秋立つ

『古代史おさらい帖』 森 浩一著

 森さんが亡くなられてすでに九年になる。調べると、はからずも一昨日が祥月命日だったようだ。森さんも佐原真さんも素人にもわかりやすい言葉で語りかけてくださり、すきな学者さんであった。いずれも故人になってしまわれて、佐原さんは没後すでに二十年と知れば、年月の過ぎゆく速さに、愕然とするしかない。

 この本は、森さん晩年の本である。「おさらい帖」とあるように、「一見学問の成果のようにみえる事柄についても、その問題点を列挙しておさらいする」方法で、考古学や古代史の入門書を目指したものである。

 「土地」「年代」「人」とおおきく章立てをし、個々について学問的成果や問題点が整理してある。興味深いことがいくつも出てきたが、一番おもしろかったことをひとつだけ記しておきたい。

 それは「狗奴国(くなこく)の後の姿が熊襲である」という考えである。狗奴国といえば女王国と対峙した国で、3世紀、おそらく南九州にあったであろうと考えられてきた。(学者によっては東海地方だという意見もある。)それに対して熊襲はヤマト勢力と対峙した勢力で、記紀にもヤマトタケルの征服譚がある。肥後南部の球磨地方や南九州志布志湾沿いの勢力と考えられているが、その地方の古墳から大変貴重なものが出土しているのである。ひとつは串間の玉璧、ひとつは球磨盆地のあさぎり町出土の金メッキの施された銅鏡である。前者は直径30センチ以上はある立派なもので、紀元前2世紀ごろのもの(レプリカだが見たことがある。)後者の鏡も貴重なもので後漢か三国(呉)の時代のものらしい。こういうものがなぜこの地方から出土したか。森さんはそこに狗奴国時代の呉とのの交渉を見る。北九州ルートと魏だけではなく、南九州ルートと呉である。そこから狗奴国から熊襲という伝世が考えられたのだが、記録には残っていないが、おそらくはそうにちがいない。つまり大陸と交渉をもったのは女王国だけではなかったのである。

 去年、西都原考古博物館では、本物の玉璧を借り受けて特別展があったようだが、写真ならいまや玉璧も金メッキの銅鏡もネットで見られのは嬉しい。まったくそういう点では便利になったものだ。

 こんな本ばかり読んでいるので訪問者はないが、こういう本が一番心が鎮まっていいし、面白い。そうそう、森さんは須賀敦子さんのいとこだそうです。

 

 今日は病院でMRの検査。検査前の絶食を指示されていたのに、食いしん坊はついミニトマトをパクリ、慌てて病院に電話をする。「まあその程度なら」と言われたが、恥しい限り。チコちゃんじゃないが、「ボーッ」としてるんじゃないよである。明後日はCTなので今度は失敗のないようにしないと。MR,CTと仰々しいが、本人は大したことはないと思っている。最近はデータがないと判断できないようだから仕方がない。

 

 

 

 

       つくつくと鳴き声まじり秋立てり

 

 

 

 

オミナエシ