青梅

『世界は五反田から始まった』 星野 博美著

 渾身の力が入ったノンフィクションである。(第49回大佛次郎賞受賞作品)これまでに読んだことがある星野作品は、例えば『島で免許をとる』など、ユーモラスな自伝的作品だった。  

 が、これはちょっと違う。始まりは祖父の手記のなのだが、話は星野一家の歴史にとどまらない。戦前から戦中を経て戦後へと、この国の歴史そのものへと大きく広がった。

 彼女の祖父は房総半島の港町から出てきて、五反田圏で町工場を起こす。五反田の下町エリアである。その辺り一帯は小さな町工場の集積地であり、そこで製造される品々は、軍需産業を下支えしていた。

 星野製作所で作られていたのはゴムホースとそれに付帯する継ぎ手金具だったが、もちろん大手の会社の下請けである。星野さんは、多分飛行機関連の部品ではなかったかというが、五反田周辺には大手の軍需会社が多かった。軍需の拡大により増産増産、低賃金労働者の転入が増加、あの小林多喜二らのオルグ活動もここが舞台だったらしい。

 同じ五反田圏でも、町工場地域でない商業地域(武蔵小山)では、戦争の拡大で、配給制度と家屋取り壊しが進み、商売手段を奪われた人々の満州への強制入植が始まった。経験もない人々が農業就労者をめざして渡満、生還できたのは1000人の内5%という悲劇を産んだ。満州への入植は地方の小作農からとばかり思っていたのに、東京圏からの移住は意外であった。首都圏からの入植だけに、端からは金持ち入植と思われていたらしい。

 昭和20年5月24日の大空襲で、五反田圏は焼け野原となる。空襲による犠牲や大混乱はいずこも同じである。祖父はたまたま出かけていて空襲に会わなかったが、もちろん自宅兼町工場も焼失した。日本中誰もが陥った苦難の中から、祖父はすばやく立ち上がり工場を再建、今度は平和産業の下での部品造りを始める。

 昭和2年に祖父が創業し、94年間続いた稼業は父の老齢化で終止符が打たれた。工場跡地がマンションなどの建設地に変わり、町が大きく変貌していったのも時代の流れなのだろう。

 祖父が残した手記をもとに、五反田圏の来し方を振り返ったこの話は、いち家族の歴史にとどまらず、そこに流れたこの国の歴史やそれに翻弄された人々の暮らしぶりをしっかりと語ってくれた。庶民の歴史は、国家の歴史に他ならない。大きなうねりの時は、智慧を働かせねば飲まれてしまう。そんなことも思わせてくれた一冊だった。

 

 

 

     天鵞絨(びろうど)の手あたり柔し青き梅 

 

 

 

 

 梅の剪定をしながら連れ合いが収穫した梅の実。花梅だと思っていたがなかなかの大きさで、驚いた量だ。だめでもともとと、梅シロップにしてみることにした。一度には無理なので冷凍もして、うまく出来れば二度三度作ってみるつもり。