暖房

ナガサキ』  スーザン・サザード著 宇治川康江訳

 著者は若い日に留学生として来日。修学旅行で長崎を訪れ初めて原爆の被害ということを知ったと言う。その後たまたま被爆者の谷口稜曄氏のアメリカ講演ツアーの通訳を引き受けることになり彼をはじめとする被爆者たちの戦後に深い関心を抱くようになった。

 この本は彼女のそういう動機から始まり谷口氏や他の四人の被爆当時の状況や戦後の苦しみを縦軸に当時の日米の政府の動き・社会状況などを同次元的に書き進めた壮大な歴史書である。

 さて最初から五分の一ほど被爆当日の描写まで読み進めてきたのだが何とも重苦しい。大きなため息をつきながら読んでいたら「今はそんなのを読むのは止めたほうがいい」と家人に言われてしまった。全く身の程知らずかもしれない。

 ゆえに続きはまたにすることに。しかし読み応えのあるなかなかの本である。

 

 

 

 

        強暖房老人だけの昼のバス

 

 

 

 

ナガサキ

ナガサキ

年忘れ

物損事故をやらかした。

 高校から大学とずっとくっついていた旧友と三年ぶりぐらいに会うことになり車ででかけた。コーヒー店の駐車場で、どうしてそんなことになったのかよくわからないままに止まっている他人の車にこすった。気持ちが上ずっていたからだろう。日頃老人の事故を批判的に見ていたのに全く恥ずかしい限りだ。相手の人と友人に助けられて警察と保険屋さんに連絡。物入りという結果だけで解決しそうだが自己嫌悪に陥る。

 当方も彼女の話も癌と終活の話で冴えない。彼女は身内が末期癌というので落ち込んでいた。辛い話なのにやや上の空で申し訳なかった。

 昨日の病院で年明けそうそうに手術を打診される。予定より一週間早いが異存がない旨伝える。入院手続きを説明され早速食事制限が始まった。「年忘れ」も「新年会」もお預けである。年内に胃カメラ内視鏡検査もまだある。淡々とやり過ごそうと思っているが心は正直なのかもしれない。

 

 

 

 

           術前の飲食制限年忘れ

 

 

 

 

木守柿

『掃除婦のための手引き書』  ルシア・ベルリン著 岸本佐知子

 Tが借りてきたのを返却前に回してもらう。近頃話題の本らしいが、書かれたのは少し前ですでに筆者は故人だ。短篇集だがすべてが彼女自身の投影らしい。実に起伏にとんだ人生を送った人のようで短編集も破天荒なところが面白い。彼女の人生がどのくらい多彩であったかは短編集の題材を拾っただけでも計り知れるというものだ。

 三度の結婚と四人の息子持ち。シングルマザーとして掃除婦やら電話交換手、救急救命室の看護婦そして教師等々の仕事、住まいも転々として二百回の引っ越しをしたと書く。酷いアル中で矯正病院に入った体験もあれば、少女のころは羽振りの良かった父と一緒に裕福な上流階級ぐらしをしたこともある。従姉妹がすごぶる美人だと書いていたが、表紙や口絵の彼女のポートレートも魅力的だ。とにかくめまぐるしい一生だったようだ。

 この短編集の面白さはそういう多彩な話題と自分を突き放したようなアイロニーやユーモアそれからストレートな表現や図らずも社会批評となる貧者に向けた眼差しなどなど。私にはうまく表現できない。

 中でも「喪の仕事」。一人暮らしの老人の死後の後片付けに出かけた時の話。長い間顔を見にも来なかった娘と息子が葬儀の後に遺品整理に立ち会う。裕福で老人の遺品など何もいらないと冷たく言っていた二人だが、古いアイロンやワッフルメーカーに幼かったころの母親の愛情を思い出す。そしてくたくたになって色あせたエプロンと布巾を見せられた時、

「これ、わたしが四年生の始業式に着てったワンーピース!」

思い出は何気ない細部に宿る。姉弟は堰が切れたように抱き合って号泣した。

 私も目頭が熱くなった。

 実はまだ半分弱が残っている。明日が返却期限で延長不可なので明日の病院行きで読了したいと思う。

 

 昨日は思ったより暖かかったので縁側のガラス磨きと庭の落ち葉焚きをする。今日は朝早くから大工さんが来てくれ二階のフワフワ床を直してくれた。去年玄関ホールの床を張り直してくれた同じ若い大工さんで感じがよく好感がもてた。H殿は例年どおり餅を注文。年の瀬が近づいてくる。

 

 

 

 

         ぴちくちと賑やかなこと木守柿

 

 

 

 残った柿にムクドリメジロヒヨドリ・スズメ・そしてカラス様々なお客様。

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

時雨

ハーメルンの笛吹き男』 阿部 謹也著

 この本の新装版がベストセラーであるらしい。ハーメルンの伝説の真相に迫ったものらしく、面白そうだ。買うか借りるか検討をしていたらTが家にあると言う。ずいぶんと古い本で読みにくそうだがせっかくだからとそれを読んだ。

 この本はまず、あの有名な「ハーメルンの笛吹き男の伝説」が真実かどうかの話から始まる。そして、この事件を伝える三つの古い中世資料を参照して、おそらく現実に起こった歴史的事実に違いないと確信する。

 それは1284年6月26日ハーメルンの町で130人の子どもたちが行方不明になった事件である。(ここではまだ笛吹き男や鼠取り男の話は出てこない)

