄文時代は約一万五千年前から始まり一万年も続いたという。全く途方もない長さである。もちろん今と同じで自然災害はいろいろあったのだろうが、戦もなく平和だったというのである。

 この本で新しく得た知識のひとつは縄文人の家屋が茅葺きではなく土屋根だったということ。つまり復元家屋などが茅葺きになっているのは間違いで土屋根こそが涼しくて暖か、日本の風土にあったものだったということだ。また、あの個性的な土器や土偶の製作者がおそらく女性であったというのも初耳だ。その根拠として土偶はほとんどが女性を形象化したものであり、その「性的表現が男性の目線や意識によるものではない」からだという。土器の表面に女性らしい華奢な爪あとがあるのもあるらしく、すっかり男性の制作だとばかり思っていたから、縄文時代の女たちはどういう思いに突き動かされてあのような力強い表現をしただろうかと、いまさらながら興味深い。

 折りも折り、今朝の新聞に「渥美半島に『骨太』縄文人集団」なる記事があった。渥美半島の保美貝塚から出土した縄文人の上腕骨が他地域の骨より極端に太いというのである。おそらく積極的に海に出て舟をこいだ生活が関係しているらしい。この本でも縄文人の交易に触れているが、彼らは思っている以上に遠出もし、思っている以上に豊かな暮らしをしていた人々らしい。

 筆者は縄文時代の暮らしにこそ今に通じる日本人の暮らしのルーツがあるとして、急速に自然と乖離しつつある日本人の暮らしに警鐘を鳴らしておられる。

 

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  写真はうちの街の縄文遺跡から出土した土器である。火焔土器ほどではないがそれでもなかなか遊び心のある土器の数々ではないか。

 

 米屋と肉屋と岐阜県図書館、コメダ、スーパーに寄る。米屋は少し遠いが目の前でブレンドして精米をしてくれる農協直営店。今日は八の米の日で割引が大きく外せない。同じおもわくの人で混んでいる。肉屋はスーパーで手に入りにくい肉の時に寄る。岐阜県図書館は本当に久しぶりに出かけたのだが市の図書館にないものがあってわくわくした。少し距離があるが時々寄るのもいいなと思った。石井進さん、山田稔さん、落合恵子さん、南木佳士さんを借りる。

 

 

 

 

     三内丸山北のまほらの木の実かな

 

                 *二回目の掲載ですがあえて

 

縄文人からの伝言 (集英社新書)

縄文人からの伝言 (集英社新書)

 

 

 

秋暑し

 『ブンミおじさんの森

 またぞろ相当に暑い。冷房に閉じこもって少し前に録画した映画を観る。タイの映画でパルムドールを受賞したというお墨付きである。ところがこれがとんとわからない。

 主人公はブンミという農場を営む男。透析を受けているらしく残り少ない余命を感じて妻の妹を呼び寄せる。そこに何年か前に亡くなった妻が亡霊として出てきたり、行方不明になった息子が猿の精霊に変身して現れたりするのだが、ブンミも客人も誰も驚かない。亡霊も加わった普通の暮らしが淡々と続く。そして突然の全く異次元の顔が醜い王女の伝説のような話の挿入。結局ブンミは森の奥の洞窟で「ここはまるで母の胎内のようだ。」といって亡くなる。一転今風のタイのお葬式と幽体離脱のような現象があってその後突然のエンディング。しかし、エンディングの音楽はいい。

 見続けたらわかるだろうと思った期待は見事に裏切られて、意図は最後までちっともわからなかった。こういう作品はわかるわからないより感じればいいのかもしれないが合理思想に相当毒されている身にはあまり響かなかったも事実だ。

 

 このところずっと「布つなぎ」で遊んでいる。H殿が「何を作っている」と聞くけれど本人にもわからない。ただ端切れをログキャビン風にポジャギのやり方でつないでいるだけ。石牟礼さんも針を持つことは心が鎮まるといわれたが全くそのとおりである。数がたまったら何かになるかもしれないが今のところは不明。

 

 

 

 

     いちだんと紅きルージュや秋暑し

 

 

 

 

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