松過ぎ

『日常を愛する』 松田 道雄著

 松田さんの本を久しぶりで読んだ。文末まで意志がしっかり通い、簡潔できっぱりした物言いに、「ああこの口ぶりに何度も納得させられ、慰められた」と思い出した。『育児の百科』や『わたしは二歳』など、どれだけ開いたことか。すっかり擦り切れた本が、今も手元にある。

 この本は筆者の七十二歳から七十五歳前までの新聞連載コラムを纏めたもののようだが、歳を重ねても大変な勉強家であるのには驚く。いつも医学書で最新の知見を確かめられては自身の『育児の百科』の校訂をつづけられ、ライフワークのマルクス主義の研究などにも熱心だ。あまりにも「勉強、勉強」とおっしゃるので、お孫さんに「学校でお勉強ようできなかったんやろ」とからかわれておられる。

 権威や権力に対する松田さんの怒りはいつもながら筋の通ったもので、例えば、医者として同じ医者への眼差しは厳しかった。近頃は医療を受ける者への説明や承諾は、ごく普通になされるようになったが、当時は患者ぬきの医療が普通であったようだ。目的も意味も説明しない検査をし、病名も明らかにしなかったというから、その辺りは改良されたと言うべきだろうか。老人医療についてもまだ介護保険がなく、老人介護は病院の守備範囲で今とは全く事情が違っていたようだ。しかし「老人問題はやさしさの回復だ」という考え方は同じ思いで、そう願いたい。

 松田さんは表題にもあるとおり「日常」を守るということを何度も強調されている。「生きるか死ぬかの場になってはじめて日常の重さがわかる」「平和を守るのに、殉教者のような反戦活動家よりも、普通の主婦の日常の尊重に期待する」と書いておられる。弱者や女性の応援者だった松田さんらしい。全くシリアやアフガン、否コロナ禍の異常を思うにつけても「平凡な日常」ほど守るべきものはない。

 テレビの普及とその悪影響も憂いておられるが、今の子どもたちのゲーム漬けを知ったらどれほど嘆かれるであろうか。松田さんの時代より進歩したのか後退したのか、今の子育てに松田さんの『育児の百科』はどう応えるか。子育てはいまの時代のほうがよほど難しいような気がする。こういう時代に子どもなど産みたくないという若い人の気持ちもわからないではないのが、かなしいことだ。

 

 年が明けて、うかうかしていたらもう松過ぎ。今日は病院での定期検査日。ぼんやりしていて保険証を持たずにでかけ、会計の時になって慌てた。結局家の者に届けてもらって事なきを得たが、新年早々呆けたことである。

そう言えば年始の挨拶もしておりませぬ。

「謹んで新年のご挨拶を申しあげます。今年も拙ブログをよろしくお願いいたします。」

 

 

 

 

 

        松過ぎの病院受付長蛇かな

 

 

 

 

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