静岡紀行  一日目

 コロナの収束はおぼつかないが、ワクチンを三回接種したこともあり最大限人密を避けることにして出かける。従って今回は車での移動中心。

 朝8時前に自宅出発。東名高速で、まずは昼食予定の焼津を目指す。途中上郷SAと浜名湖SAで休息。今回の外出は二回目の大手術後の初めての遠出であり、慎重に休み休みである。

浜名湖SA。晴れてはいるが霞んだ景色である。

 吉田IC辺りでこの近くがお宅だというふきのとうさんに想いをはせる。いつもご利用だという吉田の高速バス停留所を捜すが見落としたらしい。大井川を越えて直に焼津。ここまで休息を入れて約三時間。ネットで調べた「小川港魚河岸食堂」でまぐろを食す。さすが静岡、食堂の眼の前には津波退避タワーがある。

 焼津から静岡市へ。まずは、これもふきのとうさんのブログで知った「日本平 夢テラス」。隈研吾の設計らしい。晴れてはいるが全般に霞んでお目当ての富士山はちらっとも見えない。

 運の悪さを嘆きつつロープウエイで「久能山東照宮」に参る。なんでも正面階段は下からだと1300段もあるというから、老人にはとても無理。 楼門からでも残りの階段は相当厳しくて疲れる。権威の象徴か、一段ごとがやけに高い。家康を最初に祀ったという社殿は、日光東照宮と同じくきらびややかで豪華、国宝である。

家康廟で金色の蜥蜴にであった。以前岡崎の東照宮では珍しい玉蟲を見つけたことがあったが、さすが家康公の墓所かなと笑い合う。

 

         蜥蜴さえ金を帯びたる家康廟

 

 

博物館にも足を止めるが、特別なものはなし。甲冑具足やら家康公の日常品など。慶喜公の書は、さすがの筆遣いである。

 まだ日は高く、山から下りて「三保の松原」を目指す。しっかりと管理をされているらしく見事な松が残っている。「羽衣伝説の松」は三代目とか、立派な枝ぶりである。砂丘を踏んで波打ち際近くまで行くが、海越しの富士山はここでも見られず。小さいまんまるの小石をふたつだけ拾って帰る。

羽衣の松

 この後市内の「登呂遺跡」にちょっとだけ寄ってホテルに向かう。

 静岡駅前の新しいホテル(ホテル・オーレ・イン)で気持ちがいい。ホテルに入るなり突然の雷雨で、食事に出かけるのに閉口したが、食事は駿河湾のお魚のお造り、生しらす、桜えびのかき揚げ、黒はんぺんのわさび添えとご当地もので、大いに満足。12668歩を記録する。

 

 

 

       空と海あはひかすみて永久(とわ)の松

 

 

静岡紀行  二日目

 昨夜の雷雨は上がり、やや曇りがちの晴れ。旅の一番の目的、伊豆の願成就院に向かう。拝観時間まで余裕があるので高速でなく一号線を使う。興津、由比、蒲原と東海道の懐かしい地名を辿って行くうちにふいに眼の前に富士山が出現。薄曇りではあるが、白雪を頂いた富士山で、声を挙げて感激する。「道の駅富士」というのを見つけ車を入れる。そこの展望所から撮った富士山。

 しばらくは富士山を見ながらのドライブ(もちろん運転手は除いて)。

 10時すぎ伊豆の国市の「願成就院」に到着。この寺は北条時政(義時の父)発願の寺である。創建当時は毛越寺様式の大伽藍であったようだが、二度の火災を経て今はこじんまりとした真言宗のお寺である。創建当時からの運慶作の仏像が素晴らしい。阿弥陀如来坐像、毘沙門天立像、不動明王像、こんから童子像、せいたか童子像の国宝五体である。中でも阿弥陀如来の柔和なお顔が何とも素晴らしい。寺内には時政公のお墓もある。伊豆の一地方武士集団が、都の仏師を招いてここまでの寺を建立したその心意気を思う。

庭でモリアオガエルが鳴いていた

北条時政の墓

 

       若武者に似たる毘沙門若葉風

 

 

 三島は以前来たこともあり、柿田川にも寄らず楽寿園そばの蕎麦屋さんで昼食、一路帰宅を目指す。帰りは新東名高速を利用。途中から雨になったが約4時間で帰宅。

 熱が出ないところを見れば、まずまずの旅であった。