『原民喜』 梯 久美子著
いきなり自死の件から始まる悲しい話である。
彼は、子どもの頃より人一倍繊細な自意識の持ち主であった。今で言えばいじめのような就学時代は、殻に閉じこもって一言も発しない子どもだったらしい。
そういう年頃にだれよりも彼の心の庇護者であった父を亡くし姉を亡くした。彼の文学の「死」への親しさはここから始まり、後には愛する妻への鎮魂歌ともなる。
世間知というものが全くなかった原を支え信じ励ましたのは妻であった。が、結婚後六年で発病して十一年半という短さで「夢のような暮らし」は終わった。
妻の死後も原は彼女に語りかける言葉を綴り、それが続く間だけ生きようと思った。
妻の初盆の墓参りをした翌々日、広島の上空で原子爆弾が炸裂した。爆心地から1・2キロの被爆であったが厠にいた彼は直射光線を浴びずに外傷はなかった。
家族と避難しながら凄惨な現実を目にする。
「我ハ奇跡的ニ無傷ナリシモ、コハ今後生キノビテ コノ有様ヲツタヘヨト天ノ命ナカランカ。」
主に心象風景を書いてきた彼が決然と変わった時である。客観的で冷静な観察眼をもって書かれた『夏の花』の登場である。
当時はまだ占領下で『夏の花』の上梓には紆余曲折があったがそれでも活字になり評価も受けた。しかし暮らしは如何とも貧しく、厳しい戦後の都会の中で不器用な彼は追い詰められていった。
碑銘
遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻
原爆ドームのそばに建てられたという原の詩碑である。
食卓に家族分の箸原爆忌