年詰まる

「悪党芭蕉」 嵐山光三郎
 悪党とはちょっと言いすぎてはないかと思うが、従来の枯淡な俳聖のイメージは大きく崩れた。芭蕉が門人としたのは海千山千の一筋縄ではきかぬ面々ばかり、中には罪を負って獄舎に入った者も後に人殺しをして切腹した者も豪商もおれば遊び人も乞食同然の者もいるという渾然たる集団。さらに芭蕉自身も同性愛あり三角関係ありとややこしい。そんな集団を仕切っていくつかの歌仙を巻き刊行させたのは枯淡だけの人物ではなかったのは確か。もっとも芭蕉の理想としたものは杜甫西行に繋がる隠棲と漂白の風雅の道。そこに自己矛盾があり苦悩がある。その自己矛盾は創作に於いても。「俗にあって俗にあらず」「不易流行」とは、わかるようでわからない。「軽み」という境地を強調されれば、天才芭蕉には出来ても凡人には月並みしか出来ず。混乱の門人には離反していくのも出る。それでも結社は江戸・近江・伊賀・大阪・尾張支部を持ち、芭蕉は大所帯を抱えて東奔西走。弟子というあちこちのスポンサーに気を配る姿勢は並ではない。嵐山さんの描いのはそういう芭蕉だ。いままで読んだ芭蕉像では一番生き生きとして面白い。そういう苦悩の果てにあれだけの句を残したのだから、芭蕉が「俳聖」というのはやはり間違いない。「悪党」の「悪」には偉大なという含みがあるのだろう。
 久しぶりに芭蕉と向き合った。芭蕉の名句は多いが自分はどれが好きなんだろうと考えた。
   蛸壺やはかなき夢を夏の月
ふっと浮かんだのはこの句。調べたら杜国と須磨明石に遊んだ時の句だという。この時杜国は所払いをかせられた罪人。芭蕉の愛人でもあったとは嵐山さんの説。その二人だけの世上に知られては困る道行のような旅での一句。背景がわかれば趣も更に深まる。好きな句のひとつである。



     電飾の街路樹となり年詰まる



悪党芭蕉

悪党芭蕉