休暇果つ

『仰天●俳句噺』 夢枕 獏著

 表題に「俳句」とあったので図書館の新刊コーナーから借りてくる。著者の作品は手に取ったこともなかったが、いやいや実に面白かった。文脈などというものがあるのかどうか、(よく読めばあるのですが)噺はあっちに跳びこっちに逸れ、文体も劇画的であれば、真面目体(?)にもなり。ともかく多彩なる作家魂に驚嘆。

 昨年の早春、筆者は血液の癌を患われた。NHKテレビで二月堂修二会の生中継にゲスト出演をされていたのを覚えているが、宣告はその前後だったらしい。今にして思えば、ややお元気がなかったようにも思えた。それから半年以上にわたる抗癌剤治療に苦闘されたわけだが、これはその間に書かれた噺。

 つまり闘病中にいくつか俳句を詠んだという噺なのだが、辿り着くまでが長い。もともと俳句には興味があったのだが、夏井いつきさんの句を知って、「ぎょっとなってしまった」。それを知ったのが、「サワコの朝」だったというのだが、ここに辿り着くまでが大変。

 どのくらい大変かというと岡本光平さんに教わった「書」から、篠遠嘉彦の文化人類学的話、金子兜太さんの狼の句のはなし、尊敬する「宮沢賢治高村光太郎、時々空海、ちょっと猪木」といった具合で、どんどん本筋から離れていく。よくよく後で振り返ると繋がっているのだが、読んでいる途中では、そこそこの噺が面白くて繋がりなど、こちらも忘れている。

 さらに噺は中沢新一さんから縄文の神々に及び、ついには物理的(?)ひも理論。こうなるとこちらは付いていけない。要は、俳句に惚れに惚れ込んで、「季語は縄文の神が棲まいたもう御社」とまで宣言。最後に闘病中の句の披露で終わるのだ。

 浅薄ながらわたくしめの頂きました句は以下の如く、斬新すぎるのは「伝統的俳句」詠みには限界あり、です。

 咳ばかりのひと晩で窓しらしら

 網膜に粒子乱舞枕まで突き抜けよ

 万巻の書読み残しておれガンになっちゃって

 点滴の窓に桜ラジオから昇太

 闘病中に俳句を詠んだという話は、よくある。「闘病俳句」という色分けもある。辛い心境、己とじっと向き合う時間、必然的に俳句は浮かぶ。

 

 

 

         吹奏のまだ覚束な休暇果つ

 

 

 

 先週末、また高熱を出してしまった。昨年の発熱の日と一日しか違わず、前回よりやはり半年後。今回は一昼夜で症状は収まったが、これは何だろうなあ。

 むくげ