猫の恋

『いつか死ぬ、それまで生きるわたしのお経』 伊藤 比呂美著

 ずっと伊藤さんのお経に関係する本を読み続けている。伊藤さんと同じように信心があるわけではない。突き詰めれば、死ねば宇宙の微塵となって散らばるだけと思っている。その一方で毎日仏壇の扉を開け(家は浄土真宗で父が奮発した大きなキラキラしい仏壇がある)供花の水を確かめ、お参りをする。父や母や姉たちがあちら側にいるような気持ちでもいる。

 伊藤さんはお経を読み仏教を考え、日本の古典はみんな仏教文学だったとわかったと書いていた。西洋画を見ていると、これでもかこれでもかというほどキリスト教ばかりにうんざりしたが、そういう点では日本は仏教だ。骨身に沁みた仏教的考え方は信仰以前の血肉のようなものかもしれぬ。

 この本には宗派の区別なく様々なお経が現代語に(伊藤さんの言葉に)訳されている。家の宗派では法要などで『阿弥陀経』があげられ、いつも「舎利佛」というところだげしかわからなかったが、これで全体がはっきりした。これは死者に聞かせるものではなく、生きている無信心な愚者に聞かせるものだとわかった。

 死にゆくブッタが語ったという『仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)』に心ひかれた。ブッタの最期をもう少し知りたいと『ブッタ最後の旅』ー中村元訳を借りてきた。YouTubeNHK「100分で名著」の「ブッタ最後の旅」も見た。愚者の私は、ブッタの呼びかけに少しも応えるわけではない。しかし、それでも知りたいと思う。

 

 

 

 

      終ひ風呂いつも聞こゆる猫の恋