初場所

『水底の歌 上巻』   梅原 猛著

 12日、梅原さんが亡くなった。私は哲学者としての梅原さんはよく知らないが、古代学への発言は面白くてその著書も随分興味深く読ませていただいた。『隠された十字架』の聖徳太子鎮魂説や出雲に関する『葬られた王朝』論は文字通り時間を忘れて読んだ記憶がある。

 さて、『水底の歌』、これは柿本人麻呂論である。当時かなり話題になったのだが私は途中で挫折して読了出来なかった。埃を払って出してきたのはそんなわけであるが、読み始めて挫折の理由を思い出した。書き出しが斎藤茂吉批判で延々と長いのである。この本は上巻と下巻からなるのだが、茂吉のみならず契沖や賀茂真淵の人麻呂論の批判を下敷きにしているから、それらへの言及がともかく長い。そこで今回は批判論のところは斜め読みとすることにした。

 まず上巻で梅原さんが描き出した柿本人麻呂像は次のようなところだ。

1,彼は流人として石見の国で刑死にあった。

2、刑死方法は水死。

3、場所は鴨山で今は地震で水没してない。

4、『古今集』の仮名序には「おおきみつのくらゐ」とあり真名序には「柿本大夫」とあるのに正史には一切登場しない。(六位以上は正史に記録がある。)あれほど著名な人麻呂は低い冠位の人であったのかそれとも『古今集』が間違っているのか。

1から3の論拠のもとになっているのは伝承と人麻呂自身の歌、それに彼の死を傷む妻の歌である。地震で水没したと言われるあたりの海図調査もある。水死という刑罰が当時あったかどうかは疑問とされているが梅原さんはオオクニヌシコトシロヌシの例を挙げておられる。

妻の依羅娘子(よさみのおとめ)の歌はかなり説得力がある。

 今日今日(けふけふ)とわが待つ君は石川の貝に交りてありといはずやも

4では真淵たちの『古今集』の間違い説を否定する。ひょっとして正史には別名で登場しているのではないか。その疑問に応える人物が現れる。「柿本佐留」なる人物である。「人」は「サル」になったのではないか、あるいはさせられたのか。そこからは下巻へ。

 

 推理小説に似た謎解きの面白さは抜群である。読みふけっていて編み物もしていない。

 

 

 

 

     初場所や綺麗どころもならびたる