 それではなぜ行方不明になったのか。もちろんそれは永遠の謎にはちがいないのだが、近年の研究でいくつかの仮説が唱えられている。

 ひとつは東ドイツへの植民説。ハンガリーやロシア国境周辺の新天地を求めて大勢の若者が故郷をあとにしたという話だが、当時植民は他の土地でもあったのでハーメルンだけが問題視されるというのもおかしい、その上移住した若者たちと故郷の間に何の連絡もなかったのはおかしいなど欠点も多い。

 伝説にまとわる暗い悲劇的な雰囲気から植民したが遭難したという説もあるし、子ども十字軍の説もある。

 さて、筆者はこの伝説の背景に計画的に遂行された出来事があるとは思えないと偶発的遭難説を支持する。6月26日がヨハネパウロの日であることからヨハネ祭りの宗教的興奮と湿地帯での遭難という説である。そのため当時の祭りの興奮と陶酔・馬鹿騒ぎに満ちた祭りの様子や祭りに狂った当時の貧しい身分制社会の状況などを詳しく述べている。

 ところで子どもたちを連れ出したのは鼠取り男であったとか、笛吹き男であったとかというのは16世紀以降に付け加わった話らしい。放浪民であった鼠取りや楽師達への蔑視が背景にあり悪行の象徴として宗教的教化の手段として利用されたようだ。

 一方鼠取り男が正当な報酬を拒否されそのために復讐したという件は権威の裏切りへの批判でもあったらしい。いずれも16世紀の宗教改革で伝説が大きく変容したようだ。

 

なかなか面白い本であったし、ドイツという国が中世を通じて国家というものがなかったというようなことは初めて知ったことであった。

 

 

 当地は昨日今日と寒さのどん底。暖房の部屋から出る気がしない。終日編み物と読書である。

 

 

 

 

          時雨るるや阿弥陀被りの陶狸

 

 

 

 

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)

古い本はコードがないので今の本を貼り付けます。

 

 

冬ざるる

『完璧な病室』 小川 洋子著

 病院での待ち時間を消化するためにTの本棚から拝借。診察を待ちながら病院で亡くなる人の話を読むのもどうかなと思いつつ読む。芥川賞を受賞する前の初期の作品である。この人の本はそれほど読んだわけではないが、この人らしいさらりとした透明感のある感受性であり文体であるのが好ましい。

 同時収録は「海燕」新人賞受賞の処女作「揚羽蝶が壊れる時」だが、こちらはまだ読みかけだ。

完璧な病室 (福武文庫)

完璧な病室 (福武文庫)

今日は消化器内科の受診で手術前の検査として胃カメラ検査と内視鏡検査の予定を告げられた。血液検査から始まって尿検査・レントゲン・心電図・肺機能検査・超音波・胃カメラ内視鏡と検査検査である。だんだん意気消沈しそうで、いかんいかん淡々とやり過ごそうと思い直す。こうやって書いて客観化してしまうのもひとつの手なのでつまらないことを読ませるのをお許しください。

 

 

 

 

          浚渫の重機の唸り冬ざるる

暮早し

再発決定

 内視鏡検査ではよくわからなかったがPET検査でははっきりと確認されて再発が決定的となった。内視鏡ではわからないほどだからまだ小さいが、転移をする前にと早々と年明けに手術をすることとなる。先に怪しいと言われた時から覚悟をしていたのであまり動揺はない。ただ前回は治療(放射線抗がん剤)のため一時的にストーマにしたのだが、今回の手術後はこれが永久的になる。もう慣れたとはいえ、元に戻ると思っていただけにちょっと残念。

 前回は慌ただしく入院・手術だったが今回は少し余裕もあるので留守を守る男性陣に家事の伝授をしようかと思う。洗濯や掃除はともかく食事作りの特訓開始である。

 

 

 

 

           検査より検査へ梯子暮早し

 

 

白菜畑

『やわらかく、壊れる』 佐々木 幹郎著

 久しぶりに図書館で佐々木さんの本を見つけた。もっとも随分と前のものである。

大半は都市に関わる話、ことに半分は東京讃歌である。あとは1983年に始まった中野刑務所の解体工事に伴い、設計者後藤慶二やその特異なデザインについての話。また関東大震災阪神大震災の話もある。

 これらを通しての持論は

「どんな都市でもいつかは必ず壊れる。・・・どんなふうに頑丈な建物や都市を造るかということよりも、どんなふうに壊れるべきかを、設計思想の中心とすべきではないか。いかにやわらかく壊れるか。」

 そして、その未来の都市計画のヒントとして筆者は、「木とともに生きる。土とともに、水とともに」を挙げている。

折しも昨日新しい国立競技場の完成が報道された。従来の建築物と比べて木の使用をコンセプトにしていると聞くがそのあたりの設計者の考えというのはどういうものだろう。

 本の後半に湾岸戦争によるアラビア海への原油流出の話が出てくる。筆者ら関西の有志が柄杓をもって流れた原油の汲み出しに向かうという話だが、そういえばそんなこともあった。

 全体を通じて筆者の詩人らしいやわらかな感性とフットワークの軽さに驚いた一冊だった。

 

 

 

 

         測量や売りに出されし白菜畑

 

 

 

 

やわらかく、壊れる―都市の滅び方について

やわらかく、壊れる―都市の滅び方について