『かれが最後に書いた本』 津野 海太郎著
「八十歳をこえると、老いというよりは、もうすぐ死ぬ人間として生きている、という感覚のほうがつよくなる。死んだかれらとのつながりは、いまの方がつよく感じられる。」(「あとがき」より)
そんな著者の「死んだかれら」との思い出のあれこれ。webの「考える人」で連載されていた時も、ちょこちょこつまみ読みをしていたけど、こうしてまとめて読むとなかなか面白かった。ことに鶴見俊輔、多田富雄、樹木希林。飛び抜けて個性的な生き方をされた諸氏の生き様を、著者の目をかりて改めて知ると、なんというか、凡人には言葉が見つからない。
悲しかった章もあった。表題にもなっている「かれが最後に書いた本」。取り上げておられるのは、池内紀さんと加藤典洋さんと古井由吉さん。お三人のうち、一番悲しいと思ったのは池内さん。平明でエスプリも効いた文体のフアンだった。まだまだお若いと思っていたのに、不意の訃報と最後の著書をめぐる様々な批判。この本によれば、惨憺たる苦闘の果てに、ようやく訂正を発表されて、一週間後の逝去だった。気の向いた時にふらりと旅に出るという、飄々たる自由人だった池内さんにしては、あまりといえばあまりの最期だ。
この本が出てからすでに4年。数えれば88歳になられるはず。webの更新はないようだがお元気だろうか。
70代も後半になってから、すっかり人づきあいからも抜けてしまったが、高校生の頃からとぎれとぎれにつきあっている友人がいる。最近の電話での確認。ボケるか死ぬかそれまで、せめて一シーズンに一回は会おうかと。そう言いながらもこの秋はまだ機会が持ててない。
華やぎは老いに重たし曼珠沙華

長雨の後、草の繁茂に手を焼いている。二日続きで草刈り機を振り回し、今日は草抜きで奮闘した。それでもまだまだ達成感からは程遠い。周囲の空き地や畑は、どこも高齢化で雑草が繁茂して手に負えない有様。去年まで隣の畑の草にうるさかったIさんが、今年の夏は一度も顔を見せず、畑はススキの原と化し、去年の夏になくなったSさんの空き地は、作業小屋も埋もれるほどの草丈だ。いずれはうちもそうなるかもしれぬと思いながら、トシヨリは諦めきれずにまだ奮闘している。


















