うぐいす

倭人伝を読みなおす』 森 浩一著

 森さん最晩年、渾身の力が入った書である。「八一歳になって倭人伝の問題点を自分なりにまとめられたのは人生の幸運といってよかろう。」と書いておられる。

 陳寿倭人伝は、ほぼ同時代史料で史料的価値は高い。「倭国伝」でなく「倭人伝」であるのはなぜか。陳寿は分裂状態にある倭国を書いたので,それは「倭国伝」ではなく「倭人伝」になった。

 この本で森さんははっきりと邪馬台国九州説を表明されている。誤解のないようにいえば、九州邪馬台国東遷説である。道程表の矛盾などについてはどう説明がされたか気になる人は読んでいただくといい。

 女王国と隣接する狗奴国の争いに苦慮した魏は、帯方郡から張政を派遣した。この張政が19年間も倭に留まり、国の安定に尽くしたのだが、長い間彼はどんな働きをしたのか。東遷に尽力したのではないかというのが森さんの仮説だ。張政は帰国後、帯方郡の太守に抜擢され、その墓と思われるものについても触れられている。

 興味深いのは奈良の外山(とび)茶臼山古墳と北部九州の平原古墳の関連をのべた章である。外山茶臼山古墳は前期の巨大古墳である。八一面の銅鏡が破砕されて埋納されていた。弥生時代の奈良では銅鏡を墓に納めるということはなく、同じように破砕して納めた北部九州平原古墳との関連が考えられている。また外山茶臼山古墳至近には宗像三神が鎮座されているのも北九州との関係が示唆されるという。

 平原古墳については、原田大六さんの『実在した神話 発掘された平原弥生古墳』を読んだ時の興奮が忘れられない。わざわざ二回も伊都国歴史博物館にもでかけたほどだ。森さんも原田さんの考えをかなりリスペクトされていたようだ。

 古代史はわからないから面白い。謎解きに似た面白さだと思う。邪馬台国について初めて知ったのは、大学の教養の授業だったが、それから60年、専門家でもないのに我ながら飽きもせずによく続いていることだ。

 

 

      うぐいすや梅には寄らず鳴きつづけ

 

 

 江戸俳句の駄句のようなものだが。今朝はしきりに鶯が囀った。それが下手ぴなのでおかしい。梅の隣の蜜柑や金柑で鳴いていた。

 友人と電話で一時間話す。デジ難つまるところ老いの話と、大江さんが亡くなって護憲の精神はますます崩れていく嘆き。戦後の民主主義が希望だった時に、子供だったおばあたちの嘆きだ。

レンギョウ