法師蝉

『子どもたちの階級闘争』  ブレイディみかこ

 少し前の話題の本である。筆者は英国在住二十年、かの地で託児所勤務を通してのイギリス社会の現状報告といったらよいだろうか。もちろん報告書などという味気ないものではない。彼女が肌で触れ合った子どもや仲間たちのユーモアと悲しみのある話であり、絶望もあれば希望もある話でもある。

 私達はイギリスのロイヤルファミリーや歴史については案外詳しいのだが、現実のイギリスはよく知らないとつくづく思い知らされた。ことにイギリス社会の階級差別の現実、「チャヴ」と蔑称で呼ばれる白人の最貧困層は移民にすら蔑視されている。

 階級分離というのは保育施設の利用においてもはっきりと意識されていて、恵まれない家庭の子どもたちは慈善団体が運営する無料託児所を頼ることになる。筆者はそういう託児所で何年かに渡ってボランティアをするのだがその何年かの間に大きく変わっていく現実。政権の変化のためだ。労働党政権が保守党政権に変わり、潤沢な福祉財源が緊縮に変化する。底辺保育所は緊縮保育所に変わりそして閉鎖、最終的にはフードバンクに姿を変える。もちろんそういう政策により翻弄されるのは弱い人々であり中でも弱い貧しい子どもたちなのだ。

 EU離脱という路を選択したイギリスのその後は今や混乱の極みにもあるようにもみえるのだがこの本をよむかぎりではまだまだ我が国は及びもつかないと思うところもある。

 最近でこそ「虐待」という問題が大きく取り上げられるようになったが、それでもいつも問題になるのは「児童相談所」の始動の遅さである。かの国では「虐待」かどうかの判断は非常に厳格で毎日決まった時間にお迎えに来ない親はそれだけでネグレクトと判断されたり、ソーシャルワーカーは育てる能力がないとみると直ぐに子どもを公的施設に移すので親の方が戦々恐々としていたりということもあるようだ。子どもは公のものという意識が強く、公で育てるということが徹底しているとも思う。

 他にもなるほどと思ったのは保育での教育カリキュラムの存在である。ひょっとしたら我が国にもそういうのはあるのかもしれないが、このカリキュラムのひとつに「子どもたちは小学校に入学する前に自分の意見をしっかり述べ、他者を説得する姿勢を身につけねばならない」というのがあるらしい。それで四歳児がディベートの学習をするのだが、これがちゃんとした話し合いになっているのには全く感心してしまう。

 まだまだ他にも、例えば保育士ひとりあたりの保育児数などは全く比べものに成らないほどで「ブロークン・ブリテン」などといっても民主主義国家としての歴史が違うと思わざるをえない。

 

 

 毎日が猛暑でつくづく疲れてきた。しかし季節は徐々に移ろているのは確か。今日は法師蝉の初鳴きを聞く。今も闇の中から虫の声がしきり。

 

 

 

 

           湖へ下る坂道法師蝉